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「まだ無理をしなくて良いんだぞ。」
「ご心配頂き有難うございます。ですがもう大丈夫ですわ。それよりも、すっかりロバート様に負担をお掛けしてしまいました。」
「そんな事は気にせずとも良いんだ。」
ロバートは渋顔である。
あの夜会の日から既に一週間が過ぎていた。離縁の話し合いを父に任せたまま、今日まで連絡は無い。知らせが無いのは気になるも、いつまでも引き籠ってはいられない。
商会は今、多忙を極めている筈である。夜会で着ていたドレスは王女殿下からご所望を受けた。あれから御婦人方からも問い合わせや注文が立て込んでいる事だろう。
何より、王女のドレスを来月までに仕立てなければならない。婚約の席に相応しくデザインの修正が必要となる。
ロバートと伯爵夫妻にすっかり甘えさせてもらっていたが、そろそろ仕事の遅れを巻き戻したい。
「ロバート様が一緒なのですから、何も心配はありませんわ。」
そう言えば、ロバートは漸く納得してくれた。
ロバートの邸に滞在しているのだから当然なのだが、商会への行き帰りも二人揃って行動する。
ギャラリーへ顔を出すのは流石に控えて、生産の確認やら職人達との打ち合わせやらと仕事は山積みであったから、邸に籠っていた時よりも随分と気が紛れた。
仕事に助けられると云うのは本当の事であるらしい。
数日もすれば仕事を離れて鈍った身体も漸く慣れて、ロバート一人では捌き切れなかった用件も二人揃えばで難なく片付いた。
そうしてグレースは王城へ登城する事となった。ドレスを補正するに当たって、王女の希望を確認する為である。
「グレース夫人、んん、夫人とお呼びして良いのかしら。」
王女殿下にまで気を使わせてしまう情けなさ。
「どうぞグレースとお呼び下さいませ。」
「ではその様に。早速ですがグレース嬢、その、大丈夫?」
王女がたちまち呼び名に嬢を付けたのに、グレースは思わず吹き出しそうになった。そうだわ。私ったらもうすぐ「グレース嬢」に戻るのだわ。
王女殿下は将来降嫁される御身から、幼い頃より民に寄り添う教育を施されていた。故にこんな気さくな風に心遣いをして下さる。
「何だか驚くほど可怪しな令嬢だったわね。あの場であの様に騒ぐとは余程の強心臓ではないかしら。家の事情はそれぞれですけど、貴女は本当に大変なお家に嫁がれたと思うのよ。」
「お心遣いを頂戴しまして有難うございます。あの場では早々に収める事が適わず申し訳ございませんでした。」
「いえ、そんな事は気にせずとも良いのよ。ところで貴女、これからどうなさるの?」
「お恥ずかしい事ですが、父を通して離縁の話し合いを致しております。」
「まあ。貴女ばかりが勝手を強いられて。良い方向に行くのを祈っているわ。」
王女殿下にまで励まされてしまい、グレースはすっかり恥じ入った。
それからはドレスの確認も滞りなく進み、納品の目安を伝えてから退席した。
王宮の侍女に案内されて、長い回廊を王城の馬車止まりまで歩く。
城内は、何処もかしこも様式美を計算し尽くした美の結晶の様な空間である。目に映るもの全てが美しい。
天井まで見惚れて歩いていると回廊の先に遠目にも分かる高貴な姿が現れた。
侍女と共に脇に控えて頭を垂れる。彼の方が通り過ぎるのをそのまま待てば、
「グレース嬢。」
お声掛けを頂戴した。
「もうグレース嬢と呼んで宜しいかな?」
ああ恥ずかしい。ことごとく王族達に離縁の身であるのを確認される。
「漸く自由の身であるな。お目出度う。」
「お心遣い痛み入ります、アレックス王太子殿下。」
「畏まらずとも良いよ。同窓であろう。」
グレースは、アレックス殿下とは貴族学園の同窓である。同じ学年で共に学んでいた。
「知らぬ仲でもなかろう。偶にはこうして気安く話せる時間も欲しいのだよ。で、これからどうするのかな?」
アレックス殿下が気軽な風に尋ねる。
「まだ先の事は決まっておりません。暫くは商会経営に勤しもうかと。」
「ふうん。君程の才媛だ。引く手数多であろうよ。全くもって惜しい事をした。あの盆暗に奪われなければ私が妃に求めたのを。」
殿下の軽口は続く。
「滅相も御座いません。」
「まあ、昔のよしみで偶には話し相手になって欲しいものだね。」
軽口を言いたいだけ言ってから、アレックス殿下はではまたと去って行った。
ほんの一刻ほどの事であったのだが、グレースはどっと疲れてしまった。
「なんだかとっても疲れたわ。」
「お疲れ様でございます。」
馬車で待っていたフランシスに労われる。王女殿下からも王太子殿下からも離縁の話しを尋ねられ、侍女や護衛の見守る中にいてその恥ずかしい事と言ったら。
「離縁って、大変ね。」
「お察し致します。」
ところがグレースの苦労はこれだけで済まなかった。
「阿呆が突撃してきたよ。」
「え?」
リシャールが商会に現れたと言う。
ロバートの言葉に固まるグレース。
「真逆、」「真逆だ。」
「本当に?」「本当だ。」
困った元夫である。もうこの際、元夫と呼んでもよいだろう。離縁が覆る事はないのだから。
そうしてもしかしたらと覚悟をすれば、やはりこうなる。
「グレース!お願いだ、話しを聞いてくれ。」
