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「仰っしゃる事はご尤もです。生憎父は数日前より領地に行っておりまして、ですが既に文を出しております故、明後日には王都に戻れると。失礼覚悟で先立って私がお詫びに伺いました。」

「ふうん。まあ、良いでしょう。それで、」

母は扇で口元を隠す。

「その娘、次は無くてよ。」

出た!母の貴婦人攻撃!

「承知しております。ア、アリアドネ嬢、その、義妹が申し訳なかった。だが、あれは漸く最近引き取ったばかりで、未だ要領を得ないのだと、その、許してはくれないか。」

「それは聞き捨てならぬ。」

真逆のハデス参戦だった。

「ハ、ハデス様?」
アリアドネは驚いて隣のハデスを見上げた。

「学園での光景を貴殿が見たなら如何思うか。近衛騎士に衝突する程の勢いで殿下の御前に駆け込み、挙げ句、転んだ拍子に乱れた衣服を直すことも無く座り込む。
大勢が一度に着席する食事の場で、一人グラス片手に走り回る。幼女か。
公爵令嬢の姿が分って、敢えて手元を滑らせ水を被せた様に私には見えた。アリアドネが身代わりに被らなければ、貴殿の家は今頃どうなっていたか。
夜会の事なら言わずとも宜しいな、貴殿もご覧になったろう。あれは貴族令嬢の姿ではない。猿真似だ。貴族令嬢を真似た似非えせ令嬢とも言うか。」

「そ、それは余りに言い過ぎだろう、」「いいえ、そんな事はありません。」

母はいつの間にか扇を閉じて、手の平でぱんと一つ打ち鳴らした。

「ハデス様の仰っしゃる通り(ぱん)。 あれは貴族ではありません(ぱんっ)。 庶子だとか云々どうでも宜しい(ぱん!)。 猿にも躾は出来るのです、曲芸だって上手いものよ(ぱん!ぱん!) 。次は無いと言ったでしょう。四の五の言わず今晩から躾をなさい。解りましたか?(ぱん!ぱん!ぱん!) 」

ぱんぱん扇を打ち鳴らし、その数だけクリスが青くなる。
何故か父まで青くなってる。どうしたのお父様?

逃げる様に帰るクリスの後ろ姿を見送っていると、

「肝が冷えた。君の母上だけは敵に回したく無い。」

ハデスが弱音を吐いた。
ええ?それほど??

「母上、物凄く怖かったね。僕はあの後トイレに直行したよ。父上が先客でいて驚いたけどね。」

えええ?それほど???



「確かに解ったのは、あの義兄もファニー嬢の虜なのだわ。」

クリスを見送った後、アリアドネはハデスとヘンドリックと共に私室にいた。
私室でお茶を頂きながら、今日解ったことを振り返っていた。

「ああ、あの義兄も何やら可怪しかったね。あの家、あんなんで大丈夫なのかな。」

「子爵は領地に行っていると云う話しだけれど、王都に帰ってきて何か正す事はあるのかしら。」

「父上から抗議文を受け取って、流石に何も動かないって事は有り得ないよ。」

「そうよね。」
「姉上?」

「ああ、ごめんなさい。ちょっと考えてしまって。何故あれだけ目立つ行動をして、学園でそれが受け入れられて来たのか。
お母様をみたでしょう?貴族であれば当然の反応だと思うのよ。それが学園では許される。彼女に限ってなのだとすれば、彼女の何がそれほど人を惹きつけるのかしら。」

そこまで話して、アリアドネは違和感を覚えた。

ハデス様?

ハデスの反応が無い。
見ればハデスは壁を凝視していた。
何だか頬が赤く見える。

しまった!!
どうして私室に案内してしまったのかしら。

アリアドネは婚約してから初めてハデスを私室に通した。
ヘンドリックが一緒であったし、ここ最近ぐっと距離の縮まったハデスを私室に誘うのに抵抗が無かった。

けれども私室は駄目なのだ。何故なら、

この部屋の壁には、アリアドネがこれまでハデスから贈られたハンカチの数々が、全て額装されて飾られている。

ハデスから贈られたハンカチを、アリアドネはとても大切にしていた。
選りすぐりの美しい額縁に入れて、絵画の如く壁に掛けて愛でていた。

アリアドネの私室の壁は、ハンカチの蒐集家さながらのハンカチ美術館の有り様であった。

こ、こ、この部屋。駄目だった~。ハデス様から貰ったものをこんな風に愛でてるのが、真逆の本人にバレてしまった!

アリアドネは瞬時に頬が熱くなる。
ハデスと二人並んで真っ赤な顔。

ヘンドリックは、向いで二人の様子を冷静に観察した。
そろそろ自分にも婚約話しが舞い込んで来ている。けれども、自分はこんな初々しいカップルにはなれそうにないな。

達観した十六歳は、醒めた眼差しで二人を眺めて、それから冷めかけたお茶を口に含んだ。


「また明日朝に。」
「はい。お待ちしております。」

婚約してから毎朝毎朝一緒に登校していたのに、何がどうしてこうなったのか、最近漸く甘い空気を醸し出す二人。

別れの挨拶は済ませたのに、まだ見つめ合っている。

ハデスの瞳にアリアドネが映っている。
きっとアリアドネの瞳にもハデスが映っているだろう。

「んっんっ。」

後ろから母が可怪しな咳払いをして、初心うぶなカップルは現実に引き戻されて、そこで漸く気が付いた。

いつの間にか、指先を絡ませていた。
手を繋ぐ事も出来ぬまま、離れ難くて指先だけを繋いでいた。

つい半月程前までは、いつかこの婚約は解消すべきと思っていた。
なのにどうだろう。長い長い夢を見て、そのまま可怪しな令嬢に絡まれて、いつからなのか、蓋をしていたハデスへの想いが溢れて漏れて膨らんで。もう抑えることも忘れることも出来そうに無かった。

「ハデス様。お慕い申しております。」

思わず口から想いが飛び出た。
こんな所で言う言葉では無かったのに。なんなら背後に母がいる。

けれどもハデスは、

「ああ。」

そう言って、絡めた手先をキツく握り締めた。アリアドネを見つめたままその手を持ち上げて、そうして指先にキスを一つ落としてくれた。









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