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「お早う御座います、グレース様。」
「お早う、ジョージ。」
「昨晩は如何でしたでしたか。」
「上々よ。直ぐにも注文が重なりそうだわ。早速だけれど資材の在庫を確認してほしいの。それから、作業日程の見直しをしましょう。そうそう、その前に職人達に臨時の手当だわ。装飾品の評判が予想以上に良かったの。お褒めのお言葉を沢山頂戴したのよ。彼らの技が認められて、私も嬉しかったわ。」
ジョージはグレースの商会の支配人である。仕入・製造・販売から人員の手配まで、彼が全てを管理してくれている。
ジョージは共同経営者であるロバートの部下であるのを、商会を立ち上げた際に責任者として任に着いてもらった。
元々は、ロバートの伯爵家に仕える従者の家系で、グレースも彼には信を置いていた。歳の頃もロバートに近く、幼い頃から側近同様に育ったらしい。
「少し工房に顔を出して来るわね。」
「私もご一緒致しましょう。」
ジョージを伴って、商会の奥に併設されている工房へと向かう。
工房は、被服と装飾品のエリアに分かれており、グレースは始めにドレス工房を訪れた。
帝国から兄の口利きでミシンを買い付けたのだがそれが思いの外優秀で、使い勝手も良く糸の絡まりも少なく、縫い目も均等で目が飛ばない。
美しい縫製技術は商会の自慢であった。
ドレスの評判は上々であった。注文が立て込むであろうからこれから忙しくなるが、引き続き丁寧な作業を頼む。そう言えば職人達は目を輝かせた。
彼等は皆、無学の平民ばかりであるが、勤勉で手先が器用で良い仕事をしてくれる。そんな職人達をグレースは宝と思って大切にして来た。
彼らにもその思いが伝わっているのだろう。多少の無理を頼んでも、彼等は必ず納期前に仕上げてくれるのである。
グレースはそれから装飾部門の工房へ移動した。こちらは先程と違い音が少ない。
縫製部門はミシンの音が賑やかであったが、ここは職人が手作業で装飾品を製作しており音が少ない。細い針と糸、もしくは銅線で細かなパーツを編み上げて行くので、僅かな音がするだけの静かな空間である。
「マリー。少し良いかしら。」
「はい!グレース様。」
会頭に声を掛けられて、緊張気味にマリーが立ち上がろうとする。
「ああ、そのままで良いわ。邪魔をしてしまってごめんなさいね。」
「いえ、グレース様、とんでもございません!」
マリーは三十を越えたばかりであろうか。近隣に住まう下町の婦人である。文盲であるが教えると覚えが早く間違わない。最低限の単語に数字、記号を教えてレシピを覚えさせれば、あとは確かな針さばきで繊細なパーツを器用に美しく編み上げて行く。彼女もまた、グレースの宝であった。
「マリー、首飾りの評判がとっても良かったのよ。特に花弁の造形が素晴らしいと沢山の御婦人方も見入っていたわ。流石の技術ね、貴女方は私の財産よ。鼻高々と言うけれど、正しくそんな気持ちだったのよ。」
マリーが恥ずかしげにエプロンを握り締めた。
それからグレースはマリーの側で手を動かす職人達に声を掛けて歩く。グレースは職人達の名を全て憶えている。だから声を掛ける時には必ず彼女等の名を呼ぶ。
装飾品の製造は完全なる分業である。流れ作業で作られる。
パーツ毎に担当の職人や針子が割り当てられて、最終的にそれらを組み合わせて一つの作品を作り上げる。誰が欠けても完品に至らない。
マリーはその総まとめを受け持っていた。本人もパーツ造りを担当しているが、全体の組み立ては最終的にはマリーの仕上げとなることが多い。手が早く仕上がりが美しいのだから、これも才の一つであろう。
職人達を労いながら、彼ら彼女らの手元を見せてもらう。
宝石や輝石ばかりではなく、真鍮やガラスのパーツも使用される。特に吹きガラスは指先で簡単に潰れて割れるほど薄く繊細であるのだが、その朧げな風合いと光の反射の加減がなんともいえぬ美しさを持つ。
繊細で高価なパーツを器用に編み込み美しい造形が生みだす過程は、何度見ても溜め息が出るほど見事なものである。
午後には銀行に寄って、手当に充てる現金を引き出してこよう。ジョージとそんな話しをしながら事務所に戻れば、ロバートが出社していた。
「ロバート様、お早うございます。昨晩はお疲れ様でございました。」
「ああ、グレース。君も御苦労様。御婦人方には好評であったね。君の着こなしが美しかったからだよ。」
「それはロバート様が素敵だったからでしょう。御婦人方は皆様ロバート様に釘付けでしたもの。それからたった今、工房を覗いて来ましたの。皆が良い仕事をしてくれておりますから。」
「ああ、私も後で行ってみるよ。」
「是非そうなさって。皆の励みになりますわ。」
「ところでグレース、その、大丈夫だったかな?」
ロバートは、昨晩のリシャールの事を言っているらしい。
「何だか君に物言いたげであったからね。全く勝手なものだ。」
リシャールとイザベルの関係は長く、婚姻後も関係を続ける二人の姿は、貴族の間では醜聞を通り越して目早常識となっていた。ロバートは学生時代から二人を知っているので、尚の事この歪な夫婦関係を案じているのだろう。
「お気を使わせてしまって申し訳ありません。大丈夫ですわ。今朝もご機嫌であちらの邸に戻られましたから。」
そう言えば、「うん。」と答えるロバートは、苦い物を噛んだ様な顔をした。
