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一度そんな風に思うと、この男の事さえ違う人に見えて来た。

王都に住まうエドガーと、目の前でコレットの瞳を覗き込むエドガーが、名と顔が同じなだけの別人の様に思えて来る。

「コレット」
肩肘をついて横になったまま、空いた方の手でコレットの頬を撫で髪を梳く。

親指でコレットの下唇をなぞり、温かな大きな手のひらで頬を包む。

「コレット」
笑顔も無駄口もタダでは出さない男の声は、低く短い。
なのに、耳の奥まで響いて胸の奥まで沁みて来る。

王都にいた時も、..
コレットはそこで思考を止める。
いつもここで立ち止まる。そうしないと、思考は勝手にその先に進もうとする。

エドガーが頬を撫でる。
まるで、いつか己が打ったそこに未だ痛みが残っていないか気にする様に。

旦那様、反対側よ。貴方が打ったのは左の頬よ。
そんな事を考えて、思わずクスリと笑みが漏れてしまった。

「コレット」
くすぐったいのだと勘違いしたらしいエドガーが、コレットの名を呼ぶ。

どれだけ口が重いのか、名を呼ぶばかりで他には何も語らない。

どうして此処に来るのか。
どうしてコレットと身を重ねるのか。

王都はどうなっているのか。
王都の「妻」とはどうしているのか。



女主のこの邸には、エドガーが連れていたような従者は居らず、男の使用人は数える程で、女ばかりの園である。
だからコレットは我儘を言って、広間にある邸内で一番大きな窓の側を陣取って眠りに就く。

夕暮れ時の、瞬く間に表情を変えて行く港と街の風景も好きであったが、皆が寝静まる真夜中の景色も好きだった。

日中の喧騒が静まって、小さな咳さえ響いてしまう、しんと静まる夜更けの窓辺。
灯りの瞬く港とそこから伸びる海、まだ行ったことのない遠くの山並が闇に浮かび上がるのを眺める夜が好きであった。

侍女頭がそれとなく人払いをしてくれるので、夫人が広間で眠るなどという恥ずかしい事を楽しんでいる。

王都の邸の夫人の部屋で、一人で眠る夜は静かであった。
昨日と変わらない今日を過ごせた事を安堵して眠る夜であった。

この街は夜も眠らないらしい。
深夜になってもあちらこちらに灯りが見えて、消えた灯りは民家なのだろうか。

岸壁に係留せずに湾内で停泊する船がある。ブイや錨を降ろさずに船を停止させているのだという。
何処にも繋がれず、ただ水面に浮かぶ船が、まるで自分の様だとコレットは思った。
自由の身ではないのに、夜に休む時を何者にも縛られず波間に逗まる。

窓に貼り付く様にして眼下まで眺めては、昼間の風景と照らし合わせて、あそこは酒屋ね、あそこは医院ねと一人謎々の答え合わせをする。
大抵途中で侍女のセリアか侍女頭が温かな飲み物を携えて、お体が冷えますよ、そろそろお休み下さいと促されて、漸く眠りに就く。

そうして、微睡みながらいつかの疑問を思い出す。

どうして此処に来るの?
どうして私と身を重ねるの?
王都はどうなっているの?
王都の「妻」とはどうしているの?

私の事を貴方は一体、どうしたいの?





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