今日も空は青い空

桃井すもも

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「あの別邸を?」


 ロバートとグレースが共同経営するR&G商会には、その日珍しい客が訪れていた。
グレースの父、エバーンズ伯爵である。


「慰謝料として得たものだ。お前の好きに使うと良い。」

 父はリシャールとグレースの離縁の際に、その慰謝料として金銭ではなく別邸を譲り受けていた。リシャールがイザベルを囲い込み住処としていたあの別邸である。

「別に住まわずとも良かろう。」

 複雑な表情を浮かべるグレースに、父は笑みを漏らす。

「あの立地だ。」
「確かに。」

 それに反応したのは、真逆のロバートであった。

「あれだけの立地はなかなか望めませんね。」

 リシャールがイザベルを住まわせていた別邸は、王都の商業区域の目抜き通り、最も人で賑わう一等地に位置している。

 元は富豪の平民の邸宅であったのだが、後継を持たなかった富豪は自身の没後、邸宅を市に寄進する遺言を残して亡くなった。

 市が富豪の死後に邸宅を競売に掛けたのを、いの一番に落札したのが前侯爵当主、リシャールの祖父である。

 当時の侯爵家は、祖先の隆盛も記憶に新しく潤沢な資産にも恵まれていた。

 商業エリアの中央に位置する邸宅は、その土地だけでも資産価値が高く、住んで良し商って良しの超優良物件であった。
 先代侯爵は、後の侯爵家が年毎の固定資産税の支払いに喘ぐ事になるなど考えもしなかっただろう。

 現侯爵当主としては、もうイザベルを囲う必要が無いのだから、高額の税を生み出す邸宅を金品に代わって慰謝料として譲渡するのに迷いは無かったと思われた。


「気にする必要など何もなかろう。残置物は既に処分してある。壁や床を塗り替えて模様替えすれば、前に誰が住んでたかなど気配も無くなる。」

「確かにあの邸宅は得難い。歴史的にも価値がありますからね。」

 ロバートの言うことは正しい。
 あの別邸は、嘗ての富豪が当時の流行に則って贅を尽くして建てた邸であった。

 市はその価値の高さから、当初はギャラリーとして貸与する事を検討したのだが、如何せん維持管理を考えれば売却するほうが益があると判断しての競売であった。


「お前達もそろそろ販路を広げてみてはどうかと思ってね。あの邸は目を付けていた。」

 父は何れ娘の婚姻が頓挫する事を見越していたらしい。
 苦いものを噛んだような顔をする娘に、

「私はあの婚姻でお前の不幸を願った訳では無い。お前が如何に努力したとしても、相手がそれに答えられねば立ち行かなくて当然だ。夫婦とは一人ではなれないのだからな。ならば別れの際には最も価値のあるものを譲り受けて当然だろう。」

 それに、と父は続ける。

「あの邸宅は金食い虫であった。低位貴族の妾を囲って使用人を雇い、己の稼ぎ以上に金を使う一人息子を甘やかした。その金を捻出するのは、今の侯爵家には苦行以外の何者でも無い。まして、我が伯爵家は侯爵家との提携から退いた。以前に比べて持ち直したとは云え、これからは侯爵家の実力のみで益を生んでゆかねばならない。一銭の金も惜しかろう。金食い虫を差し出す事で済むのなら、あちらから頼み込みたい事であったろうよ。」

「グレース。」
 父の話しに何かを考えていたらしいロバートが、グレースに呼び掛ける。

「2号店を作ろうじゃないか。」
「どうやら君には正しく伝わったらしいな。」

 戸惑うグレースを置いてけぼりに、男二人が笑みを浮かべて頷き合う。


 王都市街地、目抜き通りの一等地。そこに建つ瀟洒な歴史的建造物。貴族の邸ほど大きくなく、平民の商家よりは広い。
 店舗としたなら、それはさながら古き良き時代を懐古するノスタルジックな空間に、紳士淑女が集う格好の場となるだろう。

 二人の思う事が漸く通じたグレースの脳味噌が急回転する。

 外観ばかりは、通りから眺めた事はあったので知っていた。彼処に商品を陳列するなら、壁の色は床材は、緞帳はどんな色で、あの小振りな玄関ポーチはどうしようか。

 くるくるとグレースの頭の中では、あの邸がギャラリーとして生まれ変わり、職人達が作るドレスや宝飾品が並び、それを眺める紳士淑女の姿がありありと浮かび上がって、生きた画像として眼前に広がっていた。

 出来るかもしれない。

 何処から来る自信なのか上手く言えない。けれども、心を動かされる確かな手応えを感じて、グレースはそんなグレースを温かな眼差しで見つめる目の前の男達に向かって、

「良いわね、それ。」

 思わず白い歯が零れる笑みを向けていた。



 華の王都の大通り。
白亜の王城を臨む目抜き通りに、以前は富豪が、つい先日迄は貴族の子息が住まいとしていた邸がある。

 瀟洒な店舗が立ち並び、最先端の流行に身を包んだ貴族も平民も賑やかにそぞろ歩く中心街。

 最近、そこはギャラリーとなった。
それが、噂の元侯爵令息夫人が会頭を務める人気店、R&G商会であるから貴族も富裕層の平民も色めき立つ。

 話によれば、婦人服専門店であった商会が、紳士服との揃いの衣装を誂えるのが2号店であると言う。

 何でもその店、邸宅の中にカフェを併設しているらしい。ギャラリーでショッピングを楽しんだ後は、喉の渇きを潤しながら気の利いた軽食で小腹を満たす事も出来る。

 メニューがまた洒落ていて、甘味から軽食、お茶ばかりではなくワインやシャンパンのアルコールも揃えているらしい。

 食事だけでも利用出来るのだから、御婦人に殿方は勿論のこと、学生達にも少しばかり背伸びをした大人の世界と人気がある。

 馬車を停める馬車止まりを擁しているから、馬車を預かる御者も安心して主を待てる。

 R&G商会の2号店は、王女殿下もお通いになる王都屈指の有名店として、他国からの旅行者にも人気の店となるのであった。




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