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第十五章
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ソレイユが王弟殿下の遺児であるとは、今も実しやかに噂されることである。
「私は自分のことを、生まれなければ良かったのではと、そう思うことは確かにありました」
ソレイユが話し始めた最初の言葉で、ノックスは僅かに顔色を変えた。
「私が生まれたことで母は命を縮めてしまったのかもしれない、家族は歪な形になってしまったのかもしれない。そう思うことは幾度もありました。けれどもそれで母を疑ったことは一度もございません。自分の出自について、私は一切の疑いを抱いていないのです。母が私を父の子だと言うのならそれが全てだと、そう思っております。父が私たちを信じて下さらなくても良いのです。母と私が信じているのですから」
ノックスは、言葉を挟むことなくソレイユの言うことに耳を傾けていた。それに促されるようにソレイユは先を続けた。ここからはノックスにも関係する。
「王弟殿下のお話を私も存じ上げております。それで噂通りに解釈したことは、ただの一度もございません。カイルス殿下が正しくご理解頂いているご様子に、母と王弟殿下の噂も次代には語るほうが愚か者とされるのだと、そう思いました」
ソレイユは、伝えたかったことを言い終えて、ノックスを見た。
「何を言いたかったかと申しますと、貴方には私の生まれをお心に掛ける必要はないのだと、そうお伝えしたかったのです」
ソレイユの言葉にノックスが尋ねる。
「公爵はまだ疑っているのか?」
それにソレイユは正直に答えた。
「父からは直接なにかを聞いたことはありません。私の髪や瞳の色に父が疑念を持ったとしても、私には証明できる術がありません。領地にいた頃に文は時折書いておりましたが、父とはこの春になって初めて会いました。私は父のことを、まだよく知らないのです」
「初めて?」
ノックスが訝しむように尋ねた。
「はい。生まれて直ぐに領地に移っておりましたから。兄や姉ともお互い顔を合わせずに参りました。もし仮に、父が私の血を疑ったとしても、私はそれで何か思うということはないのです」
ノックスの表情は硬い。ソレイユは更に続けた。
「父は私を養育するのに十分なものを与えてくれました。王都に戻ってきてからも、私は誰からも冷遇などされてはおりません。それで十分だと思っております」
ノックスの眉間に深い皺が寄って、それがソレイユを憐れむように見えたから、ソレイユは慌てて付け足した。
「ノックス様、誤解なさらないで下さい。私、自分のことを恥だとは思っておりませんの。私の存在が父や兄姉を少なからず悩ませてきたと承知しているのです。けれど、生んでくれた母には感謝しております。それに、私のために沢山の使用人が側にいてくれました。彼らを家族と思って育ちました。貴方にも、そんな方々がおいででしょう?」
ノックスは、どうにも理解できないというような顔をしている。彼はソレイユとはまた異なる環境で育ったのだから、理解できなくて当然だろう。
自分の考えを一方的に話したことを、ソレイユは語り過ぎてしまったと反省した。
「いや……理解が及ばず申し訳なかった。君がその、そこまで思い切っていたのだとは知らずにいた。先ほどは兄が……どうやら兄は君のことを僕以上に気に掛けていたのだと、それで少々ムキになってしまった。すまなかった」
ノックスの言葉は彼の心情そのままなのだろう。ノックスにしても身の振り方に慎重になりながら育ったはずで、ソレイユが婚約者になったからと、すぐには互いを理解できずとも、それは仕方のないことだと思った。
休日が明けた日のことだった。
午前の授業が終わって、ソレイユは机上を片付けてから廊下へ出た。いつものように食堂に向かって廊下を進んだところで違和感を覚えた。
波が分かれるように、左右に生徒たちが寄っている。人波が開けたその先に、見知った姿が見えた。
「ソレイユ」
そう言ったのが、口の動きでわかった。
「ノックス様」
ソレイユは思わずその名を呼んで、足早にノックスへと歩み寄った。ノックスも同じようにこちらへ大股になって歩いてきたから、二人は廊下の真ん中で顔を合わせることになった。
「ソレイユ、迎えに来た。一緒に昼食を食べよう」
ノックスは、約束通りにソレイユに会いに来てくれた。ソレイユはノックスの言葉を疑っていたわけではなかったが、まさか休み明け早々に来てくれるとは思ってもいなかった。
だから嬉しさのあまり、ついはしたなく歯を見せて笑ってしまった。そうすると右の頬に笑窪ができる。それを侍女らがいつだったか、母譲りだと言っていた。
ソレイユの満面の笑みがよほど珍しかったのだろう。ノックスはほんの少し目を見開いた。それからふっと笑みを浮かべて「行こう」と言って歩き出した。
ノックスの二歩ほど後ろをついていくと、ノックスは自分の歩みが速かったのだと思ったらしく、ソレイユと並び歩くようにして待ってくれた。
それで結局二人して、食堂までを並んで歩いた。
二人が婚約していることは、まだ公式発表はされていないが、貴族なら誰でも知っている。
その二人が一緒にいるのに不都合はないのだが、入学してからも別々に過ごしていたためか、それとも双方が生まれながらに持つ噂が興味を引くのか、生徒たちはどこか二人を遠巻きに見ているようだった。
「お連れの方はよろしかったのですか?」
決してエリスのことを尋ねたのではなく、ノックスにはいつも一緒に行動している男子生徒がいるのをソレイユは知っていた。
「ああ、スチュワードか?」
彼はスチュワードという名であるらしい。
記憶の中の貴族名鑑を探り当てたソレイユは、
「ダーズリー子爵家のご令息でしょうか」
