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【49】

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翌日の水曜日。
放課後の事であった。

初秋を迎えて、日に日に落日が早くなって来た。
図書室で過ごした後であったから、いつもより少しばかり遅い時間になってしまった。
辺りは夕焼色に染まり、東の空は既に薄暗くなり始めている。遠目に学園の門扉が影を帯びて黒く見えた。


「アリアドネ嬢。少し良いか。」

門扉に向かって歩いていたアリアドネは、聞き覚えのある声に名を呼ばれた。しかしこちらから名を明かした事があっただろうか。

声の方を向けば男子生徒が三人。共に同じ学年であったから、直ぐに分かった。けれども、彼等とはクラスが違う。爵位も違えば父の事業に直接関わる家でも無い。まして一人は平民である。

アリアドネが関わる筈の無い男子生徒達に、夕暮れ時の人気ひとけの無いの学園の敷地で呼び止められた。

「私に何か御用でしょうか。セグレイブ男爵令息様、クリフォード男爵令息様、ダーズビー商会令息様。」

これまで面識が無かったからと言って、面が割れていないなどとどうして思えるのだろう。 

アリアドネは同じ学年の全ての生徒の名、生家の爵位とその家業を把握している。上級学年も把握済みで、下級学年についてもその殆どが頭に入っている。
アンネマリーに侍るのに、それは必須事項であった。

三人の男子生徒達は、真逆、身分が知られているとは思わなかったらしい。しかし、どこかで勇気を取り戻したのか一人が前に出た。それに倣って残りの二人も前に出る。

体躯の大きな青年達に迫られるのは正直言って圧迫感を感じる。夕暮れの日は落ち掛けて向こう側の空には薄闇が見えている。直に日が暮れ暗くなるだろう。
 
「君がファニーを虐げていると聞いた。醜い行いは辞めてもらおう。」

こんな馬鹿馬鹿しい事は、大体ふわふわ絡みなのだ。アリアドネは溜め息が出た。

「ファニー嬢、貴女が彼等にそう仰いましたの?」

三人の男子生徒の背後には、かくまわれる様にミルクティーブラウンのふわふわ髪が揺れている。

父の送った抗議文を受けて、モンド子爵家の嫡男クリスが謝罪に訪れたのは昨日の事である。

「貴女が何故学園に?貴女のお義兄様は謹慎させると仰っておられたけれど。」

「貴女が酷い事をするから!あんな手紙を送り付けるだなんて!」

三人の背に匿われていたふわふわが、思わずと云う風に前へ出た。

淡いピンクのワンピースがふわふわ髪によく似合っている。短め丈の裾からは、ほっそりとした白い足が覗いている。制服を着ていないのに、どうして校内に入れたのか。男子生徒が三人いれば、塀を乗り越えることも可能かも知れないが。

「抗議の文なら確かに父が出しました。貴女の度重なる私への行いを、当家は抗議が必要と判断しましたから。」

「酷い!親に言い付けるだなんて!」

「言い付けたのではありません。見過ごせる限度を超えたのです。お三方もそう理解が及びませんか?
王家の夜会での貴女の行為。お義兄様もあの場でアンネマリー様にお詫びしていたでしょう。公爵令嬢の手を煩わせて、どうして抗議されないと思うのです。」

「酷い酷い!卑怯よ!」

「ファニーは君が怖いと泣いていたんだ!」

ああ、あの湖の様な瞳ね。確かにあの瞳は同情を誘う。なんなら今もその湖は絶賛製造中だ。

「君が真実の愛を邪魔していると!」
「見苦しいぞ、爵位を傘に罪のない令嬢を虐げるとは!」
「貴様、ハデス殿が殿下の側にいるからと自分まで偉くなったつもりか!」

五月蝿い程にがなり立てられ、アリアドネは思わず耳を塞ぎたくなった。
それにしても、初見であるのに貴様呼ばわりとは。

真逆の貴様発言にアリアドネは驚いた。
驚いたと言えば、全ての言動が驚きなのだが。

「いい加減、ハデス殿を解放するんだ!」
「そうだ、貴様がハデス殿との婚約に縋り付くなど醜悪も甚だしい!」
「ファニーに謝罪するんだ。今直ぐここで跪いて詫びることだ!」

「それは誰の為に?」

「貴様、馬鹿なのか!ファニーとハデス殿の為だろう!」

夕日を背にする男子生徒の姿は、陰を纏って一層大きく見えた。唾を飛ばす勢いで目を剥き喚く男子生徒の一人一人をアリアドネは見回した。

貴方がた、狂っているの?

それから彼等を両側に侍らせ守られるふわふわ令嬢に目を移せば、先程まで水を湛えていた翠色の瞳はうっそりと仄暗い笑みを浮かべていた。

王族と準王族に近く侍る様になってから、アリアドネは貴族社会の様々を目にして来た。高い矜持を体現する貴族の中に、稀にこんな瞳を見る。
人の不幸が大好きで、人を貶めるのが大好きで、自分に影響力があるのをよく解って、その能力を余すことなく発揮して人を嘲り陥れる事が大好きな、そんな姑息な人物とは得てしてこういう瞳をしている。

「ハデス様の仰った通りだわ。」

ハデスはファニーを姑息だと言った。
本当に、その通りだとアリアドネは思った。

「なぜ独りで立たないの?」
ハデスの言う通りである。

「はあ?何を言ってるの?」

「貴女、とても可憐な方ね。折角愛らしい見目にお生まれなのに、なぜ醜悪な生き方を選ぶの?人を貶め自分を持ち上げる。どうして自分の力で立たないの?」

「何を言ってるの?!貴女こそいっつも偉そうにして!」

「仕方がないでしょう。そう云う家に生まれたのです。与えられた力で守らなければならないものを背負うのですから。」

「だからそれが狡いって言ってんの!」

「貴女、貴族の世界が生き難いの?そうでは無いでしょう。あんなに楽しそうに走り回っていたのだもの。この世界に生きるなら、境界線を越えてはいけないわ。もう随分踏み越えているけれど。」

「何、訳の分かんない事を言ってるの?だからハデス様に嫌われるのよ。私、知ってるのよ。貴女達って、本当は仲が悪いんですってね。全然お話ししないそうじゃない。そんな澄まし顔で気難しい事ばっかり言うから嫌われちゃったのね。」

ファニーはそこでまた、あのうっそりとした笑みを浮かべた。男子生徒達には見えないらしいがこちらからはよく見えた。

「ハデス様は、もっと息抜きがしたいのよ。私とならきっと気が安らぐわ。婚約者だからって名ばかりなんでしょう。私達の邪魔をするだなんて、みっともないったらありゃしない。」

興奮しているのか、途中から随分と蓮っ葉な口調になっている。

興奮していたのはふわふわファニーばかりでは無いらしい。

「真実の愛の邪魔をするな!貴様!ただでは済まさぬぞ!」

そう喚きながら、男子生徒の一人が前に出た。

「では、一体どう済ますと云うのだ。」

直ぐ横の、敷地の脇にある木の陰から、ハデスが姿を現した。






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