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なにが間違いだと言うのだろう。みんな可怪しな事を言う。
ファニーは訳が分らない。
あの目障りな令嬢を思いっ切り傷付けてやりたかった。
美しい男を婚約者にして、つんと澄ましたいけ好かない令嬢。
爵位とか何とか、学園で色々言われるけれど、そんな事が大切ならファニーが生まれる訳が無い。
貴族と平民の両親を持つファニーにとって、爵位なんて建前でしか無い。
どれだけ愛されるか。
それがファニーの基準である。
楽しみにしていた王太子殿下との出会いは、何だか思ったのと違っていた。
一目会ったら恋に落ちると信じていたのに、フランシス殿下が手を差し伸べたのはつんと澄ました婚約者だった。
こんな事ってある?ずっと信じていたのに。
もしかしたら、遠慮したのかも知れない。あの、つんと澄ました婚約者が煩いのだわ。まるでいつかの義母の様に。
ちょっと懲らしめてやろうと思っただけなのに、あのいけ好かない黒髪の令嬢が邪魔をして、お陰で父に叱られた。父に叱られるだなんて初めての事だった。
何でも「寄り親」って貴族から注意されたと言う。
お水を自分で貰う事が可怪しいだなんて、そんな常識ってあるの?持って歩く事のどこが可怪しいの?街じゃあ井戸水を勝手に汲んでも叱られない。
あれっぽっちの水が掛かって、何でみんな慌てるの?
けれども、あの貴公子は素敵だったわ。
いけ好かない令嬢の婚約者。同じ黒髪でも全然違って見えたもの。瞳は私と同じ翠色。
フランシス殿下は思った様な人じゃなかった。飛びっきりの笑顔を披露したのに、全然応えてくれなかった。
ハデス様。男の人なのに女の子みたいに綺麗だったわ。ビスクドールってあんな感じなのかしら。人形みたいに綺麗だった。
黒髪のお人形。
ちょっとばかり薄いけど金髪の私とお似合いだと思うの。
仲良しの男の子が教えてくれた。
彼は将来は殿下にお仕えするんだと。身分の高い婚約者とはあんまり仲良くないのだと。
政略結婚って馬鹿馬鹿しい。お父様とお母さんみたいに、身分を越えて愛し合う「真実の愛」こそ本物よ。
あんな澄ました婚約者に遠慮して、折角の夜会でダンスも踊れないだなんて。そんなの絶対不幸だわ。
なのに何で私が謝るの?偉そうな殿下の婚約者までしゃしゃり出て。
何でお義兄様が謝るの?私は全然悪くない!
いけ好かない女の家から手紙が来て、お義兄様が慌てていた。
「ファニー、何も心配いらない。私が話しをして来るから。お前はここで待っているんだよ。」
優しいお義兄様が出掛けて行ったのを確かめて、それからお友達に会いに行った。
だって学園はお休みさせられちゃったのだもの。
そこで決めたの。
あの女、とっちめてやる。
明後日にはお父様が帰って来ちゃう。明日、そうだわ明日の放課後だったらどうかしら。
ポールがあの女、水曜日には図書室にいるって言うのだけれど何で知ってるの?まあ、前の婚約者がそう言っていたの?