そう、ノックスに確かめた。
スチュワード・へスティング・ダーズリー。
記憶に間違いがなければ、彼の生家は王妃の生家の傘下貴族のはずである。
「私は自分のことを、生まれなければ良かったのではと、そう思うことは確かにありました」
ソレイユが話し始めた最初の言葉で、ノックスは僅かに顔色を変えた。
「私が生まれたことで母は命を縮めてしまったのかもしれない、家族は歪な形になってしまったのかもしれない。そう思うことは幾度もありました。けれどもそれで母を疑ったことは一度もございません。自分の出自について、私は一切の疑いを抱いていないのです。母が私を父の子だと言うのならそれが全てだと、そう思っております。父が私たちを信じて下さらなくても良いのです。母と私が信じているのですから」
ノックスは、言葉を挟むことなくソレイユの言うことに耳を傾けていた。それに促されるようにソレイユは先を続けた。ここからはノックスにも関係する。
「王弟殿下のお話を私も存じ上げております。それで噂通りに解釈したことは、ただの一度もございません。カイルス殿下が正しくご理解頂いているご様子に、母と王弟殿下の噂も次代には語るほうが愚か者とされるのだと、そう思いました」
ソレイユは、伝えたかったことを言い終えて、ノックスを見た。
「何を言いたかったかと申しますと、貴方には私の生まれをお心に掛ける必要はないのだと、そうお伝えしたかったのです」
ソレイユの言葉にノックスが尋ねる。
「公爵はまだ疑っているのか?」
それにソレイユは正直に答えた。
「父からは直接なにかを聞いたことはありません。私の髪や瞳の色に父が疑念を持ったとしても、私には証明できる術がありません。領地にいた頃に文は時折書いておりましたが、父とはこの春になって初めて会いました。私は父のことを、まだよく知らないのです」
「初めて?」
ノックスが訝しむように尋ねた。
「はい。生まれて直ぐに領地に移っておりましたから。兄や姉ともお互い顔を合わせずに参りました。もし仮に、父が私の血を疑ったとしても、私はそれで何か思うということはないのです」
ノックスの表情は硬い。ソレイユは更に続けた。
「父は私を養育するのに十分なものを与えてくれました。王都に戻ってきてからも、私は誰からも冷遇などされてはおりません。それで十分だと思っております」
ノックスの眉間に深い皺が寄って、それがソレイユを憐れむように見えたから、ソレイユは慌てて付け足した。
「ノックス様、誤解なさらないで下さい。私、自分のことを恥だとは思っておりませんの。私の存在が父や兄姉を少なからず悩ませてきたと承知しているのです。けれど、生んでくれた母には感謝しております。それに、私のために沢山の使用人が側にいてくれました。彼らを家族と思って育ちました。貴方にも、そんな方々がおいででしょう?」
ノックスは、どうにも理解できないというような顔をしている。彼はソレイユとはまた異なる環境で育ったのだから、理解できなくて当然だろう。
自分の考えを一方的に話したことを、ソレイユは語り過ぎてしまったと反省した。
「いや……理解が及ばず申し訳なかった。君がその、そこまで思い切っていたのだとは知らずにいた。先ほどは兄が……どうやら兄は君のことを僕以上に気に掛けていたのだと、それで少々ムキになってしまった。すまなかった」
ノックスの言葉は彼の心情そのままなのだろう。ノックスにしても身の振り方に慎重になりながら育ったはずで、ソレイユが婚約者になったからと、すぐには互いを理解できずとも、それは仕方のないことだと思った。
休日が明けた日のことだった。
午前の授業が終わって、ソレイユは机上を片付けてから廊下へ出た。いつものように食堂に向かって廊下を進んだところで違和感を覚えた。
波が分かれるように、左右に生徒たちが寄っている。人波が開けたその先に、見知った姿が見えた。
「ソレイユ」
そう言ったのが、口の動きでわかった。
「ノックス様」
ソレイユは思わずその名を呼んで、足早にノックスへと歩み寄った。ノックスも同じようにこちらへ大股になって歩いてきたから、二人は廊下の真ん中で顔を合わせることになった。
「ソレイユ、迎えに来た。一緒に昼食を食べよう」
ノックスは、約束通りにソレイユに会いに来てくれた。ソレイユはノックスの言葉を疑っていたわけではなかったが、まさか休み明け早々に来てくれるとは思ってもいなかった。
だから嬉しさのあまり、ついはしたなく歯を見せて笑ってしまった。そうすると右の頬に笑窪ができる。それを侍女らがいつだったか、母譲りだと言っていた。
ソレイユの満面の笑みがよほど珍しかったのだろう。ノックスはほんの少し目を見開いた。それからふっと笑みを浮かべて「行こう」と言って歩き出した。
ノックスの二歩ほど後ろをついていくと、ノックスは自分の歩みが速かったのだと思ったらしく、ソレイユと並び歩くようにして待ってくれた。
それで結局二人して、食堂までを並んで歩いた。
二人が婚約していることは、まだ公式発表はされていないが、貴族なら誰でも知っている。
その二人が一緒にいるのに不都合はないのだが、入学してからも別々に過ごしていたためか、それとも双方が生まれながらに持つ噂が興味を引くのか、生徒たちはどこか二人を遠巻きに見ているようだった。
「お連れの方はよろしかったのですか?」
決してエリスのことを尋ねたのではなく、ノックスにはいつも一緒に行動している男子生徒がいるのをソレイユは知っていた。
「ああ、スチュワードか?」
彼はスチュワードという名であるらしい。
記憶の中の貴族名鑑を探り当てたソレイユは、
「ダーズリー子爵家のご令息でしょうか」
そう、ノックスに確かめた。
スチュワード・へスティング・ダーズリー。
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