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番外編 Side A
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アレックスは王国の第一王子として生を受けた。
二つ下に生まれたのは妹で、それっきり兄弟が増える事はなかったから、幼少の頃より王太子と目されて帝王学を教え込まれた。
燦めく金の髪に青い瞳。
王侯貴族を体現した見目は、物心の付く頃より美しいと称賛を得ていた。
父も母も美しい人であったし、妹などはそれに可憐さが加わっていたから、アレックスにとっての美醜とは判断基準の一つにもならず、人とはどんな事を考えてどんな表情をして、どんな言葉を発するのか、それが基準となっていた。
父が傅かれる存在であるのを知る頃には、自身も同じ存在であるのに気が付いた。
甘えてしまえば何処までも甘やかされる。それを試してみたら、後でその者が父や母から叱責を受けているのを知ったのは、まだ剣の稽古も出来ないうちの事だったと思う。
臣下に恵まれた父のお蔭で、自身も周りに侍る者に恵まれた。彼等のお蔭で、世に云う善悪の判断が正しく定まったから。
一日の始まりは早く、起こされる前に目覚めねばならない。暑い朝も冷え込む朝も、朝は等しく剣の稽古が待っている。
食事は限られた品目を食べ過ぎぬ様に加減されたのを残さず無駄にせず食す。マナーの授業を受ける場合か貴賓を招く晩餐の席のみ、食卓は鮮やかな食材で彩られていた。
勉学は分刻みで熟すもので、その合間に父や母に付いて貴族達との会合や茶会に出る。そこで顔と名前と爵位を覚えた。
蝋燭を無駄にしない様に、日が沈む前に全ての学びを終えるのだが、学園に入る頃には与えられる様になった執務ばかりは、その内容が稀に深夜に及ぶのも許された。
そう、学園。学園は勉学を学ぶのではなく貴族の縮図を網羅する場として与えられた猶予の時間であった。王宮で既に学んだ事は、学園のそれを遥かに超えるものであったから。
学びの時間は楽しかった。知識もそうだが、人と一緒に学ぶ事が初めてであった。
時間の経過と共に生徒達との距離が幾分か縮まると、気軽に話せる事も増えた。思うままに笑える事がこれほど心を軽くするのかと、水面から顔を出してで大きく息を吸う様な思いであった。
貴族にも高位もあれば低位もある。中には平民も混ざっており、それらから中庸やら平均やら常識と云うものを感覚で覚えた。
自分で思う以上に気楽な性格であったらしく、学友と取るに足らない話しに興じながら声を立てて笑うのが頗る楽しい。笑うと止まらなくなる癖も学園生活で初めて知った。
そんな自分を気さくな殿下と慕ってくれる学友に恵まれたのには、今も感謝している。
特に令嬢達との触れ合いは、それまでは母の茶会位しか場が無かったから、挨拶から始まって授業の中で語らう些細な会話や交流は楽しかった。
時折、熱の籠もった眼差しを受けるも、それは王城でも城下でも同じ事であったから流していなせた。
その中でも真実同年代として応対してくれる令嬢方もいたから、そういう距離感もまた新鮮に思えた。
エバーンズ伯爵令嬢もそんな一人であった。商会経営を主軸に、領地産業と製造販売業で多くの益を生み出し家系。商人軍団の末娘である。
ブルネットの髪に濃い蒼の瞳。ほっそりと薄い身体であるのに、心も身体も柔らかな空気を纏って、令嬢であるのに何処か艶めかしいのは多分あの垂れ目のせいだろう。
偶々席が近くなった事がある。近いと言っても、自分の席は周りを側近候補で固められているから、隣りで近しくなんて事ではない。
ほんの少しばかり近かったのは、席が彼女の斜め後ろであったから。どうにも視線がそちらに行って、何かの拍子に目が合ったりで、そんなことも楽しく思った。
さっぱりとした気質に、少々の事では驚かない腹の据わったところも好感が持てた。
笑うと益々目が垂れる。
可愛いな。
女人にそんな事を初めて思った。
父は厳しい。王子の我が儘なんて許しはしない。ああ、力が欲しいな。父に認めさせたい。それで得難い恋を得られるならば後は何でもする。
グレース嬢が得られたなら、仕事頑張れるな。結構頑張れるな。そう思って地固め励んだのに、あの盆暗め!
