今日も空は青い空

桃井すもも

文字の大きさ
上 下
25 / 55

【25】

しおりを挟む
 侯爵家へ嫁いだ伯爵家の令嬢は、妻となっても冷遇されているらしい。令息は本邸には寄り付かないのだという。
 我が娘こそ令息の最愛であるのが、元は同じ羊より益を得て今なお羽振りの良い伯爵家への密かな報復に思えて、子爵は内心優越感を覚えた。


 侯爵家令息の妻となった伯爵令嬢は、父親譲りの商才があると云う。

 生家の取引先である伯爵家の令息と共同で商会を立ち上げて、それが王家にも覚えも目出度いと言うから、少しばかり面白くない。
 一層の事、本妻は夫に冷遇されたまま娘こそが後継を孕んでくれれば良い。妻の座ごと侯爵家を奪い取って欲しいとまで望んでいた。

 だから、娘の懐妊に天下を取った如く喜んだ。



 何を間違えたのだろう。
 何処から間違えたのだろう。

 娘が王女殿下の生誕祝いの夜会で、本妻に懐妊を告げた。
 そうして侯爵令息に代わって離縁を突き付けた。

 胸のすく思いであった。
 でかした、良くやった。いよいよ娘の時代がやって来る。
 漸く侯爵令息夫人として表舞台に立てるのだ。

 貴族達の面前で、未だ子をなせぬ石女の妻を引き摺り降ろして、娘こそが令息の本妻であり最愛なのだと知らしめた。

 グレースが、伯爵家の令息と逃げる様に夜会会場を出て行くのを見届けて、その後は息子に任せて子爵は邸へ戻った。

 取っておきのワインを取り出して、一人美酒に酔いしれる。父の失敗、領地の不運。苦しい暮らしに喘いだ日々が漸く報われる。感無量であった。

 娘は未来の侯爵夫人だ。
 生家である我が子爵家の未来は安泰だ。

 遅れて戻った息子と妻が青い顔で、王家に陳謝せねば伯爵家へ詫びねば、果ては侯爵家に仔細を確かめなければと五月蝿いが、そんな必要は無用と黙らせた。

 十年だ。学園生以来十年の年月を、娘は令息に身を捧げ愛されて来たのだ。最早、娘こそが真実の妻と言って良いだろう。
 今まで散々日陰者に甘んじていたのが可怪しいのだ。娘盛りを令息に囲われて、今更他家へ嫁げる筈も無い。侯爵家には責任を取ってもらって当然である。


 祝いの美酒が過ぎたのか、翌朝は遅く目覚めた。
 妻は夫人の寝室で寝たのだろう。道理で起こしてくれなかった訳だ。

 起床を知らせて身支度を済ませ、階下に降りる途中で異変に気付いた。

「静かだな。」

 先に起きている筈の妻も息子も見当たらない。食堂に向かおうとした所で、執事に呼び止められた。

 昨晩のうちに、妻と息子は領地に向かったと言う。なんの為に?ああ、さては、娘の幸事を領地の縁者に知らせに行ったか。
 それなら文でも良かろうに。いや、妻の実家もあるから、あちこち文を出すよりも直接話す方が早いと思ったか。であれば一言断ってから出掛ければ良いものを。

 憮然としながら、独り遅い朝食を摂る。

 旨いと味わいながら食べた食事は、思えばこれが最後であった。




 ロバートはその日、いつもより早く商会に出向いた。早朝であるにも関わらず、先にジョージが来ており既に鍵を開けていた。

 来る途中で新聞を数紙買って来た。ジョージが珈琲を淹れるのを待つ間、新聞に目を通す。

「ふん。」
「何か目新しい記事がございましたか?」

 珈琲のカップを執務机に置きながら、ジョージが尋ねる。

「恥知らずの貴族家が一つ没落したそうだ。」
「ああ、取引先から見限られた家ですか。」
 ジョージは、波が引くように取引先を失った家に心当りを得たらしく、嗚呼と頷く。

「商売人が愛人業で利を得ようとするから失敗するんだ。貴族の本懐を忘れたのだろう。」

「思い切って娼館でも商っていたなら食い扶持に困る事も無かったでしょうね。」

「ふん、道理の解らぬ娼婦が一人に泥舟に乗った客一人。それでは商売にもなるまい。何より真実身体を張って稼ぐ娼婦達に失礼だろう。」

「仰る通りですね。」
「グレースには見せぬ様に。」
「承知致しました。」

 ジョージが新聞を片付ける。

「グレース様はいつものお時間に?」
「ゆっくり来るように言ってある。昨晩の舞踏会も盛況であったからな。少し休ませてやりたい。」

 先程までの冷淡な表情が、グレースの名を口にすると途端に柔らかな笑みを浮かべるのであった。



 子爵家は爵位を返上した。領地は王家預かりとなり、親族は引続き代官として王家の管轄の下に置かれた。

 今は平民となった元子爵の妻と令息は、その代官の下に身を寄せて、羊の世話や雑務など仕事を選ばず勤しんで、倹しく質素に暮らしている。

 令息には王都に婚約者がいた。
同じ子爵家の末娘で、長い婚約期間にも仲睦まじい二人であった。
 母と二人領地に引き上げ下働きも厭う事なく務めた息子は、これより数年の後に元貴族令嬢の妻を得た。
 不遇な年月を耐えた二人は、程なく子にも恵まれて、王都の喧騒を離れ穏やかな暮らしを得たのは何よりの幸いである。

 父であった元子爵は、没落後は深酒から来る病を得て、その後救護院に引き取られるも長く時を置かず没したと言う。
亡骸は、王都の共同墓地に埋葬された。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました

まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました 第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます! 結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

婚約者を想うのをやめました

かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。 「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」 最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。 *書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

あなたが選んだのは私ではありませんでした 裏切られた私、ひっそり姿を消します

矢野りと
恋愛
旧題:贖罪〜あなたが選んだのは私ではありませんでした〜 言葉にして結婚を約束していたわけではないけれど、そうなると思っていた。 お互いに気持ちは同じだと信じていたから。 それなのに恋人は別れの言葉を私に告げてくる。 『すまない、別れて欲しい。これからは俺がサーシャを守っていこうと思っているんだ…』 サーシャとは、彼の亡くなった同僚騎士の婚約者だった人。 愛している人から捨てられる形となった私は、誰にも告げずに彼らの前から姿を消すことを選んだ。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

処理中です...