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今日は週明けの月曜日である。
正しくは、月曜日の放課後である。
アリアドネは今、学園の図書室の最奥、窓際の角席にいる。向かい合わせに婚約者と座っている。
『彼奴等の一人としてお前に時間をやろう。今日は登城せずとも良い。婚約者との語らいを大切にする事だ。』
フランシス殿下が嫌味たっぷりに放課後の時間を融通したが為に、婚約者同士顔を突き合わせる事となった。
「アリアドネ。何を危惧している?」
ハデスはアリアドネが相談したい事が、彼女の不安から来るものであるのを理解している様だった。
思えば、ハデスはこれまでもアリアドネの言葉を無闇に否定したり御座なりにする事は無かった。
心の交流を得られない関係であっても、アリアドネはハデスのそんな所を信頼していた。
「ハデス様。私が話すことには何の根拠もございません。敢えて言うなら、夢見が悪かったと、そうとしか申せません。それでも貴方は私の話しを聞いて下さいますでしょうか。」
アリアドネの言葉に、ハデスは頷いて見せた。
「Eクラスの男子生徒。セグレイブ男爵令息、クリフォード男爵令息、ダーズビー商会令息。この三人を私は警戒しております。理由はございません。ただ、彼等がファニー孃と何らかの形で関わり合いがあるのではないかと、そう思っているのだとしたら、」
「アリアドネ。」
ハデスは、珍しく途中で言葉を遮りアリアドネに最後まで言わせなかった。
そして、
「君は私に何の根拠も無いことを聞いてくれるかと問うた。ならば私も問おう。君は、私が君のどんな言葉も信じているのだと、そう言う私のことを信じてくれるか。」
そう言ってアリアドネを真正面から見つめた。
美しいハデスの瞳。
深い森の奥。そこに湧く泉の深淵を覗き込んだらこんな色を見られるのか。薄い翠色の中心に榛が混じって、それが美しい瞳を奥深く神秘的に見せている。
アリアドネが恋した瞳。
この美しい瞳をいつでも向き合い見つめていたい。それを許される立場を今もこれからも失いたくない。
ハデスに恋焦がれる事を諦められず、二転三転する自身の心に呆れながらも、傷付くのが惨めで怖くて逃げ出すのは夢の中だけにしたいと、今度は逃げずにハデスに心を開こうと、アリアドネは心の声に耳を傾けた。
「ハデス様。私は初めて貴方とお会いした時から、貴方が偽りを口になさらない方だと、そこだけは信頼しておりました。私は貴方を信じております。」
「そこだけは?」
アリアドネの真摯な言葉は、どうやらハデスのお気に召さなかったらしい。
「君は、私のことをそこだけを信じていると言うのか?」
何か間違えただろうか。
アリアドネは真逆自分が失言したなどとは思っていない。
決して偽りを言わないハデスだから、自分もまた偽らざる心でいようと思った。
だから、
「はい。」
と、答えた。
ハデスが一瞬、泣きそうな顔に見えたのは気の所為だろう。
「彼等の行動に注視しよう。」
なんだか解らぬが立ち直ったらしいハデスの言葉に、アリアドネはほっと息をつく。
「何より、あの令嬢。」
「ハデス様、」
「許せぬ。」
「え?」
「君に不可解な言い掛かりを付けるなど、」
「ハデス様?」
「家ごと潰そうか。」
ハデスはグラントン侯爵家の嫡男である。
子爵家への圧力など、やろうと思えばいくらでも手段を得られる。
「なりません、ハデス様。」
「しかし、アリアドネ。」
「やるなら事実を押さえてからですわ。それからけちょんけちょんに致しましょう。」
「ふっ、確かにそうだな。」
「え?」
え?え?今のは何?
ハデス様、貴方、今、
笑った?
アリアドネは真冬に蜃気楼を見たような気持ちになった。
奇跡か幻か。兎に角、今凄いのを見てしまった。
やだ、ハデス様。貴方ったら笑うと超絶可愛い!