ポールは優しい。私の為に煩い婚約者との婚約を解消してくれたのだもの。
「じゃあ、明日の放課後ね。」
そう言って三人と別れた。
何でこんな事になったのだろう。
ファニーはその後衛兵に拘束された。
学園で教師や騎士団に囲まれ取調べを受けていると、間もなく義兄が現れた。長々と質疑を受けた後に義兄と邸に戻された。
「ファニー。何も心配いらない。お前の事は私が守ると約束するよ。」
優しい義兄は慰めてくれた。
けれども、私室には戻されなかった。
多分、地下室だろう。ひんやりとする暗い部屋である。
子爵邸にこんな部屋があるのを知らなかった。義兄に匿われている筈なのに、まるで囚われているようだと思った。
一体、何日経ったのだろう。
義兄は度々訪れる。食事を持って来てファニーの髪を梳いてくれる。
「ファニー。父上が当主を降りた。私が当主になるんだよ。父上は母上と一緒に領地に住まう。これからは、私とお前、二人っきりの暮らしだよ。」
今が朝なのか夜なのか、さっぱり分からない。曜日も日付も分からない。暦ばかりか季節も分からぬ内に、何年経ったのかも分からなくなった。
この部屋には何でも揃っていて、食事も湯浴みも不自由は無い。
ただ、全てが義兄の手で成されて、侍女もメイドも姿を見せない。
ファニーは歩けないし話せない。
この部屋に入った時に、義兄がお茶を飲ませてくれた。
直ぐに胃がひっくり返る様な不快感を覚えた途端嘔吐した。手足が痺れて動けない。呼吸が出来ずに身体が勝手に仰け反って、只管苦しく喘ぐ内に、どうやら気絶したらしい。
目が覚めてから今日まで、一言も言葉を発していない。手も足も痺れたままで目も霞んで漸く灯りがわかるだけ。耳だけが鋭敏になってしまった。
ああ、聴こえる。お義兄様の足音だ。
お食事の時間なのだわ。粗相もしちゃったから取り替えてくれるのだわ。
温かな布巾で身体を清めてくれるのだわ。
それから、
「ファニー。待たせたね。お腹が空いただろう。その前におむつを替えてあげるね。お前に似合うワンピースを買ってきた。着せてあげるよ。そうだ丁度良い、今日は湯浴みをしよう。私が洗ってあげるから、お前は何も心配いらないよ。お前の事は、私が守ると約束するよ。」
兄に抱えられて一緒に湯船に入る。
だってファニーは動けない。隅から隅まで兄が丁寧に洗ってくれる。
ずっと前、いつだったか、ファニーはハデスをお人形だと思った。ビスクドールを見たことがなかったけれど、きっとそんな風な綺麗なお人形の様な男だと思った。
あの頃は分からなかった。
真逆自分がお人形になるだなんて。
「ファニー、私のファニー。」
温かな湯の中で、義兄に後ろから抱えられ抱き締められながら、ものを言えなくなったファニーは、自分が幸せなのか不幸せなのか分からなくなった。
遠い日に紫色の毒花を乾燥させて粉にした。義母にはよく効いていたが、あれからあの粉はどうしただろう。確かクローゼットの引き出しに...
温かな湯の中で、熱い義兄の体温に温められる。心地良いその熱にファニーは微睡みの中に沈んで行く。
ファニーは只管義兄ただ一人に愛されて生きている。
ファニーは訳が分らない。
あの目障りな令嬢を思いっ切り傷付けてやりたかった。
美しい男を婚約者にして、つんと澄ましたいけ好かない令嬢。
爵位とか何とか、学園で色々言われるけれど、そんな事が大切ならファニーが生まれる訳が無い。
貴族と平民の両親を持つファニーにとって、爵位なんて建前でしか無い。
どれだけ愛されるか。
それがファニーの基準である。
楽しみにしていた王太子殿下との出会いは、何だか思ったのと違っていた。
一目会ったら恋に落ちると信じていたのに、フランシス殿下が手を差し伸べたのはつんと澄ました婚約者だった。
こんな事ってある?ずっと信じていたのに。
もしかしたら、遠慮したのかも知れない。あの、つんと澄ました婚約者が煩いのだわ。まるでいつかの義母の様に。
ちょっと懲らしめてやろうと思っただけなのに、あのいけ好かない黒髪の令嬢が邪魔をして、お陰で父に叱られた。父に叱られるだなんて初めての事だった。
何でも「寄り親」って貴族から注意されたと言う。
お水を自分で貰う事が可怪しいだなんて、そんな常識ってあるの?持って歩く事のどこが可怪しいの?街じゃあ井戸水を勝手に汲んでも叱られない。
あれっぽっちの水が掛かって、何でみんな慌てるの?
けれども、あの貴公子は素敵だったわ。
いけ好かない令嬢の婚約者。同じ黒髪でも全然違って見えたもの。瞳は私と同じ翠色。
フランシス殿下は思った様な人じゃなかった。飛びっきりの笑顔を披露したのに、全然応えてくれなかった。
ハデス様。男の人なのに女の子みたいに綺麗だったわ。ビスクドールってあんな感じなのかしら。人形みたいに綺麗だった。
黒髪のお人形。
ちょっとばかり薄いけど金髪の私とお似合いだと思うの。
仲良しの男の子が教えてくれた。
彼は将来は殿下にお仕えするんだと。身分の高い婚約者とはあんまり仲良くないのだと。
政略結婚って馬鹿馬鹿しい。お父様とお母さんみたいに、身分を越えて愛し合う「真実の愛」こそ本物よ。
あんな澄ました婚約者に遠慮して、折角の夜会でダンスも踊れないだなんて。そんなの絶対不幸だわ。
なのに何で私が謝るの?偉そうな殿下の婚約者までしゃしゃり出て。
何でお義兄様が謝るの?私は全然悪くない!
