今日も空は青い空

桃井すもも

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 だらだらと十年も続いた縁が、切れるのは一瞬の事である。

 これまでも傘下の貴族達にイザベルの処遇を求められて来た侯爵も、漸く彼女の放逐を決めた。

 リシャールが望むのならばとあれほど目溢しを続けて、グレースとの離縁の際にもリシャールの子が宿っているからとイザベルの存在を認めた侯爵夫妻も、度重なる彼女の愚行にとうとう匙を投げた。

 イザベルが王城で騒ぎを起こしたのはこれで二度目だ。此度こたびは王家から監督の責を問う文まで届けられてしまった。 明日は参内して、これまでの非を詫びねばならぬだろう。

 隣国の第三王女を受け入れる事で、前回の醜聞、夜会の場で己の懐妊を告げて夫人に離縁を求めるなどという醜態を晒した騒動について、責を問わぬものとしてもらえた。

 あの夜会の顛末は、本妻のグレースを手放す結果となった上に、伯爵家からも事業の提携を解かれてしまった。痛手なんて軽い言葉では済まされない。

 多くを犠牲にした切っ掛けの腹の子が早々に流れてしまったのだから、イザベルをもっと早く放逐すべきであったのだと傘下の貴族家からも突き上げられた。父侯爵の意志は硬く、既にイザベルに掛ける情けは無い。


 全て姫様の言った通りだ。
 これ程上手く行くだなんて。
 イザベルを漸く切れる。今晩の内に荷を纏めてもらおう。生家があるのだから、そこへ帰れば良いだろう。
 この十年で買い与えた衣装も宝石もくれてやる。それくらいあれば、生涯食うには困らぬ筈だろう。

 姫様は凄いな。
 全てお見通しであったのだな。

 グレースを失ってからぐらぐらと揺らいで塞いだ心が、今は確かな礎を得て居場所が定まる様であった。


 両親を面前に、隣で青く震えるイザベルにリシャールは声を掛けた。

「イザベル。」

 優しい声音で名を呼べば、イザベルは瞳を潤ませ縋る眼差しを向けて来る。現にリシャールの腕を掴んで離さない。

「今晩中に荷物を纏めてね。無理なら後から運ぶのも許すよ。馬車を貸してあげる。けれども君は、明日の朝には出て行ってもらうよ。ああ、朝餉は摂って行くんだよ。腹を空かせるのは可哀想だからね。」

 思いやりいっぱいと云う風に、目の前で震える恋人の縋る腕を外して、リシャールは十年越しの恋人に別れを告げたのである。



 荷物は侍女達が夜のうちには纏めてしまった。その様子を呆然と見つめているうちに朝を迎えて、食堂ではなくて空になった部屋に食事が運ばれて来た。

 砂を噛むような食事をどうにか終えれば、荷を運ぶ為の馬車は邸を出ようとしているではないか。慌てて駆け出し声を張り上げ止まってもらう。漸く馬車に追いついて、荷物と一緒に生家の子爵家へ向かった。

 リシャールに囲われてから、生家に戻ることは無かった。夜会の席で遠目に両親と兄を見て、元気なんだなと思う程度であった。

 だから、その様変わりに戸惑った。

 庭園はすっかり荒れて野草が伸びたまま冬枯れしている。玄関ポーチに迎える人は無く、そういえばここは子爵家で侯爵家では無いのだ。生家は元より経済的な余裕は無く、使用人も少なかったと思い出す。

 それにしても、執事がいたはずだけれどどうしたのか。それより、兄は仕事だろうが母は?お茶会かしら、と見渡すと、邸内は薄暗く何だか埃臭い。

 床に足跡が付いている。
 照明に灯りが無い。朝だから?
 何だか饐えた嫌な匂いがして、すんすんと嗅いでしまった。

 壁はこんなにぽっかりと空間が空いていただろうか。確か絵画が飾られていた筈だった。

 母は花が好きであったから、季節を問わずささやかではあるが花や緑が飾られていた。それが無いのは今が冬の最中であるからか。

 十年近く前の記憶を手繰り寄せて、パズルを嵌めるように当て嵌めるも、パーツはどれもこれも遠い記憶と一致しない。

 どかどか音を立てて、イザベルの荷物が乱雑に運ばれる。あっという間にもうもうと埃が立って、思わず咳き込んでしまった。

 目の中にも塵が入ったらしく、眼を瞬かせているうちに荷運びは終わってしまい、使用人は振り返る事も挨拶することも無く去って行った。

 その後ろ姿を呆然と見つめている後頭部に、これまで知らぬ鈍い痛みと衝撃を感じた。無防備に立っていた身体に力など入っておらず、衝撃をもろに受け止めたまま横倒れしてしまう。

 埃まみれの床に手をついて、痛む頭を触れば、「痛っ」切るような鋭い痛みを感じた。

 思わず後ろを振り返る。
 多分父であろう男が立っていた。
 木っ端切れのような棒を手にしている。
 あの棒で殴られたのだ、真逆これは父ではなく暴漢なのか、父も母も兄も、この暴漢に襲われたのか。

 痛む頭が瞬時に思い描いた最悪を、誰でも無い目の前の暴漢が打ち消した。

「イザベル、」

「お、お父様?」

 目の前の汚く煤けた男は父であった。
 髭は伸びて手入れもしていない。
 頬が削げているのが髭面でも解る。
 髪はベトベトと脂に塗れて固まって見えた。
 表情は憤怒、憤怒一色である。
 憤怒の表情で父は、手に持つ棒で強かに娘を打ち据えたのだ。

「この役立たずが!お前のせいで何もかもお終いだ!どうしてくれよう!この淫売が!」

 リシャールに十年近くも囲われて呆気なく捨てられた娘を、父は淫売め、淫売めと叫びながら再び三度みたび打ち据えた。

 侯爵家から運ばれた荷は、イザベルが身に着ける前に見知らぬ男達ががやがや押し掛けそのまま持って行ってしまった。それで金銭を受け取ったらしい父は、酒瓶を片手に自室に籠もったまま出て来ない。

 幾度も強かに打ち据えられたイザベルは、頭も背も薄っすら血が滲み、動こうものなら途端に痛みが走って蹲ってしまった。

 時を置かず再び現れた男達に引き摺られるように邸から出されて、無理矢理馬車に乗せられた。

 カタカタと歯の根も合わぬほど恐怖に震える。
 一体我が身に何が起こったのか。
そんな事は、考えたくとも考える事すら許されなかった。

 漸く止まった馬車から降ろされた建物は、凍てつく冬の最中にあって、男達に果てる事のない春を売る楽園であったから。





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