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クーパー伯爵邸には図書室がある。

エドガーの母が読んだらしい小説が残っており、もはや古典文学に属するだろうそれらをコレットも時々読んだりしていた。

本を探すのは、大抵は王都の図書館に赴くのだが、今直ぐ何か読みたい衝動に駆られた時には、邸の図書室は重宝する。

ピアノの教本か譜面が無いか探してみると、やはりあった。
古いものでも音色が良ければ十分鑑賞出来るのである。色々と練習してレパートリーを増やしたいと思った。

日がな一日ピアノに没頭していると、
「一日中ピアノの側にいたそうだが何をしているのだ?」
と、エドガーから詮索されてしまった。

「下手の横好きですからお耳汚しですね。申し訳ございません。」

その場ではそう言って、翌日、執事のヘンリーに声を掛けた。

「娘時代のピアノが懐かしくて久しぶりに弾いてみたのだけど、やはり駄目ね。旦那様のお耳汚しになってしまうみたい。お仕事のお邪魔になってはいけないから、離れに移すことはできないかしら。」
そう頼んだ。

願いはすんなり通って、その日のうちに本邸の真隣にある離れの邸に運んでもらえた。
ホールにピアノを納めると、小さなコンサートホールのようでなかなか良いと胸が弾んだ。

元々茶会や夫人の集まりごとに出歩く事もなかったので、一人離れに籠もってピアノの練習に勤しんだだ。

驚いたのは、その日は早く帰宅したらしいエドガーが離れを訪れて
「こんなところで何をしている」と問うてきた事か。

「旦那様のお邪魔をしたくないのです」と愁傷に答えれば、苦い顔をされた。
夫人の仕事を疎かにしていると思われたのだろうか。

それからは執事に断って、離れに持ち込んでも良い書類仕事を選んで、ピアノ練習の合間に熟した。

息をする位しか出来ない様な無能な妻を、夫はそろそろ邪魔に思っているのかもしれない。



「明後日の夜会に出席する。用意しておくように。」

その日の晩餐の席でエドガーに伝えられ、何と急なことかと驚いた。
直ぐに、さては愛人と予定が合わなかったのだなと推察された。

エドガーと夜会に出ることはあるが、他家の夫婦から見ればその回数は極端に少ない。パートナーの同伴が必要な夜会には、愛人である件の未亡人を伴っているらしい。

親切にも、様々な方面からお知らせが来るので直ぐ妻に分かってしまうのだが、夫はそこは気にしていない風であった。

それ程に冷めているのだから、当然、シーズンのファイナルなど余程の場面でなければ、エドガーから夜会に誘われる事など無くなっていた。

夜会好きと云う訳では無いし、夫に蔑ろにされる身で人の目に付くのはなかなか億劫なことであった。
離縁が間近にあることを思えば、社交も夜会も御免被りたい。

夫婦であるならば、互いの色を取り入れたり衣装を揃える事もあるだろう。
結婚当初はこちらからお伺いを立てたりもしたが、明後日と云う急な知らせに、それは流石に妻に対して失礼ではないかと云う思いもあって、あちらからも何も尋ねて来なかったのを良いことに、手持ちのドレスで間に合わせる事にした。

「なんだ。ドレスを新調しなかったのか。」
執事にちらりと目配せしてからの出発直前の駄目出しには閉口してしまった。

夜会など滅多に伴われないのに、そうそうドレスを新調する筈も無い。
告げられたのだって僅か二日前だ。

鮮やかな金髪に蒼眼の貴族らしい風貌のエドガーは美丈夫と云えよう。
だから、妻がぱっとしない装いであるのがお気に召さないのか。
ではお一人でどうぞと言えたなら、如何ほどにすっきりする事だろう。言えないが。

「シンプルなドレスのほうが旦那様のお衣装のお邪魔になりませんでしょう?それにこの青い色が私の肌に馴染むのです。」
そう言えば溜飲を下げたようであった。

ロイヤルブルーの細身なドレスである。生地も仕立ても上等であるから、それ程貧相には見えない。
宝飾品は購入していないし贈られてもいないので、手持ちのものは元々多くない。

気の利く侍女が庭師に頼んで切り花を選んでくれたので、それで髪を飾った。
所々に真珠のピンを挿すと、瑞々しい若い肌によく映えて美しいと侍女が褒めてくれた。
そこは夫の目には入らなかったらしい。




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