「アリアドネ?」
「あ、ああ、いえ、何でもございません。」
んっんっ、っと咳払いで仕切り直す。
「ギルバートが探りを入れた。」
「探りを?」
「ああ。ヴィクトリア孃と調べたらしい。」
「それは、ファニー孃の事ですか?」
「彼等は騎士団に所属しているから、市井の見回りをする部隊に顔が利く。」
「それでは、」
「ああ。ファニー孃の元々の家、母親の所在を調べたらしい。」
「母親の所在ですか?」
「ファニー孃はつい春先まで平民だったらしいから、そこは容易く調べられた。彼女の育った環境は、子爵の庶子である以外は特段変わった所は無かったそうだ。」
「それはつまり、一般的な平民の暮らしだと?」
「一般的な平民の暮らしと云うなら違うだろう。寧ろ並の暮らしより豊かであったと言えるだろう。子爵が資金援助をしていたらしいから。」
「そうでしょうね。」
「母親は花屋を営んでいるそうだ。親の代からであるらしい。どんな縁で子爵の妾になったか解らないが、極々常識的な人物らしく、街での評判も悪くない。であれば何故あの様な姑息な娘が育ったのか。」
「姑息?」
「そうだろう。怪し気な行動で人の関心を引き憐れを誘う。その為なら見境なく他人を貶め惑わせる。自分を持ち上げる為なら虚言を重ねて無関係な者を陥れる。何故、己の力で独りで立てぬ。」
アリアドネは婚約して以来、初めてハデスの人間的な感情に触れた様な気がした。
正しくは、月曜日の放課後である。
アリアドネは今、学園の図書室の最奥、窓際の角席にいる。向かい合わせに婚約者と座っている。
『彼奴等の一人としてお前に時間をやろう。今日は登城せずとも良い。婚約者との語らいを大切にする事だ。』
フランシス殿下が嫌味たっぷりに放課後の時間を融通したが為に、婚約者同士顔を突き合わせる事となった。
「アリアドネ。何を危惧している?」
ハデスはアリアドネが相談したい事が、彼女の不安から来るものであるのを理解している様だった。
思えば、ハデスはこれまでもアリアドネの言葉を無闇に否定したり御座なりにする事は無かった。
心の交流を得られない関係であっても、アリアドネはハデスのそんな所を信頼していた。
「ハデス様。私が話すことには何の根拠もございません。敢えて言うなら、夢見が悪かったと、そうとしか申せません。それでも貴方は私の話しを聞いて下さいますでしょうか。」
アリアドネの言葉に、ハデスは頷いて見せた。
「Eクラスの男子生徒。セグレイブ男爵令息、クリフォード男爵令息、ダーズビー商会令息。この三人を私は警戒しております。理由はございません。ただ、彼等がファニー孃と何らかの形で関わり合いがあるのではないかと、そう思っているのだとしたら、」
「アリアドネ。」
ハデスは、珍しく途中で言葉を遮りアリアドネに最後まで言わせなかった。
そして、
「君は私に何の根拠も無いことを聞いてくれるかと問うた。ならば私も問おう。君は、私が君のどんな言葉も信じているのだと、そう言う私のことを信じてくれるか。」
そう言ってアリアドネを真正面から見つめた。
美しいハデスの瞳。
深い森の奥。そこに湧く泉の深淵を覗き込んだらこんな色を見られるのか。薄い翠色の中心に榛が混じって、それが美しい瞳を奥深く神秘的に見せている。
アリアドネが恋した瞳。
この美しい瞳をいつでも向き合い見つめていたい。それを許される立場を今もこれからも失いたくない。
ハデスに恋焦がれる事を諦められず、二転三転する自身の心に呆れながらも、傷付くのが惨めで怖くて逃げ出すのは夢の中だけにしたいと、今度は逃げずにハデスに心を開こうと、アリアドネは心の声に耳を傾けた。
「ハデス様。私は初めて貴方とお会いした時から、貴方が偽りを口になさらない方だと、そこだけは信頼しておりました。私は貴方を信じております。」
「そこだけは?」
アリアドネの真摯な言葉は、どうやらハデスのお気に召さなかったらしい。
「君は、私のことをそこだけを信じていると言うのか?」
何か間違えただろうか。
アリアドネは真逆自分が失言したなどとは思っていない。
決して偽りを言わないハデスだから、自分もまた偽らざる心でいようと思った。
だから、
「はい。」
と、答えた。
ハデスが一瞬、泣きそうな顔に見えたのは気の所為だろう。
「彼等の行動に注視しよう。」
なんだか解らぬが立ち直ったらしいハデスの言葉に、アリアドネはほっと息をつく。
「何より、あの令嬢。」
「ハデス様、」
「許せぬ。」
「え?」
「君に不可解な言い掛かりを付けるなど、」
「ハデス様?」
「家ごと潰そうか。」
ハデスはグラントン侯爵家の嫡男である。
子爵家への圧力など、やろうと思えばいくらでも手段を得られる。
「なりません、ハデス様。」
「しかし、アリアドネ。」
「やるなら事実を押さえてからですわ。それからけちょんけちょんに致しましょう。」
「ふっ、確かにそうだな。」
「え?」
え?え?今のは何?
ハデス様、貴方、今、
笑った?
アリアドネは真冬に蜃気楼を見たような気持ちになった。
奇跡か幻か。兎に角、今凄いのを見てしまった。
やだ、ハデス様。貴方ったら笑うと超絶可愛い!
「アリアドネ?」
「あ、ああ、いえ、何でもございません。」
んっんっ、っと咳払いで仕切り直す。
「ギルバートが探りを入れた。」
「探りを?」
「ああ。ヴィクトリア孃と調べたらしい。」
「それは、ファニー孃の事ですか?」
「彼等は騎士団に所属しているから、市井の見回りをする部隊に顔が利く。」
「それでは、」
「ああ。ファニー孃の元々の家、母親の所在を調べたらしい。」
「母親の所在ですか?」
「ファニー孃はつい春先まで平民だったらしいから、そこは容易く調べられた。彼女の育った環境は、子爵の庶子である以外は特段変わった所は無かったそうだ。」
「それはつまり、一般的な平民の暮らしだと?」
「一般的な平民の暮らしと云うなら違うだろう。寧ろ並の暮らしより豊かであったと言えるだろう。子爵が資金援助をしていたらしいから。」
「そうでしょうね。」
「母親は花屋を営んでいるそうだ。親の代からであるらしい。どんな縁で子爵の妾になったか解らないが、極々常識的な人物らしく、街での評判も悪くない。であれば何故あの様な姑息な娘が育ったのか。」
「姑息?」
「そうだろう。怪し気な行動で人の関心を引き憐れを誘う。その為なら見境なく他人を貶め惑わせる。自分を持ち上げる為なら虚言を重ねて無関係な者を陥れる。何故、己の力で独りで立てぬ。」
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