今日も空は青い空

桃井すもも

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【4】番外編 Side R&G

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「グレース、目を合わせずとも良い。」

 今宵はアレックス王太子殿下とテレシア大公女の婚約を祝う夜会である。王太子殿下と大公女の婚約は、先日公式に発表された。王国は今、立て続けの王家の祝事に沸きに沸いている。

 会が始まり貴族達が王族に挨拶をする中に、前夫であるリシャールの姿を見つけた。
 未だ爵位は譲られてはいないが、侯爵家の嫡男であるリシャールは、グレース達に先立って王族へ挨拶を述べている。

 上背のあるリシャールを、グレースはその後ろ姿で直ぐに分かった。三年余りを妻として愛したのであるから当然だろう。

 国王陛下と王妃陛下へ挨拶を終えると、リシャールは次はアレックス王太子殿下とテレシア大公女に挨拶をする。
 するとアレックスが何やらリシャールに話すのが見て取れた。二言三言、僅かに顔を寄せてアレックスが言う事に、リシャールどんな言葉を返したのかは、その背中からは解らない。

 挨拶を終えたリシャールが振り返る。穏やかな笑みを湛えるリシャールに、居合わせた貴族等が声を掛けている。微かに彼等の話すのが、グレースの耳にも届いて聴こえた。

 前夫は変わらずの美丈夫で、穏やかな表情を浮かべていた。その優美な姿に側にいるご令嬢達が頬を染めている。

 誰かが「夫人のお加減は如何でしょうか」と尋ねて、それにリシャールは穏やかな笑みを崩すこと無く答えた。

「お蔭様で妻は元気にしております。酷く恥ずかしがり屋なものですから失礼承知で社交は控えさせて頂いております。可愛い妻ですから、私も妻を人の目に触れさせたくは無いのです。幾つになっても姫様はお可愛いらしくて、私は天使の様な妻を得られた果報者なのですよ。」

 隣国第三王女と婚姻したリシャールと、その後王女の身に起きた悲劇については、グレースも新聞記事や人の噂で聞き知っていた。

 離縁したとは云えリシャールの不幸を望んだ訳ではなかったから、朗らかな気質のリシャールが如何ほど傷付き気を落としているかと、ついつい案じていた。
 けれども目の前のリシャールは、穏やかな笑みを崩すこと無く貴族達の問い掛けにも静かに答えている。

 その姿はグレースの知るリシャールとは違って見えた。何か大切なものを削ぎ落とした様な、以前のリシャールに確かにあった人間らしさを無くしてしまったように見えた。


「グレース、目を合わせるな。」

 二度目の言葉は強い語気を含んで、ロバートはグレースに立ち塞がる形でリシャールに向けた視線を遮った。

「彼はもう君の知る男ではない。金輪際関わってはならない。」

 何を知っているのか、ロバートは悋気とは異なる強さでリシャールとの関わりを絶とうとしている様に見えた。

「分かったわ、ロバート。なんだか様子が違って見えて、それでつい見入ってしまっただけの。」

 グレースがそう言えばロバートは、

「あれは別人と思うんだ。決して気を許してはならない。良いな、グレース。」
と、言い含める様に重ねる。こんなロバートは珍しい。

 ロバートによって視界を遮られていた為に、気付けばリシャールは既に出口へ向かって歩いていた。

「彼は今後、王家主催の会以外は出席しないだろう。無論、夫人も伴うことは無い。王族への挨拶を終えれば直様すぐさま辞するだろうよ。」

「それは奥方様の関係で?」

「そうだろうな。だが、それも私達が関わる事では無い。知らずにいた方が良い事もある。」

 僅かに寂しさを覚えたのは、グレースが三年の間を確かに夫としてリシャールを愛しく感じていたからだろう。そうして今夜見たリシャールは何処か抜かり無く、過去のあの仔犬の様な愛嬌もどこか底の浅い愚かしさも、要は彼らしいリシャールの全てが消失して見えたからかも知れない。



 その後グレースが別人となったリシャールとまみえることは無かった。
喩え同じ場に居合わせても、夫に言われたように決して目線を合わせることは無かった。しかしそれも、数年の後にはどの夜会も舞踏会にも、彼の姿を見ることは無くなった。
 どうやら夫人の療養の為に領地で過ごしていると云う。王都育ちのリシャールの華やかな生い立ちからは想像出来ない暮らしぶりだと、風の噂で聞くだけとなった。



「グレース。」

 寝台に横になりながら考えるとはなしに今夜の事を考えていた。

「気になるか?」

 ロバートが言うのはリシャールの事であろう。

「余りにご様子が変わっておられましたから。」
「ああ。」
「まるで、人間らしい何か、大切な何かを捨てておしまいになった様な、」
「...」
「私の知るあの方は、もっと無邪気で感情的で、そう、とても人間らしい方でしたわ。」
「...」
「それに、あんなに醒めたお顔を「もういいだろう。」

 ロバートはグレースの回想を遮った。まるで夜会でリシャールへ向ける視線を遮った様に。

「もういいだろう。君が彼と関わる事は金輪際無いんだ。いつまでも囚われて欲しくない。」
「囚われてなど..」
「囚われているだろう。今、君から出た言葉は全て、あの男をよく知る人間による愛情から来る言葉ばかりだ。いい加減、過ぎた事に囚われないでくれ。君は私の妻だ。今もこれからも私だけの妻だ。」

 ロバートの言葉にはグレースを詰る語気と愛を乞う懇願がない混ぜになって、グレースの気付かぬ内の行動を責めている。

 ロバートの言う通りであるかも知れないと、グレースは気が付いた。

 夜会の間も、何処か脳裏にリシャールが居座り、いつまでもベッドでグレースを離さなかった甘えたな彼と、貴族然と佇む美しい立ち姿の彼との乖離に少なからず思考を奪われていた。それをロバートは見逃すつもりはないらしい。

「ごめんなさい、ロバート。貴方を不快にさせたい訳では無いよ。ただ、驚いてしまったの。以前はあんな方では無かったから。ただ、それだけなのよ。」

 グレースの言葉に聴き入りながらも未だ言葉を発しない夫へ、グレースは横向きのままその胸に頬を寄せる。

 やはり横向きになってグレースを見つめるばかりであったロバートが、少しばかり間を置いてから、グレースの背に腕を回して、それからぎゅうと抱き寄せた。

 秋が深まって、耳を澄ませば草木を渡る乾いた風の音に虫の音が聴こえてくる。それがロバートの鼓動と合わさって、グレースを安らかな微睡みに誘う。

ロバートが背を撫でる。上に下にと小さく上下し、その温かさにいよいよ微睡みの中に沈み込んでゆく。

 夜気に冷え込みを感じる様になって来た。こんな夜は体温の高いロバートに温められるのが心地良い。ああ、この夫は、どこまでも熱い身体と心でグレースを温かく包み込んでくれる。

 年上の大人の夫は、こうしてグレースの僅かな心の揺らぎを見落とさない。

 叱られて甘やかな気持ちになるなんて。グレースの全てを欲して求める男に、この世の中で彼だけが、グレースを骨の髄まで熱く温め甘やかしてくれる、唯一の夫なのだとグレースは思った。




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