いけ好かない女の家から手紙が来て、お義兄様が慌てていた。
「ファニー、何も心配いらない。私が話しをして来るから。お前はここで待っているんだよ。」
優しいお義兄様が出掛けて行ったのを確かめて、それからお友達に会いに行った。
だって学園はお休みさせられちゃったのだもの。
そこで決めたの。
あの女、とっちめてやる。
明後日にはお父様が帰って来ちゃう。明日、そうだわ明日の放課後だったらどうかしら。
ポールがあの女、水曜日には図書室にいるって言うのだけれど何で知ってるの?まあ、前の婚約者がそう言っていたの?
ポールは優しい。私の為に煩い婚約者との婚約を解消してくれたのだもの。
「じゃあ、明日の放課後ね。」
そう言って三人と別れた。
何でこんな事になったのだろう。
ファニーはその後衛兵に拘束された。
学園で教師や騎士団に囲まれ取調べを受けていると、間もなく義兄が現れた。長々と質疑を受けた後に義兄と邸に戻された。
「ファニー。何も心配いらない。お前の事は私が守ると約束するよ。」
優しい義兄は慰めてくれた。
けれども、私室には戻されなかった。
多分、地下室だろう。ひんやりとする暗い部屋である。
子爵邸にこんな部屋があるのを知らなかった。義兄に匿われている筈なのに、まるで囚われているようだと思った。
一体、何日経ったのだろう。
義兄は度々訪れる。食事を持って来てファニーの髪を梳いてくれる。
「ファニー。父上が当主を降りた。私が当主になるんだよ。父上は母上と一緒に領地に住まう。これからは、私とお前、二人っきりの暮らしだよ。」
今が朝なのか夜なのか、さっぱり分からない。曜日も日付も分からない。暦ばかりか季節も分からぬ内に、何年経ったのかも分からなくなった。
この部屋には何でも揃っていて、食事も湯浴みも不自由は無い。
ただ、全てが義兄の手で成されて、侍女もメイドも姿を見せない。
ファニーは歩けないし話せない。
この部屋に入った時に、義兄がお茶を飲ませてくれた。
直ぐに胃がひっくり返る様な不快感を覚えた途端嘔吐した。手足が痺れて動けない。呼吸が出来ずに身体が勝手に仰け反って、只管苦しく喘ぐ内に、どうやら気絶したらしい。
目が覚めてから今日まで、一言も言葉を発していない。手も足も痺れたままで目も霞んで漸く灯りがわかるだけ。耳だけが鋭敏になってしまった。
ああ、聴こえる。お義兄様の足音だ。
お食事の時間なのだわ。粗相もしちゃったから取り替えてくれるのだわ。
温かな布巾で身体を清めてくれるのだわ。
それから、
「ファニー。待たせたね。お腹が空いただろう。その前におむつを替えてあげるね。お前に似合うワンピースを買ってきた。着せてあげるよ。そうだ丁度良い、今日は湯浴みをしよう。私が洗ってあげるから、お前は何も心配いらないよ。お前の事は、私が守ると約束するよ。」
兄に抱えられて一緒に湯船に入る。
だってファニーは動けない。隅から隅まで兄が丁寧に洗ってくれる。
ずっと前、いつだったか、ファニーはハデスをお人形だと思った。ビスクドールを見たことがなかったけれど、きっとそんな風な綺麗なお人形の様な男だと思った。
あの頃は分からなかった。
真逆自分がお人形になるだなんて。
「ファニー、私のファニー。」
温かな湯の中で、義兄に後ろから抱えられ抱き締められながら、ものを言えなくなったファニーは、自分が幸せなのか不幸せなのか分からなくなった。
遠い日に紫色の毒花を乾燥させて粉にした。義母にはよく効いていたが、あれからあの粉はどうしただろう。確かクローゼットの引き出しに...
温かな湯の中で、熱い義兄の体温に温められる。心地良いその熱にファニーは微睡みの中に沈んで行く。
ファニーは只管義兄ただ一人に愛されて生きている。
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