今日も空は青い空

桃井すもも

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 それからもグレースは、日々を慌ただしく過ごしていた。

 クレア王女殿下は翌年の春、無事にお輿入れなさった。それからは王妃様がそれはそれは寂しがられて、王女の懐かしい話しをしましょうと、グレースは時折王宮へ呼ばれて王妃の話し相手を仰せつかる事が度々あった。
 その頃にはアレックス殿下の婚約者として公国の大公女が内定していたから、大抵この三人でのお茶会となっていた。

 伯爵夫人としては身分が及ばぬえにしであるも、王妃と王女にドレスや宝飾品を奉上する内に、高貴な身分でありながら気さくな王族の面々とすっかり馴染み合ってしまったのだ。

 大概そこへ王太子殿下が乱入しては、少しばかり王子らしくない軽口をたたいて思う存分話した後は、ああすっきりしたとばかりに去って行く。

 その王太子は、婚約が成ったばかりの大公女に心配りを忘れない。大公女は未だ学園に在籍されるご令嬢で、夫となるアレックスにも恥ずかし気に俯いてしまうのを、彼らしい軽口で心を解している様だった。
 二人は大公女の学園卒業を待って、二年後には御成婚される。幾分年は離れているが、仲睦まじい夫婦となるだろう。


 そんな吉事続きの王室に近く接した為なのか。
 グレースはある日些細な不調を覚えたと思ったらそれが真逆の懐妊であったから、アーバンノット伯爵邸は天地がひっくり返るほどの騒ぎに湧いた。

 初産であるから、周りが騒いで身体に障ってはならないと、皆自制しようと心得るのだが、目出度い事は抑えが効かない。

 平素は寡黙な義父までが何処か舞い上がる様子に、「私が懐妊した時にはこれ程浮かれてはいなかったのに、やはり孫とは違うものなのね」と義母も驚くのであった。


 クレア王女、今は隣国の王太子妃に奉上したR&G商会のドレスが隣国で評判となり、宝飾品についても王太子妃の茶会で話題となったらしい。

 隣国からの旅客が、商会の本店と2号店を梯子して買い物を楽しんで、その後は疲れた足を併設するカフェでお茶を楽しみながら癒やすというのが観光の新たなルートであるらしい。


 そんなタイミングで、鼻の利く父が意気揚々と商会を訪ねて来た。父の隣国にある商会にR&G商会の商品を置いてはどうかと言う。

 父は既に隣接する家屋を買い取っているらしく、そこを改装してR&G商会の3号店としてはどうか、何なら自慢のカフェとやらを造ってやっても良い、などと言って来る。もう頭の中ではすっかり構想が出来上がっているのを、どうだ上手い話しだろうと云うていで持ち掛けて来る父の得意顔と言ったら。

 父と経営の感性が似通うロバートが、良いなそれはと乗ったものだから、これも早速実行される事となった。

 R&G商会の隣国店を差配する為に、ジョージが支配人として隣国へ渡る事となった。
 ジョージはロバートの側近中の側近であったから手離すのは手痛い筈であるのを、何だか二人共楽しそうにこれからの計画を練っている。

 ジョージは妻帯していない。貴族家の次男であるから、兄が爵位を継いだ後には平民となる。独り身の気軽な身分であるなら広い世界を観てみたい、そんな風に思っていたらしい。
 隣国と言っても、今年から我が国と隣国で提携しての鉄道事業が興されて、将来は馬車では考えられぬ速さで二国が繋がると言う。
 時間にすれば北の辺境地に行くよりも速く行き来が叶うのだから、ジョージの身軽さにも拍車が掛かるというものである。

 将来は本店で製造した製品を鉄道輸送で運ぶ事も可能となる。物も人も便利に往来が可能となる。
 この鉄道事業は両国の王太子達が要となって興した事業であったから、アレックス王太子殿下の為政者としての実力を国内外に示したものと高く評価をされていた。


