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番外編 Side R
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エバーンズ伯爵家は、先代が羊毛から毛織物業を興し、王都に紳士服の商会を立ち上げて財を得てきた家である。
現伯爵は先代を凌ぐ商いの手腕をもって販路を拡大し、隣国にも支店を設ける敏腕経営者である。
嫡男の他には令嬢が二人いて、末娘は婦人服の広告塔として社交の場に華やぎを添えていた。
四つ年下のその令嬢を、ロバートは彼女が学園生の頃から知っていた。
早くに婚約の決まっていた姉が婚約先の子爵領にいる事が多かった為か、社交シーズンの茶会や夜会には、次女のグレース嬢が父親の商会で販売するドレスを纏い現れるのであった。
エバーンズ伯爵の経営方針にはロバートも共感する点が多く、自然その息女であるグレースにも目が行った訳だが、いつからそれが熱い感情を伴っていたのか、ロバート自身にも分からない。
気が付けば、夜会で彼女のブルネットの髪色を探すのだった。
エバーンズ伯爵が何故あんなくだらない婚姻をグレースに結ばせたのか、人伝に話しを聞いた時には信じられない思いと共に、確かな憤怒の思いを持ったのだが、それが「奪われた」と云う感情であるのに気付くのに時間は掛からなかった。
婚姻先の侯爵家は典型的な斜陽貴族であったし、何より嫡男が問題含みであるのは貴族の間で知らない者はいないと思われた。
学園時代から交際していた下級貴族の令嬢を、妾宜しく囲ったまま幾年も過ごし、それを清算せぬままグレースとの婚姻を結んだのだから、令息には軽蔑しか抱けなかったし、そんな縁を平気で結んだ伯爵にもはっきりと失望したのである。
侯爵令息とその恋人なら、学園の同窓であるから知っていた。当時はどうでもよいと思っていたが、そこにグレースが関わるのであれば話は別である。
ロバートにとっての幸運は、グレースとの共同経営であった。
これは、エバーンズ伯爵から齎された話であって、グレースの婚姻と同時に商会を立ち上げる事となったのだが、互いの頭文字を取ってR&G商会に命名しようと言ったのはロバートである。
夫のリシャールは愛人を囲った別邸に入り浸り、本邸には月に数日程しかいないのだと言う。それはロバートにとっては僥倖以外の何ものでもなかった。
グレースの心も身体も占有させたくないという、人妻に横恋慕する愚かな感情が自分にあるのを、諦めきれずに偲んでいた。
勝手ばかりの夫と愛人に心を乱され時には振り回されるグレースを、せめて仕事で支えられたらと云う、その思いはロバート自身の支えでもあった。
そんな時を三年過ごし、リシャールとその愛人が度々騒動を起こすようになったのが、リシャールのグレースへの執着が原因であるのをグレース自身は分からない様であった。
愛人はリシャールの心を奪われまいと、それまで何とか均衡を保っていた線引きを踏み越えた。
グレースはその度に夫への気持ちが冷めて行くのを密かにロバートは喜ばしい事と思いながら、グレースに傷付いては欲しくないと云う両極端な感情を持て余すのだった。
いよいよ夫婦の間に溝が出来て、山猿もとい愛人が公衆の面前で騒ぎを起こし、あまつさえ子を孕んだと夜会で公言した辺りで、グレースが離縁を決めた。
それからロバートは時を狙っていた。もう誰にも渡さぬ覚悟で、グレースを得る時を見定めていた。
王太子がグレースに持つ好意にも気付いていたが、既に婚姻歴のあるグレースが王族に嫁ぐ事は出来ない事実がロバートの心を鎮めるのであった。
