もしも貴方が

桃井すもも

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誓い

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やはりと云うか、結局と云うか、頑なに子爵家との繋がりを求めて婚約の破棄も解消も認められぬまま、無為な一年を過ごしたクレアは、学園の卒業を迎える事となった。

トーマスとの婚約がなければ、クレアはもっと令嬢らしい溌剌とした青春時代を過ごせた筈であったろう。

美しいだけで誠意の無い婚約者は、不実を貫きそれを隠す事も無い。
愛する人がいる、お前は金だけ持って嫁げば良いとばかりの卑しい婚約者に嫌気が差すも、くすぶる恋心を持て余し、そんな自分にも呆れるクレアであった。

確かな手綱を確かめる様に、思い出した時だけ訪れる様なトーマスに、両親も内心苦々しく思いながらも、娘の婚姻後を思いやって強い言葉を言えずにいる。

一層の事、マリアンヌと間違いでも起こして、それで婚約解消でもしてくれればよいものを、そんな事すら考えている様であった。

卒業式を前に、トーマスにクレアは文を出した。

卒業式で婚約者として同伴して欲しい。

程無くして返信が届き、
申し訳ないが、その日は外せぬ仕事がある。
晴れある門出の伴は是非ともお父上にお譲りしたい。
と云う事であった。

巫山戯た話しである。
勤めたばかりの新米文官に、夜を徹する仕事など在る筈も無いではないか。

返事の文は、母が暖炉に焚べてしまった。
そうして、是非にも我が妻にと殿方に見初められる位、美しい装いにしましょうと、早速商会の伝手を使って最高級のシルクを仕入れ、美しいドレスを作ってくれた。

両親の見守る中、兄に伴を頼んで卒業の夜会に現れたクレアは美しかった。
青い瞳がシャンデリアの光を反射して、きらきらと燦めいた。

ダンスを申し込まれて、君にもし婚約者がいないのならば、申し込んでも良いだろうかと熱い眼差しで見つめられて、申し訳ありません。もうすぐ嫁ぐのですと答えた心の内で(ええ、不誠実で巫山戯た不貞男に嫁ぐのです)と言い添えた。



雲ひとつ無い抜けるような青空の、良く晴れた日であった。

心の内はこんなにも不安に塗(まみ)れているのに、自分は花嫁だと云う。

こんなにも青い空の元で、湖の様に澄んだ青い瞳で、今から神に嘘を付かねばならない。

病める時も健やかなる時も
富める時も貧しき時も
妻として愛し敬い慈しむ事を誓います。

誓えよう筈が無い。
不実に不実を重ねて、クレアの青春を奪い恋心を無碍にされ、この上は生家の財まで搾取されるのが分かっていて、もしかしたらこの後の暮しは、愛を外に囲う為の金蔓妻に成り下がるのが透けて見えて、クレアの心中は暗幕で覆われていた。

しぶとく燻ぶる恋心が、きっと婚姻後は落ち着くわ、きっと愛を向けてもらえるわ、と囁くのが煩わしかった。

美しい夫が横に並び立ち神父に向かい、先に誓いの言葉を述べた。

嘘つき。そう思いながら、次は貴女ですとばかりに神父に促され口を開いたその時、
トンと背を押された。
背を誰かの肩越しに押されたと思ったのと同時に、腰に熱を感じた。そのまま押し倒されて前に倒れる。
一斉に四方八方から悲鳴が聴こえ、騒然とする中、
「マリアンネ!」
一番先に聴こえたのは夫の叫んだ声だった。
倒れる新妻に寄り添うこと無く恋人の名を呼んだ。

温かなものが自分から流れ出して水溜りが出来ている。それが赤いものだと気が付いても、起き上がる事が出来なかった。

ただ薄れ行く意識の中で、ああ、まだ誓いの言葉を言っていない。
良かったわ。
私、神様に嘘をつかないで済んだわ。

そう安堵しながら瞼を閉じた。




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