 日に日に大きくなる腹を抱えて、これまで通りに出歩く事の敵わないグレースは、ジョージが抜けてしまう経営陣の穴を案じていたが、流石の父はその辺りも鮮やかな手腕を見せつけた。
 隣国店の立ち上げの差配を、父自らが音頭を取ってすっかり熟してくれている。

 合間合間に隣国へ進捗を確かめに向うジョージは、帰国する度に生き生きと新店舗の出来栄えを語ってくれて、彼がこの役割を楽しんでいることが窺われた。

 製造部門にも事務方にも新たに人を雇い入れて、それが漸く慣れた頃、グレースは女児を出産した。
 小さな小さな嬰児みどりごを、グレースはそおっと胸に抱いてやんわりと抱き寄せた。

 漆黒の髪が濡れている。
 生まれたばかりであるのに肩を越すほど長い髪である。なんて美しく髪なのかしら。

 さあ、瞳を開いて頂戴。どんな色を纏ってきたの?

 グレースは、泣き止んだ娘が微睡みから目覚めるのを待った。そうして漸く目覚めた娘の瞳が、深い深い深海の色であったのを認めて瞳を潤ませた。

 ああ、なんて美しく瞳なのかしら。
 深海を覗き込んだ濃いビリジアン。
 すっかりロバートの色を纏って生まれた娘に、胸の底から慈愛が湧き出すのを止められなかった。


 真っ黒な髪に真っ白な肌。小さな真っ赤な唇が「かあたま」「とうたま」と言うならば、次は「ばあたま」だ、いや「じいたま」だと、アーバンノット伯爵邸は賑やかだ。
 貴族家としては珍しい光景であるも、そんな確かな血の結び付きを得られた事を、グレースは心から嬉しく思った。

 フランシスの息子に抱き上げられて娘がきゃっきゃと声を上げる。
 Roseliaローゼリアと名付けられた娘は、その名を体現する様に薔薇とカメリアの魅力を併せ持つ誇り高く潔い令嬢に育つ。

 名付け親はアレックス王太子殿下であった。
 名前くらい付けさせておくれよと強請られて、未来の国王陛下から賜る名にこれ程の名誉は無いと有り難く頂戴したのである。

 数年後に、私が名付けたのだから半分私の娘だなどと戯けた事を言い出す王太子であるが、彼の治める王国でロバートとグレースは子を育み家と商会と関わる人々を守って過した。

 第一子を王子に恵まれたアレックスが、丁度良いじゃないか娘を寄越せと、この王子の婚約者にローゼリアを据えようとするのをのらりくらりと躱しながら、多忙な日々の合間に家族の時間を作るグレース。

 この時ばかりはロバートも共にいて、と言うより二人が離れる事は公私共々皆無であるのだが、兎に角ロバートも一緒になって娘とお茶会をする。

 お茶会と称した庭園のお散歩なのだが、小さな歩みでヨッチヨッチと歩みを進め、それに疲れた後には果実水とビスケットを頂くのだから、小さなローゼリアのお茶会で間違いないのである。

 ロバートが娘の口元を拭いてやる。大きな手に花柄のガーゼのハンカチが似合わない。
同じ漆黒の髪に深海の瞳。

「ロバート、ローゼリア。」
 そう呼び掛ければ、二人が同時にこちらを向いた。

 四つの深海色に見つめられて、それからグレースは天を仰いだ。

 今日も空は青い空。
 その下には大海原が広がって、白い波間を覗けば深い深いビリジアンの海。

 なんて幸せで幸運で幸福なのだろう。
 この世の幸せを凝縮したような深緑に見つめられて、グレースは思わず白い歯を零して笑みを深めるのだった。



                    完



✻本編はこれにて完結となります。お読み頂きました皆様へ心より感謝を申し上げます。これより番外編がございます。どうぞ引き続きお楽しみ下さいませ。
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