隣国第三王女の絡みで、王太子からグレースを託したいと云う意図を感じ取り、今しかないと半ば強引に婚姻に持ち込んだのは自分で自分を褒めてやりたい。
やはり目利きであったエバーンズ伯爵が侯爵家から別邸をもぎ取って、ロバートとの再婚の後押しをしてくれた。やはり義父とは気が合う。
何処か似通う二人であったから、それからも度々共同で事業を興す様になった。
何処までも甘く蕩けるグレースの身体も、温かく懐深い心も、全て全て己のものである。
その幸福感に溺れてしまいそうになるのをグレースには悟られぬ様にしていたのが、ついつい従者のフランシスに悋気を覚えたり前夫の呼び方に焼き餅を焼いてみたりする。
これではまるで、初恋にオロオロする少年と変わりないではないかと恥ずかしい気持ちになるのに、あの少しばかり垂れ気味の眼差しで見つめられて「可愛い夫」などと言われて、それが嬉しく甘く耳朶に響くのだから、もうお手上げなのだと悟ったのだった。
「ロバート。」
聞こえないフリをすれば、
「ねえ、ロバート?」
柔らかな手がそっと肩を揺する。
もう少し寝たフリをしようかな。
朝一番の甘やかな呼び声を楽しみたい。
「ふふ。」
なにか企みがあるらしいグレースの笑みを聞く内に、本当に二度寝していたらしい。
「おとうたま!」「ぐぅっ」
腹の上に柔らかな塊が乗っかる。
どうやらジャンプしたらしく、なかなかの衝撃を受けた。
「おちて!おとうたま!」
どうやらグレースは、秘密兵器を投入したらしい。
漆黒の髪に深緑の瞳。
鏡で見る自分と同じ色を持つ愛娘。
名付けは王太子に取られてしまったが、なかなか良い名を貰えたから許してやろう(不敬)。
王太子め、どうやらこの子を王子に与えようと画策している様だが、この子が王子を選ばぬ限りは渡さない。
時折空を見上げる妻に倣って、ロバートも天を仰いでみる。
今日も空は青い空だ。
新しい一日が始まる。
愛する人と迎える朝が始まる。
心の奥から湧き上がる幸福感を噛み締めて、ロバートは晴れ渡る天を仰ぐのだった。
現伯爵は先代を凌ぐ商いの手腕をもって販路を拡大し、隣国にも支店を設ける敏腕経営者である。
嫡男の他には令嬢が二人いて、末娘は婦人服の広告塔として社交の場に華やぎを添えていた。
四つ年下のその令嬢を、ロバートは彼女が学園生の頃から知っていた。
早くに婚約の決まっていた姉が婚約先の子爵領にいる事が多かった為か、社交シーズンの茶会や夜会には、次女のグレース嬢が父親の商会で販売するドレスを纏い現れるのであった。
エバーンズ伯爵の経営方針にはロバートも共感する点が多く、自然その息女であるグレースにも目が行った訳だが、いつからそれが熱い感情を伴っていたのか、ロバート自身にも分からない。
気が付けば、夜会で彼女のブルネットの髪色を探すのだった。
エバーンズ伯爵が何故あんなくだらない婚姻をグレースに結ばせたのか、人伝に話しを聞いた時には信じられない思いと共に、確かな憤怒の思いを持ったのだが、それが「奪われた」と云う感情であるのに気付くのに時間は掛からなかった。
婚姻先の侯爵家は典型的な斜陽貴族であったし、何より嫡男が問題含みであるのは貴族の間で知らない者はいないと思われた。
学園時代から交際していた下級貴族の令嬢を、妾宜しく囲ったまま幾年も過ごし、それを清算せぬままグレースとの婚姻を結んだのだから、令息には軽蔑しか抱けなかったし、そんな縁を平気で結んだ伯爵にもはっきりと失望したのである。
侯爵令息とその恋人なら、学園の同窓であるから知っていた。当時はどうでもよいと思っていたが、そこにグレースが関わるのであれば話は別である。
ロバートにとっての幸運は、グレースとの共同経営であった。