あっと云う間に侯爵家の愛人持ちに掻っ攫われた。悔しいなあ。ちょっと絶望して良いだろうか。
盆暗との不遇な婚姻にありながら、美しさは年を追う毎に増してきて、商人軍団の才女らしく伯爵子息と商会を立ち上げたのは何とも彼女らしい。
夜会や舞踏会の装いは一層のこと秀逸と思える眺めであった。美しいな。やはり得難い女性であった。
母や妹に混ざって交わす会話に己を慰めた。
山猿囲ってあの野郎。
阿呆な夫に阿呆な妾。
可愛い垂れ目が泣かない様に、それくらいならしてやれる。
共同経営者のあの男に彼女を委ねた。心底悔しい事であったが。
グレース、是非とも幸せになってくれ。
あの男の元で幸せにしてもらってくれ。
君の幸せを離れて眺めるのは慣れているんだ。それもなかなか気に入っている。
だからせめて子の名付けは私で良いよね。名付け親にならせておくれ。
ローゼリア。貴高い薔薇に椿の姫。その花の通りに不可能を成し遂げて優美に凛々しく育っておくれ。
君は直に我が義娘になるんだから。
二つ下に生まれたのは妹で、それっきり兄弟が増える事はなかったから、幼少の頃より王太子と目されて帝王学を教え込まれた。
燦めく金の髪に青い瞳。
王侯貴族を体現した見目は、物心の付く頃より美しいと称賛を得ていた。
父も母も美しい人であったし、妹などはそれに可憐さが加わっていたから、アレックスにとっての美醜とは判断基準の一つにもならず、人とはどんな事を考えてどんな表情をして、どんな言葉を発するのか、それが基準となっていた。
父が傅かれる存在であるのを知る頃には、自身も同じ存在であるのに気が付いた。
甘えてしまえば何処までも甘やかされる。それを試してみたら、後でその者が父や母から叱責を受けているのを知ったのは、まだ剣の稽古も出来ないうちの事だったと思う。
臣下に恵まれた父のお蔭で、自身も周りに侍る者に恵まれた。彼等のお蔭で、世に云う善悪の判断が正しく定まったから。
一日の始まりは早く、起こされる前に目覚めねばならない。暑い朝も冷え込む朝も、朝は等しく剣の稽古が待っている。
食事は限られた品目を食べ過ぎぬ様に加減されたのを残さず無駄にせず食す。マナーの授業を受ける場合か貴賓を招く晩餐の席のみ、食卓は鮮やかな食材で彩られていた。
勉学は分刻みで熟すもので、その合間に父や母に付いて貴族達との会合や茶会に出る。そこで顔と名前と爵位を覚えた。
蝋燭を無駄にしない様に、日が沈む前に全ての学びを終えるのだが、学園に入る頃には与えられる様になった執務ばかりは、その内容が稀に深夜に及ぶのも許された。
そう、学園。学園は勉学を学ぶのではなく貴族の縮図を網羅する場として与えられた猶予の時間であった。王宮で既に学んだ事は、学園のそれを遥かに超えるものであったから。
学びの時間は楽しかった。知識もそうだが、人と一緒に学ぶ事が初めてであった。
時間の経過と共に生徒達との距離が幾分か縮まると、気軽に話せる事も増えた。思うままに笑える事がこれほど心を軽くするのかと、水面から顔を出してで大きく息を吸う様な思いであった。
貴族にも高位もあれば低位もある。中には平民も混ざっており、それらから中庸やら平均やら常識と云うものを感覚で覚えた。
自分で思う以上に気楽な性格であったらしく、学友と取るに足らない話しに興じながら声を立てて笑うのが頗る楽しい。笑うと止まらなくなる癖も学園生活で初めて知った。
そんな自分を気さくな殿下と慕ってくれる学友に恵まれたのには、今も感謝している。
特に令嬢達との触れ合いは、それまでは母の茶会位しか場が無かったから、挨拶から始まって授業の中で語らう些細な会話や交流は楽しかった。
時折、熱の籠もった眼差しを受けるも、それは王城でも城下でも同じ事であったから流していなせた。
その中でも真実同年代として応対してくれる令嬢方もいたから、そういう距離感もまた新鮮に思えた。
エバーンズ伯爵令嬢もそんな一人であった。商会経営を主軸に、領地産業と製造販売業で多くの益を生み出し家系。商人軍団の末娘である。
ブルネットの髪に濃い蒼の瞳。ほっそりと薄い身体であるのに、心も身体も柔らかな空気を纏って、令嬢であるのに何処か艶めかしいのは多分あの垂れ目のせいだろう。
偶々席が近くなった事がある。近いと言っても、自分の席は周りを側近候補で固められているから、隣りで近しくなんて事ではない。
ほんの少しばかり近かったのは、席が彼女の斜め後ろであったから。どうにも視線がそちらに行って、何かの拍子に目が合ったりで、そんなことも楽しく思った。
さっぱりとした気質に、少々の事では驚かない腹の据わったところも好感が持てた。
笑うと益々目が垂れる。
可愛いな。
女人にそんな事を初めて思った。
父は厳しい。王子の我が儘なんて許しはしない。ああ、力が欲しいな。父に認めさせたい。それで得難い恋を得られるならば後は何でもする。
グレース嬢が得られたなら、仕事頑張れるな。結構頑張れるな。そう思って地固め励んだのに、あの盆暗め!
あっと云う間に侯爵家の愛人持ちに掻っ攫われた。悔しいなあ。ちょっと絶望して良いだろうか。
盆暗との不遇な婚姻にありながら、美しさは年を追う毎に増してきて、商人軍団の才女らしく伯爵子息と商会を立ち上げたのは何とも彼女らしい。
夜会や舞踏会の装いは一層のこと秀逸と思える眺めであった。美しいな。やはり得難い女性であった。
母や妹に混ざって交わす会話に己を慰めた。
山猿囲ってあの野郎。
阿呆な夫に阿呆な妾。
可愛い垂れ目が泣かない様に、それくらいならしてやれる。
共同経営者のあの男に彼女を委ねた。心底悔しい事であったが。
グレース、是非とも幸せになってくれ。
あの男の元で幸せにしてもらってくれ。
君の幸せを離れて眺めるのは慣れているんだ。それもなかなか気に入っている。
だからせめて子の名付けは私で良いよね。名付け親にならせておくれ。
ローゼリア。貴高い薔薇に椿の姫。その花の通りに不可能を成し遂げて優美に凛々しく育っておくれ。
君は直に我が義娘になるんだから。
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