出禁なんて何のその。商会へ二度目の突撃を果たしたリシャールに、とうとうグレースは対峙せねばならなくなった。
「ご心配頂き有難うございます。ですがもう大丈夫ですわ。それよりも、すっかりロバート様に負担をお掛けしてしまいました。」
「そんな事は気にせずとも良いんだ。」
ロバートは渋顔である。
あの夜会の日から既に一週間が過ぎていた。離縁の話し合いを父に任せたまま、今日まで連絡は無い。知らせが無いのは気になるも、いつまでも引き籠ってはいられない。
商会は今、多忙を極めている筈である。夜会で着ていたドレスは王女殿下からご所望を受けた。あれから御婦人方からも問い合わせや注文が立て込んでいる事だろう。
何より、王女のドレスを来月までに仕立てなければならない。婚約の席に相応しくデザインの修正が必要となる。
ロバートと伯爵夫妻にすっかり甘えさせてもらっていたが、そろそろ仕事の遅れを巻き戻したい。
「ロバート様が一緒なのですから、何も心配はありませんわ。」
そう言えば、ロバートは漸く納得してくれた。
ロバートの邸に滞在しているのだから当然なのだが、商会への行き帰りも二人揃って行動する。
ギャラリーへ顔を出すのは流石に控えて、生産の確認やら職人達との打ち合わせやらと仕事は山積みであったから、邸に籠っていた時よりも随分と気が紛れた。
仕事に助けられると云うのは本当の事であるらしい。
数日もすれば仕事を離れて鈍った身体も漸く慣れて、ロバート一人では捌き切れなかった用件も二人揃えばで難なく片付いた。
そうしてグレースは王城へ登城する事となった。ドレスを補正するに当たって、王女の希望を確認する為である。
「グレース夫人、んん、夫人とお呼びして良いのかしら。」
王女殿下にまで気を使わせてしまう情けなさ。
「どうぞグレースとお呼び下さいませ。」
「ではその様に。早速ですがグレース嬢、その、大丈夫?」
王女がたちまち呼び名に嬢を付けたのに、グレースは思わず吹き出しそうになった。そうだわ。私ったらもうすぐ「グレース嬢」に戻るのだわ。
王女殿下は将来降嫁される御身から、幼い頃より民に寄り添う教育を施されていた。故にこんな気さくな風に心遣いをして下さる。
「何だか驚くほど可怪しな令嬢だったわね。あの場であの様に騒ぐとは余程の強心臓ではないかしら。家の事情はそれぞれですけど、貴女は本当に大変なお家に嫁がれたと思うのよ。」
「お心遣いを頂戴しまして有難うございます。あの場では早々に収める事が適わず申し訳ございませんでした。」
「いえ、そんな事は気にせずとも良いのよ。ところで貴女、これからどうなさるの?」
「お恥ずかしい事ですが、父を通して離縁の話し合いを致しております。」
「まあ。貴女ばかりが勝手を強いられて。良い方向に行くのを祈っているわ。」
王女殿下にまで励まされてしまい、グレースはすっかり恥じ入った。
それからはドレスの確認も滞りなく進み、納品の目安を伝えてから退席した。
王宮の侍女に案内されて、長い回廊を王城の馬車止まりまで歩く。
城内は、何処もかしこも様式美を計算し尽くした美の結晶の様な空間である。目に映るもの全てが美しい。
天井まで見惚れて歩いていると回廊の先に遠目にも分かる高貴な姿が現れた。
侍女と共に脇に控えて頭を垂れる。彼の方が通り過ぎるのをそのまま待てば、
「グレース嬢。」
お声掛けを頂戴した。
「もうグレース嬢と呼んで宜しいかな?」
ああ恥ずかしい。ことごとく王族達に離縁の身であるのを確認される。
「漸く自由の身であるな。お目出度う。」
「お心遣い痛み入ります、アレックス王太子殿下。」
「畏まらずとも良いよ。同窓であろう。」
グレースは、アレックス殿下とは貴族学園の同窓である。同じ学年で共に学んでいた。
「知らぬ仲でもなかろう。偶にはこうして気安く話せる時間も欲しいのだよ。で、これからどうするのかな?」
アレックス殿下が気軽な風に尋ねる。
「まだ先の事は決まっておりません。暫くは商会経営に勤しもうかと。」
「ふうん。君程の才媛だ。引く手数多であろうよ。全くもって惜しい事をした。あの盆暗に奪われなければ私が妃に求めたのを。」
殿下の軽口は続く。
「滅相も御座いません。」
「まあ、昔のよしみで偶には話し相手になって欲しいものだね。」
軽口を言いたいだけ言ってから、アレックス殿下はではまたと去って行った。
ほんの一刻ほどの事であったのだが、グレースはどっと疲れてしまった。
「なんだかとっても疲れたわ。」
「お疲れ様でございます。」
馬車で待っていたフランシスに労われる。王女殿下からも王太子殿下からも離縁の話しを尋ねられ、侍女や護衛の見守る中にいてその恥ずかしい事と言ったら。
「離縁って、大変ね。」
「お察し致します。」
ところがグレースの苦労はこれだけで済まなかった。
「阿呆が突撃してきたよ。」
「え?」
リシャールが商会に現れたと言う。
ロバートの言葉に固まるグレース。
「真逆、」「真逆だ。」
「本当に?」「本当だ。」
困った元夫である。もうこの際、元夫と呼んでもよいだろう。離縁が覆る事はないのだから。
そうしてもしかしたらと覚悟をすれば、やはりこうなる。
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