これは、エバーンズ伯爵から齎された話であって、グレースの婚姻と同時に商会を立ち上げる事となったのだが、互いの頭文字を取ってR&G商会に命名しようと言ったのはロバートである。
夫のリシャールは愛人を囲った別邸に入り浸り、本邸には月に数日程しかいないのだと言う。それはロバートにとっては僥倖以外の何ものでもなかった。
グレースの心も身体も占有させたくないという、人妻に横恋慕する愚かな感情が自分にあるのを、諦めきれずに偲んでいた。
勝手ばかりの夫と愛人に心を乱され時には振り回されるグレースを、せめて仕事で支えられたらと云う、その思いはロバート自身の支えでもあった。
そんな時を三年過ごし、リシャールとその愛人が度々騒動を起こすようになったのが、リシャールのグレースへの執着が原因であるのをグレース自身は分からない様であった。
愛人はリシャールの心を奪われまいと、それまで何とか均衡を保っていた線引きを踏み越えた。
グレースはその度に夫への気持ちが冷めて行くのを密かにロバートは喜ばしい事と思いながら、グレースに傷付いては欲しくないと云う両極端な感情を持て余すのだった。
いよいよ夫婦の間に溝が出来て、山猿もとい愛人が公衆の面前で騒ぎを起こし、あまつさえ子を孕んだと夜会で公言した辺りで、グレースが離縁を決めた。
それからロバートは時を狙っていた。もう誰にも渡さぬ覚悟で、グレースを得る時を見定めていた。
王太子がグレースに持つ好意にも気付いていたが、既に婚姻歴のあるグレースが王族に嫁ぐ事は出来ない事実がロバートの心を鎮めるのであった。
隣国第三王女の絡みで、王太子からグレースを託したいと云う意図を感じ取り、今しかないと半ば強引に婚姻に持ち込んだのは自分で自分を褒めてやりたい。
やはり目利きであったエバーンズ伯爵が侯爵家から別邸をもぎ取って、ロバートとの再婚の後押しをしてくれた。やはり義父とは気が合う。
何処か似通う二人であったから、それからも度々共同で事業を興す様になった。
何処までも甘く蕩けるグレースの身体も、温かく懐深い心も、全て全て己のものである。
その幸福感に溺れてしまいそうになるのをグレースには悟られぬ様にしていたのが、ついつい従者のフランシスに悋気を覚えたり前夫の呼び方に焼き餅を焼いてみたりする。
これではまるで、初恋にオロオロする少年と変わりないではないかと恥ずかしい気持ちになるのに、あの少しばかり垂れ気味の眼差しで見つめられて「可愛い夫」などと言われて、それが嬉しく甘く耳朶に響くのだから、もうお手上げなのだと悟ったのだった。
「ロバート。」
聞こえないフリをすれば、
「ねえ、ロバート?」
柔らかな手がそっと肩を揺する。
もう少し寝たフリをしようかな。
朝一番の甘やかな呼び声を楽しみたい。
「ふふ。」
なにか企みがあるらしいグレースの笑みを聞く内に、本当に二度寝していたらしい。
「おとうたま!」「ぐぅっ」
腹の上に柔らかな塊が乗っかる。
どうやらジャンプしたらしく、なかなかの衝撃を受けた。
「おちて!おとうたま!」
どうやらグレースは、秘密兵器を投入したらしい。
漆黒の髪に深緑の瞳。
鏡で見る自分と同じ色を持つ愛娘。
名付けは王太子に取られてしまったが、なかなか良い名を貰えたから許してやろう(不敬)。
王太子め、どうやらこの子を王子に与えようと画策している様だが、この子が王子を選ばぬ限りは渡さない。
時折空を見上げる妻に倣って、ロバートも天を仰いでみる。
今日も空は青い空だ。
新しい一日が始まる。
愛する人と迎える朝が始まる。
心の奥から湧き上がる幸福感を噛み締めて、ロバートは晴れ渡る天を仰ぐのだった。
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