常識では理解し難い夫婦関係なのだろう。確かにそうだろう。グレース本人もそう思うのだから。
「お早う、ジョージ。」
「昨晩は如何でしたでしたか。」
「上々よ。直ぐにも注文が重なりそうだわ。早速だけれど資材の在庫を確認してほしいの。それから、作業日程の見直しをしましょう。そうそう、その前に職人達に臨時の手当だわ。装飾品の評判が予想以上に良かったの。お褒めのお言葉を沢山頂戴したのよ。彼らの技が認められて、私も嬉しかったわ。」
ジョージはグレースの商会の支配人である。仕入・製造・販売から人員の手配まで、彼が全てを管理してくれている。
ジョージは共同経営者であるロバートの部下であるのを、商会を立ち上げた際に責任者として任に着いてもらった。
元々は、ロバートの伯爵家に仕える従者の家系で、グレースも彼には信を置いていた。歳の頃もロバートに近く、幼い頃から側近同様に育ったらしい。
「少し工房に顔を出して来るわね。」
「私もご一緒致しましょう。」
ジョージを伴って、商会の奥に併設されている工房へと向かう。
工房は、被服と装飾品のエリアに分かれており、グレースは始めにドレス工房を訪れた。
帝国から兄の口利きでミシンを買い付けたのだがそれが思いの外優秀で、使い勝手も良く糸の絡まりも少なく、縫い目も均等で目が飛ばない。
美しい縫製技術は商会の自慢であった。
ドレスの評判は上々であった。注文が立て込むであろうからこれから忙しくなるが、引き続き丁寧な作業を頼む。そう言えば職人達は目を輝かせた。
彼等は皆、無学の平民ばかりであるが、勤勉で手先が器用で良い仕事をしてくれる。そんな職人達をグレースは宝と思って大切にして来た。
彼らにもその思いが伝わっているのだろう。多少の無理を頼んでも、彼等は必ず納期前に仕上げてくれるのである。
グレースはそれから装飾部門の工房へ移動した。こちらは先程と違い音が少ない。
縫製部門はミシンの音が賑やかであったが、ここは職人が手作業で装飾品を製作しており音が少ない。細い針と糸、もしくは銅線で細かなパーツを編み上げて行くので、僅かな音がするだけの静かな空間である。
「マリー。少し良いかしら。」
「はい!グレース様。」
会頭に声を掛けられて、緊張気味にマリーが立ち上がろうとする。
「ああ、そのままで良いわ。邪魔をしてしまってごめんなさいね。」
「いえ、グレース様、とんでもございません!」
マリーは三十を越えたばかりであろうか。近隣に住まう下町の婦人である。文盲であるが教えると覚えが早く間違わない。最低限の単語に数字、記号を教えてレシピを覚えさせれば、あとは確かな針さばきで繊細なパーツを器用に美しく編み上げて行く。彼女もまた、グレースの宝であった。
「マリー、首飾りの評判がとっても良かったのよ。特に花弁の造形が素晴らしいと沢山の御婦人方も見入っていたわ。流石の技術ね、貴女方は私の財産よ。鼻高々と言うけれど、正しくそんな気持ちだったのよ。」
マリーが恥ずかしげにエプロンを握り締めた。
それからグレースはマリーの側で手を動かす職人達に声を掛けて歩く。グレースは職人達の名を全て憶えている。だから声を掛ける時には必ず彼女等の名を呼ぶ。
装飾品の製造は完全なる分業である。流れ作業で作られる。
パーツ毎に担当の職人や針子が割り当てられて、最終的にそれらを組み合わせて一つの作品を作り上げる。誰が欠けても完品に至らない。
マリーはその総まとめを受け持っていた。本人もパーツ造りを担当しているが、全体の組み立ては最終的にはマリーの仕上げとなることが多い。手が早く仕上がりが美しいのだから、これも才の一つであろう。
職人達を労いながら、彼ら彼女らの手元を見せてもらう。
宝石や輝石ばかりではなく、真鍮やガラスのパーツも使用される。特に吹きガラスは指先で簡単に潰れて割れるほど薄く繊細であるのだが、その朧げな風合いと光の反射の加減がなんともいえぬ美しさを持つ。
繊細で高価なパーツを器用に編み込み美しい造形が生みだす過程は、何度見ても溜め息が出るほど見事なものである。
午後には銀行に寄って、手当に充てる現金を引き出してこよう。ジョージとそんな話しをしながら事務所に戻れば、ロバートが出社していた。
「ロバート様、お早うございます。昨晩はお疲れ様でございました。」
「ああ、グレース。君も御苦労様。御婦人方には好評であったね。君の着こなしが美しかったからだよ。」
「それはロバート様が素敵だったからでしょう。御婦人方は皆様ロバート様に釘付けでしたもの。それからたった今、工房を覗いて来ましたの。皆が良い仕事をしてくれておりますから。」
「ああ、私も後で行ってみるよ。」
「是非そうなさって。皆の励みになりますわ。」
「ところでグレース、その、大丈夫だったかな?」
ロバートは、昨晩のリシャールの事を言っているらしい。
「何だか君に物言いたげであったからね。全く勝手なものだ。」
リシャールとイザベルの関係は長く、婚姻後も関係を続ける二人の姿は、貴族の間では醜聞を通り越して目早常識となっていた。ロバートは学生時代から二人を知っているので、尚の事この歪な夫婦関係を案じているのだろう。
「お気を使わせてしまって申し訳ありません。大丈夫ですわ。今朝もご機嫌であちらの邸に戻られましたから。」
そう言えば、「うん。」と答えるロバートは、苦い物を噛んだ様な顔をした。
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