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「衛兵、いるか。」
ロバートが視線をやる先には、衛兵ではなく王城を護る近衛騎士がいた。近衛騎士が来てしまえば、冗談では済まされない。近衛は王族を護る騎士である。
「令嬢、いい加減にするんだ。先にグレースに手出しをしたのはそちらだろう。随分と思い上がっているようだが、私はグレースほど優しくはない。五月蝿い蝿ははたき落とすだけだ。」
ロバートは低く響く声音で言いながら、イザベルを見下ろした。
そうだわ、私、後ろから押されたのだわ。そこで漸くあの衝撃の原因が分かって、グレースはゾッとした。
悪意の込もった押し方であった。ピンヒールを履くグレースを転がすことを目的にしていた。
それからあの腕を掴む手の強さといったら。餓鬼が地獄から這い出る時には、あんな掴み方をするのか。
みるみる青褪めるグレース。
「グレース、大丈夫か。」
「え、ええ、大丈夫よ。」
ロバートが顔色の悪いグレースの肩を抱きき寄せる。それから、もう一度イザベルを見やって、
「伯爵風情から忠告しよう、子爵令嬢。命は大事にするのだな。どんなに周りが注意をしても自ら虎穴に入る者を救えはしない。お前、虎子が欲しいのか?そんな力も無いのに。」
「は?何を言っているの?」
言われた意味が解らぬらしいイザベルが眉根を顰める。
「い、イザベル、何をしているんだ!」
そこへ漸く駆けつけたのはリシャールであった。
「ヴィリアーズ侯爵令息。責任をどうする。貴様の飼う猿がキーキー喚くのをどうにかしろ。その前に、グレースに手を出した責をどう詫びる。」
「は?ちょっとぶつかっただけじゃない!大体失礼なのはそこの女よ!侯爵夫人になる私に挨拶もしないまま帰るだなんて!」
「イザベル、よすんだ、何を言っている。」
「だってリシャール、無礼じゃない!出て行くにも挨拶無しだったのよ!リシャールの妻になる私に頭を下げるくらい当然じゃない!」
「イザベル、頼むから静かにしてくれ、そうじゃないと大事になってしまう。」
「流石にそこは理解してくれるかな?ヴィリアーズ侯爵令息。」
軽やかな言い振りだが、身分は決して軽くない。
グレースは咄嗟にカーテシーで礼をする。騒ぎを聞きつけ周りに集まっていた貴族達も、一斉にボー・アンド・スクレープとカーテシーで最敬礼をする。
さざ波が伝播するように衣擦れの音だけかざざざと後方まで静かに響く。見渡す事が出来たなら、色とりどりの衣が平伏す波を見ることが出来ただろう。
「皆、面を上げて。」
鷹揚に言うのはアレックス王太子殿下である。王族を護る近衛騎士が動いたのだから、事の原因を確かめに来たのだろう。それは、グレース嬢がまたまた巻き込まれたその様子を、好奇心を抑えられず窺い見ようとしたとも言う。
グレースは、どうにも後者に思えてならなかった。
「そこの子爵令嬢。」
ここにいる渦中の人物で、子爵令嬢に当てはまるのはイザベルだけであった。グレースは戸惑う。
子爵令嬢?リシャールとは婚姻していないの?
