クーパー伯爵夫人の離縁

桃井すもも

文字の大きさ
上 下
11 / 32

【11】

しおりを挟む
王都の伯爵邸に戻ってからも、コレットの気持ちは沈んだままであった。

結局コレットはエドガーとは別々に帰って来た。
エドガーはあの足で商談があるからと、そのままそちらへ向かった。

それは言葉だけで、あの後未亡人と合流したのかもしれない。 
コレットがチェックアウトして空いた、港を一望出来る特別室を未亡人に充てがったとか。

事実がどうかは分からないのに、それが真実に思えてくる。
次第に、未亡人の為に追い出されたと思えてきて、ならばもっとランクの下る宿で長逗留を決めたかったと、腹の底から何かがむくむく湧いて来るのを感じた。

それでも、夫の不在の邸でマナーとピアノのレッスンが再開されると、少しずつ日常を取り戻していった。


その日も邸内の庭園を散策していた。
以前、エドガーの詮索が入った事があったが、疚しい所が一点もないコレットは、あれからも庭師に花木のあれこれを聞いていた。

あの海辺の街に邸を得られたら、小さな庭を花でいっぱいにしよう。
心の中ではすっかり海街の住人であった。

コレットは、離縁後の住まいをあの海街に決めた。
王都からの近さを嫌っていたのが、見方を変えれば、下調べをするにも都合が良いし、あれだけの人が行き来しているのだから、万が一見知った顔とすれ違ったとしても、お互い気付く事は無いだろう。

何より、コレット自身がすっかり街の虜になってしまった。

何処までも澄み渡る青い空。その下に犇めく玩具の様な街並み。
夕日に染まる茜の空とそれらを映して紫に染まる海の色。
藍色の空が色を深めて夕闇を迎える頃には、街中が瞬き揺れて街明かりに浮き上がる。

美しい空。
美しい海。
美しい街。

いつかあの港から船に乗って海の旅をしてみたい。

出来るとか出来ないとか、そんな事はどうでも良くて、ただ思うだけで胸が踊って心が弾む。何も無かった日常が色付く。こんな気持ちを今まで抱いた事が無かった。

マナーもピアノも花のことも、学べる機会を大切にと没頭すれば、不安を囁く煩い声は消えて行った。 




この世に生きている限り先立つものは金である。
コレットは聖人ではないから、霞を食べては生きられない。

もう夜会に出ることも僅かだろうと処分したドレスは無事に換金された。
独り身になってからの為に簡素な服を購入したが、元手のドレスはそれらの値段を遥かに上回った。

精算の内容を確認して、受け取った代金を銀行へ預ける。
夫人個人の収入であるから伯爵家の帳簿には乗らない金だが、念には念を入れる事にした。


侍女だけを伴って王都の銀行へ赴いた。
ロビーマネージャーに案内された部屋の前で侍女を待たせておく。
ここからはコレット一人である。
そこで新たな口座を開設した。

婚姻して直ぐ、エドガーは夫人の予算を管理する預金口座を作ってくれた。
それはコレットの資産であるが、出所が伯爵家の経費であるのだから、離縁の際に引き戻されるのではないかと不安であった。
後継を産めなかった責を負わされて、没収されるのではないか。

夫の手の届かない、コレットだけが管理出来る資金を確保したかった。

婚姻の際に両親から譲られた個人資産は別の銀行にある。
併せた金額で、邸を購入し使用人を雇い当面の暮しを支えなければならない。

世間を知らない貴族夫人が、これまでした事も無い無謀な計画を立てている。不安な気持ちに押し潰されそうになるも、あの海街の街灯りを思い出して自分を奮い立たせた。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

大好きなあなたが「嫌い」と言うから「私もです」と微笑みました。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
私はずっと、貴方のことが好きなのです。 でも貴方は私を嫌っています。 だから、私は命を懸けて今日も嘘を吐くのです。 貴方が心置きなく私を嫌っていられるように。 貴方を「嫌い」なのだと告げるのです。

口は禍の元・・・後悔する王様は王妃様を口説く

ひとみん
恋愛
王命で王太子アルヴィンとの結婚が決まってしまった美しいフィオナ。 逃走すら許さない周囲の鉄壁の護りに諦めた彼女は、偶然王太子の会話を聞いてしまう。 「跡継ぎができれば離縁してもかまわないだろう」「互いの不貞でも理由にすればいい」 誰がこんな奴とやってけるかっ!と怒り炸裂のフィオナ。子供が出来たら即離婚を胸に王太子に言い放った。 「必要最低限の夫婦生活で済ませたいと思います」 だが一目見てフィオナに惚れてしまったアルヴィン。 妻が初恋で絶対に別れたくない夫と、こんなクズ夫とすぐに別れたい妻とのすれ違いラブストーリー。 ご都合主義満載です!

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

【完結】結婚式前~婚約者の王太子に「最愛の女が別にいるので、お前を愛することはない」と言われました~

黒塔真実
恋愛
挙式が迫るなか婚約者の王太子に「結婚しても俺の最愛の女は別にいる。お前を愛することはない」とはっきり言い切られた公爵令嬢アデル。しかしどんなに婚約者としてないがしろにされても女性としての誇りを傷つけられても彼女は平気だった。なぜなら大切な「心の拠り所」があるから……。しかし、王立学園の卒業ダンスパーティーの夜、アデルはかつてない、世にも酷い仕打ちを受けるのだった―― ※神視点。■なろうにも別タイトルで重複投稿←【ジャンル日間4位】。

いっそあなたに憎まれたい

石河 翠
恋愛
主人公が愛した男には、すでに身分違いの平民の恋人がいた。 貴族の娘であり、正妻であるはずの彼女は、誰も来ない離れの窓から幸せそうな彼らを覗き見ることしかできない。 愛されることもなく、夫婦の営みすらない白い結婚。 三年が過ぎ、義両親からは石女(うまずめ)の烙印を押され、とうとう離縁されることになる。 そして彼女は結婚生活最後の日に、ひとりの神父と過ごすことを選ぶ。 誰にも言えなかった胸の内を、ひっそりと「彼」に明かすために。 これは婚約破棄もできず、悪役令嬢にもドアマットヒロインにもなれなかった、ひとりの愚かな女のお話。 この作品は小説家になろうにも投稿しております。 扉絵は、汐の音様に描いていただきました。ありがとうございます。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

処理中です...