今日も空は青い空

桃井すもも

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 今宵の夜会の目的は既に果たした。上出来どころかこれ以上無い程の成果である。

 商人の性が疼いて、グレースは頭の中で早速明日の作業を組み立てる。

 ドレスの注文は予想の数を大幅に超えるだろう。夜会用と茶会用。グレースが着た夜会向けのドレスと昼間の茶会向けのドレス。
 王女殿下が婚約との顔合わせに御召しになるドレスとそれを元にしたプレタポルテである。
 きっと令嬢方から注文が殺到するだろう。そちらの生産予定も組まねばならない。それより何より可及であるのは王女殿下のドレスだ。可憐な王女に相応しい気品あるドレスをご用意したい。
 余裕を見ていた生地の在庫も足りなくなるかもしれない。クリスタルビーズは仕入れ先の在庫を抑えてしまおう。

「グレース、頭の中が忙しそうだね。」
「まあ、ロバート様も同じ事を考えていたのでしょう?」
「ああ。明日からおちおちサボタージュする事もままならないのかと絶望していたところだよ。」
「さぼらせなんかさせません。馬車馬の様に働いて頂きます。」
「君が手綱を引いてくれるなら頑張っても良いかな。」
「それでは存分にこき使って差し上げますわ。」

 ロバートとシャンパンのグラスを合わせて、二人だけの前祝いに乾杯をする。


 二人は今、人混みを避けて静かなテラスに出ていた。
 先程迄は貴族達に囲まれて、ドレスに始まり首飾りに耳飾りについて質問攻めにあっていた。ロバートはジャケットの表も裏も確かめようと、剥かれんばかりの勢いで何故かご婦人方まで集まったから、流石の美丈夫も慌てる風に見えた。

 漸く一息ついて、グレースは横にいるロバートを見上げた。

「ロバート様。貴方は私の名誉であり誇りです。貴方をパートナーとして得られた私は、自分の幸運を神に感謝しなければなりません。」

 グレースは、喧騒の興奮が未だ冷めやらない。頬を紅潮させながらロバートに言う。

「それは私の台詞だよ、グレース。君を得られた私こそ、幸福な男だよ。」

 端から聞いたなら、どんな愛の告白であろうと思うだろうが、これは純然たるビジネスパートナーへの賛辞なのだ。

 家庭は問題だらけである。なのにビジネスは日を追うごとに成長し、パートナーとの結束は固い。
 全てが満点とはいかないのだからの人生は難しい。

 難しい事は一旦脇に置いて、今はただこの幸福な時間を互いに祝おう。明日はこの喜びを職人や使用人達と分かち合おう。

 冷えたシャンパンに心地良く酔いながら、グレースは幸せを噛み締めた。
 

 宵の風が心地良い。
ロバートも同じ気持ちであったらしく、見上げればロバートもグレースを見つめていた。それを合図にどちらともなく微笑み合う。

 夫とはこれからも波乱しか予想できないが、経営者としては得難いパートナーに恵まれた。今宵の幸せはロバート無くして得られなかった。

 この先にどんな未来があったとしても、彼となら苦労も楽しく思えるかもしれない。
 苦労が楽しいだなんて。可笑しな発想に再び笑みを漏らしたグレースであった。


 そんなグレースを、悪戯な神は試したかったのだろうか。

 夜風に頬の火照りも鎮まって、そろそろホールへ戻ろうとテラスを後にした。
ホールへと一歩踏み込んだ時、

「ちょっと貴女。貴女にお話しがあるの。」

 目の前に急に現れた人影に、グレースは思わず声を上げそうになるのをすんでで堪えた。
 聞き覚えのある高い声。やっぱりこのまま終わらない。幸せの後には嵐が到来するのだと理解した。


「エヴァントン子爵ご令嬢、私に何か御用でしょうか?」
 どうしても対峙せねばならない定めなのか。

「ええ、貴女がなんにもお分かりでない様だから教えて差し上げようと思ったの。」

「それは何事でございますの?」
 聞きたいとは思わないが聞かなければ駄目なのだろう。


 目敏い観客が集まって来る。
来た来た、これを待っていた。本妻と愛人の対峙する舞台。それを間近で観覧したいと野次馬貴族がそれとはなしに近寄って来る。耳に届くざわめきがそれを教えていた。

「ふん。涼しい顔もこれまでよ。良く聞いてね。貴女、リシャールとはお別れよ。よくも今迄あの人を縛りつけていたわね。」

「それはどういう「私、子が出来たの。リシャールの子よ。私が侯爵家の跡取りを産むのよ。」


 グレースは、直ぐには反応出来なかった。

「ふん、何も言えないのかしら。貴女、作法がなってないのでは?お目出度うくらい言えないの?」

「言葉が過ぎるぞ、エヴァントン子爵令嬢。」

「あ、貴方なんて伯爵家でしょう。私はリシャールの妻になるのよ、侯爵夫人よ!侯爵家の跡取りを産むのよ!」

 今は子爵令嬢であるイザベルは、既に心は侯爵夫人であるらしい。リシャールは我が子を懐妊した愛人を妻に迎えるのだろう。
どうやらグレースとの婚姻の約束を違えたらしい。

 グレースはまだ侯爵家の人間である。
 ここは王城で、今日は王女の祝いの席である。こんな痴情で汚して良い場では無い。


「エヴァントン子爵ご令嬢。ここは王女殿下のお祝いの場です。お話は分かりました。ですが、今は相応しい話題ではございません。私は邸に戻りましょう。話は夫と致します。」

 これで話は仕舞いだと会釈をして会場を出る事にした。

「お待ちなさいな、まだ話は終わってないわ!離縁を受け入れなさいな貴女!私はリシャールの子を「馬鹿なのか、君は。」

 高く響く声は尚もグレースを引き止めて、何としても今ここで離縁を認めさせようと思うらしい。そのイザベルをロバートが制止する。

「礼儀も常識も弁えられぬ痴れ者が侯爵家の夫人となるのであれば、侯爵家の未来は余程暗いことであろう。私は君達に関わるなんぞ未来永劫御免蒙ごめんこうむろう。」

 ロバートは、彼の啖呵に呆気に取られるグレースの手を握り、そのまま夜会の会場を後にした。

 好奇の目が二人を追うもロバートの歩みは止まらない。それに励まされるように力を得て、グレースもどうにか歩みを進める。

 リシャールの子をイザベルが宿した。
 その事実が、グレースの頭を埋め尽くした。



 控えていたフランシスが既に馬車を手配していた。ロバートに力強く手を繋がれたまま、早足で馬車まで進む。

「グレース!待ってくれ!グレース!」

 後ろにグレースを追う声を聞いた。振り向かなくとも分かる。馴染んだ夫なのだから。

 リシャールが駆け寄りグレースの腕を掴む寸前に、ロバートがグレースを抱き上げた。
 その行動と突然視界が変わったことに驚き声も出せないグレースを抱えて、ロバートはステップを大股で駆け上り、そのまま馬車に乗り込んだ。

「離せ!グレースを離せ!」

 リシャールが叫ぶ声がする。その声を背に、フランシスが扉を閉めて御者に馬車を出せと指示をした。

「グレース!グレース!」

 遠くなるリシャールの声を、グレースはロバートに抱き上げられたまま呆然と聞いていた。





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