呼ばれて答えぬ当人に、分からないのかな?と云う風に、アレックス殿下は呼び方を変える。
「イザベル嬢、といったかな。君、牢に入りたいのか?」
高貴な空気を纏ったまま、アレックス殿下は厳しい事を言い放った。
「わ、私は何も、」
「王太子殿下、申し訳ございません。彼女は社交に慣れておらず、失礼を「ああ、良い良い。」
イザベルを庇い前に出たリシャールを、王太子が遮る。
「詳しい事は当人に聴こう。捕らえて。」
その一言に、どこから湧いて来たのかと思う程一瞬のうちに、気が付いた時には周りを近衛騎士に囲まれていた。
そのうちの一人が前に出て、イザベルの腕を掴む。婦人相手であるから一見乱暴には見えないが、イザベルは身動きひとつできずにいる。身動きひとつ許されない強さで拘束されている。
「リシャール!助けて!悪いのはこの女でしょう?私、道理を教えようとしただけよ!」
青褪めるリシャールにイザベルが懇願する声は、最早叫び声であった。
「グレース嬢、悪いね。君にも話しを聞けるかな?」
「承知致しました。」
「殿下、私も当事者であります。同行致します。」
「ああ、アーバンノット伯爵令息。そうしてもらえると助かるよ。」
こうしてグレースは、因縁がなかなか切れないイザベルとリシャールに付き合わされる形で、王城の別室に誘われるのであった。
果たしてイザベルは牢などには入らなかった。騒ぎは起こしたが人を殺めた訳では無い。けれども危険行動をしたのは確かであるから、厳重なる注意を受けた。王太子殿下直々に。
青褪めるリシャールは後見人と云う立場と見做されて、侯爵家へも注意を促す文書が届けられた。王太子殿下の御名にて。
グレースとロバートは、起こった事についてを思い出せる限り話したが、どうして後ろから行き成り突き飛ばされたのかは不明だと述べた。
ロバートも、確かにイザベルの手をはたき落としたが、それはグレースを傷付ける意図を感じたが為であると述べた。その上で、子爵令嬢から伯爵風情と侮辱を受けたので、相応の抗議をしたまでであるとしれっと答えた。
リシャールは青くなるばかり。
気が付いたらイザベルとはぐれていた。騒ぎを聞きつけ、それがイザベルの声であったから慌てて駆けつけたのだと、そこまで言うのが精一杯な様子であった。
法で定められた刑罰こそ受けずに済むも、侯爵家と子爵家は、結果諌めの文を王家から受け取る事になったのである。
その頃には財政難から爵位の返上しか術の無い子爵家であったが、この出来事が結末を早めたのは確かな事と思われた。
ロバートが視線をやる先には、衛兵ではなく王城を護る近衛騎士がいた。近衛騎士が来てしまえば、冗談では済まされない。近衛は王族を護る騎士である。
「令嬢、いい加減にするんだ。先にグレースに手出しをしたのはそちらだろう。随分と思い上がっているようだが、私はグレースほど優しくはない。五月蝿い蝿ははたき落とすだけだ。」
ロバートは低く響く声音で言いながら、イザベルを見下ろした。
そうだわ、私、後ろから押されたのだわ。そこで漸くあの衝撃の原因が分かって、グレースはゾッとした。
悪意の込もった押し方であった。ピンヒールを履くグレースを転がすことを目的にしていた。
それからあの腕を掴む手の強さといったら。餓鬼が地獄から這い出る時には、あんな掴み方をするのか。
みるみる青褪めるグレース。
「グレース、大丈夫か。」
「え、ええ、大丈夫よ。」
ロバートが顔色の悪いグレースの肩を抱きき寄せる。それから、もう一度イザベルを見やって、
「伯爵風情から忠告しよう、子爵令嬢。命は大事にするのだな。どんなに周りが注意をしても自ら虎穴に入る者を救えはしない。お前、虎子が欲しいのか?そんな力も無いのに。」
「は?何を言っているの?」
言われた意味が解らぬらしいイザベルが眉根を顰める。
「い、イザベル、何をしているんだ!」
そこへ漸く駆けつけたのはリシャールであった。
「ヴィリアーズ侯爵令息。責任をどうする。貴様の飼う猿がキーキー喚くのをどうにかしろ。その前に、グレースに手を出した責をどう詫びる。」
