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「アリアドネ。」

昼の食事が終わった貴賓室。
フランシスの側に座ると思ったハデスから声を掛けられた。

「ハデス様、如何なさったの?」
「殿下。私とアリアドネは少しばかり席を外させて頂きたい。」

フランシスへ振り返ってハデスが言えば、
(きゃあ×3)女子達の黄色い声が聴こえた気がした。

「良いよ、そうしてくれ。彼奴等あいつら呼ばわりされては堪らないからね。」

鷹揚に皮肉るフランシスをまるっと無視して、ハデスがアリアドネの手を取った。


ハデスはそのまま部屋を出て、廊下を進む。階段が見えて来て、上の階に上がるのだろうかと思っていると、ハデスはそのまま階段の裏側へ回り込んだ。

陰になる階段の裏側はひんやりとしている。おまけに何だか薄暗い。

え、え、ハデス様。こんな所でどんなお話し?

ハデスは貴賓室からずっと繋がれている手を解く事なくこちらを向いた。

「君、距離が近過ぎる」
「へ?」
「隣の席」

ぶっきらぼうな物言いである。

「えーと、ロジャー様?」

アリアドネがロジャーの名を出した途端、ハデスの眦がキリリと吊り上がった気がした。気の所為であってほしい。

「君は私の婚約者だ。」
「ええ。」
「気を付けてくれ。」
「えーと、」
「前にも教師に注意されていただろう。」
「えーと、」
「授業中にもコソコソと。」
「えーと、ハデス様、」
「朝から距離が近過ぎる。」
「ハデス様、貴方、」
「何だっ」
「その、買い被りでなければなのですけれど、」
「何だ、はっきり言ってくれっ」
「やきもち、「だから何だっ、悪いかっ」

あ~もう~幸せ。
ハデス様が可愛い過ぎる。
ほんのちょっと異性とお喋りしただけなのに、焼き餅焼いて下さるなんて。

アリアドネはハデスから受ける生まれて初めての焼き餅に、すっかり舞い上がってしまった。
だから迂闊にも、ここが人目に付かない階段裏で、そんな薄暗がりに婚約者と二人っきりで向き合っているのを忘れていた。いやいや忘れてないけど気を抜いた。

繋がれた手が引き寄せられる。と、思った瞬間、背中から強い力で抑え込まれて、そのまま唇を塞がれた。
カチリと前歯がぶつかって、息を呑む間も無く柔らかな唇を押し当てられた。
追い詰められる様に唇を合わせる。微かに鉄の味がして、ハデスが唇を切ってしまったのだと解った。

「むぅぅ」
ハデスの傷が気になって、身を離そうとしても離せない。ハデスの腕の拘束がどんどん強まって、とうとう両腕で抱き締められた。
密着する身体には紙一枚の隙間も無い。

階段を上がる足音。生徒達の話し声。廊下を歩く人の気配。
耳がそれらの音を拾うのに、同時にハデスに与えられる感覚で、アリアドネはいっぱいいっぱいになってしまう。

押し当てられる唇が思いの外強くて深くて、アリアドネは立っているのもままならなく、ぐらりと身を崩してしまった。それさえハデスに引き上げられて、一旦離れた唇を再び押し当てられた。

生まれて初めて与えられた感触に、アリアドネはすっかり酔ってしまった。

「柔らかい...」

いつの間にか互いの唇は離されて、耳元で囁くハデスの声に我に返った。

ハデスは、アリアドネの柔らかな身体の感覚を味わう様にひと際きつく抱き締める。

うっと思わず息が漏れるも、それさえ幸福な苦しさに感じられて、アリアドネは身体の芯から熱を覚えた。

「アリアドネ。」

ハデスがアリアドネの名を呼ぶ。
今まで聞いた中で、一番甘い声音であった。

アリアドネは、ハデスの胸元でしがみついていた手を離し、そっと背中に腕を回した。
すっかり抱き合い密着するその体温を分かち合い、それから二人、もう一度唇を重ね合わせた。



「どうしたんだい、君達。随分遅かったじゃないか。うっかり探しに行くところだったが、どうやらとんだお節介であったらしい。」

「殿下、揶揄からかっては駄目よ。ハデス様を怒らせて困るのは貴方でしょう?」

アンネマリーがフランシスを諌めるも、何だか含み笑いをしているのだから居た堪れない。

「ん?ハデス。唇が切れている。お前だけなら構わないが、レディを傷「殿下。」

到頭とうとうアンネマリーにお叱りを受けるフランシス。居た堪れない。


何だか甘いのかしょっぱいのか分からない空気と視線に、アリアドネは顔から火が出るかと思った。

ハデス様、お願いです。せめて、手、手、手を離して下さいませんか。

本日ここに、甘甘カップルが爆誕したのであった。


「ハデス、君、今日は城に来なくて良いよ。ああ、でも風紀は乱さないでくれよ。」

「承知しました。」

え?どっち?前者なのか後者なのか、どちらへなのか分からぬハデスの返答に、何となくその場の皆は考えた。どっちかな。

兎に角、今日はハデスと帰る事となった。折角来てくれたアリアドネの迎えの馬車を返す事となる。今日はハデスに送って貰うと伝えた際に、御者がほっこりしたのも恥ずかしい。


えーと、何を話そうか。

初々しいカップルは、こんな空間で自然な会話だなんて高等テクニックは持ち合わせていない。

「あ、あの。ハデス様、」

あの、その、と言いながら、何とか話しを切り出すアリアドネ。

「あの、ノートを有難うございました。お陰で授業の遅れも有りませんでした。」

「ああ。」

あれあれあれれ。ハデスがすっかり元に戻ってる。
平常操業、安定の二文字で答えたハデス。
けれどもその目元は、しっかり赤く染まっていた。




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