「は?ちょっとぶつかっただけじゃない!大体失礼なのはそこの女よ!侯爵夫人になる私に挨拶もしないまま帰るだなんて!」
「イザベル、よすんだ、何を言っている。」
「だってリシャール、無礼じゃない!出て行くにも挨拶無しだったのよ!リシャールの妻になる私に頭を下げるくらい当然じゃない!」
「イザベル、頼むから静かにしてくれ、そうじゃないと大事になってしまう。」
「流石にそこは理解してくれるかな?ヴィリアーズ侯爵令息。」
軽やかな言い振りだが、身分は決して軽くない。
グレースは咄嗟にカーテシーで礼をする。騒ぎを聞きつけ周りに集まっていた貴族達も、一斉にボー・アンド・スクレープとカーテシーで最敬礼をする。
さざ波が伝播するように衣擦れの音だけかざざざと後方まで静かに響く。見渡す事が出来たなら、色とりどりの衣が平伏す波を見ることが出来ただろう。
「皆、面を上げて。」
鷹揚に言うのはアレックス王太子殿下である。王族を護る近衛騎士が動いたのだから、事の原因を確かめに来たのだろう。それは、グレース嬢がまたまた巻き込まれたその様子を、好奇心を抑えられず窺い見ようとしたとも言う。
グレースは、どうにも後者に思えてならなかった。
「そこの子爵令嬢。」
ここにいる渦中の人物で、子爵令嬢に当てはまるのはイザベルだけであった。グレースは戸惑う。
子爵令嬢?リシャールとは婚姻していないの?
呼ばれて答えぬ当人に、分からないのかな?と云う風に、アレックス殿下は呼び方を変える。
「イザベル嬢、といったかな。君、牢に入りたいのか?」
高貴な空気を纏ったまま、アレックス殿下は厳しい事を言い放った。
「わ、私は何も、」
「王太子殿下、申し訳ございません。彼女は社交に慣れておらず、失礼を「ああ、良い良い。」
イザベルを庇い前に出たリシャールを、王太子が遮る。
「詳しい事は当人に聴こう。捕らえて。」
その一言に、どこから湧いて来たのかと思う程一瞬のうちに、気が付いた時には周りを近衛騎士に囲まれていた。
そのうちの一人が前に出て、イザベルの腕を掴む。婦人相手であるから一見乱暴には見えないが、イザベルは身動きひとつできずにいる。身動きひとつ許されない強さで拘束されている。
「リシャール!助けて!悪いのはこの女でしょう?私、道理を教えようとしただけよ!」
青褪めるリシャールにイザベルが懇願する声は、最早叫び声であった。
「グレース嬢、悪いね。君にも話しを聞けるかな?」
「承知致しました。」
「殿下、私も当事者であります。同行致します。」
「ああ、アーバンノット伯爵令息。そうしてもらえると助かるよ。」
こうしてグレースは、因縁がなかなか切れないイザベルとリシャールに付き合わされる形で、王城の別室に誘われるのであった。
果たしてイザベルは牢などには入らなかった。騒ぎは起こしたが人を殺めた訳では無い。けれども危険行動をしたのは確かであるから、厳重なる注意を受けた。王太子殿下直々に。
青褪めるリシャールは後見人と云う立場と見做されて、侯爵家へも注意を促す文書が届けられた。王太子殿下の御名にて。
グレースとロバートは、起こった事についてを思い出せる限り話したが、どうして後ろから行き成り突き飛ばされたのかは不明だと述べた。
ロバートも、確かにイザベルの手をはたき落としたが、それはグレースを傷付ける意図を感じたが為であると述べた。その上で、子爵令嬢から伯爵風情と侮辱を受けたので、相応の抗議をしたまでであるとしれっと答えた。
リシャールは青くなるばかり。
気が付いたらイザベルとはぐれていた。騒ぎを聞きつけ、それがイザベルの声であったから慌てて駆けつけたのだと、そこまで言うのが精一杯な様子であった。
法で定められた刑罰こそ受けずに済むも、侯爵家と子爵家は、結果諌めの文を王家から受け取る事になったのである。
その頃には財政難から爵位の返上しか術の無い子爵家であったが、この出来事が結末を早めたのは確かな事と思われた。
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