43 / 65
【43】
しおりを挟む
ドレスを贈られて、それが身体に合っていないと責められるのだろうか。あの夢の様に。
「お見苦しくて申し訳ありません。」
「そんな事を言っているのではない。」
「え?」
「だから、その、見苦しいなどと思っているのではない。ただ、」
「ただ?」
「君は、その、少し」
「少し?」
「無防備が過ぎる。自分がどう見られているのか解っていない。」
へ?何を言われているのだろう。
行き成り過ぎて怒る気も起こらない。
「ああ、いや、そうではなくてっ」
ハデスが慌てている。
なんだか様子が可怪しい。
「ハデス様は、私にご不満がお有りなのですね。」
「違う!」
ハ、ハデスが怒鳴った。ハデスに怒鳴られた。
ハデスに声を荒げられるなんて初めての事であったから、アリアドネはすっかり驚いて声も出せなくなってしまった。
「いや、そうではない!」
「...」
「その、君は、少しっ」
「...」
「豊かであるから、」
「...」
「む、胸が、」
「!?」
「胸が豊かだからっ、男の目を引く、その、」
「!??」
「気付いていないのか?」
「ドレスを贈る度に、む、胸のサイズが変わるから、その、何度も確かめねば気が気でなくて、」
ハデスは何か苦いものを噛んだ様な顔をして、アリアドネから視線を逸らす。
「毎回確かめねば、心配になる。む、胸元が見えはしないかと、」
「見える?!」
漸く言葉が出た。ぷはっ
「ドレスのラインで、ほ、豊満、いや、豊かな胸が解ったら、男共が寄って来るだろうっ。そんな成で、」
「え?」
誰が誰に寄って来るんだ?
アリアドネは思考が回っていない。
「そんな成で歩かれて、婚約者が下卑た視線に晒されるなど、許せる男がいるかっ、」
「ハデス様、」
「なんだっ」
「貴方様、私を婚約者だと思っておいでなの?」
「当たり前だろう!!」
怒鳴られるのも、二度目は全然怖く無かった。
寧ろ、なんだか、なんと言うか、その、可愛かった。
この二年、婚約者らしい言葉など発しない、無口と言うか口無しであったハデスが、いっぱい喋って、なんならアリアドネの3倍喋って、その上怒鳴っている。
目元が赤く染まっているのが宵であるのにはっきり解る。
どうしよう。
可愛い。可愛い。可愛い。
「君が私を疎ましく思っているのは解っている「そんな事、思ってません!」
今度はアリアドネが怒鳴る番だった。
「思っていないのか?」
「思ってません!」
「真か?」
「真です!」
「本当「もうっ!貴方こそ私を疎ましく思っているのではないですかっ」
「そんな事、思っていない!」
「だってっ」
「なんだっ」
「だって、なんにもお話しにならないからっ」
ちっちゃい「つ」が連続する言葉の応酬はここまでだった。
ルーズベリー侯爵邸の門扉が見えて来た。
馬車は侯爵邸の敷地に入り、速度を落として正面玄関の前で止まった。
従者がノックして扉が開かれると、ハデスが先に降りた。
くるりと振り返り手を差し出して来る。
それはいつもと変わらぬ姿であったが、ハデスはいつものハデスでなかった。
背中に邸の灯りを受けて顔は宵闇に向けられているのに、馬車の中からも解ってしまうほど朱に染まっていた。
差し出された手の平に手を乗せた途端、指先をキュッと握り込まれた。然程強くはないのに確かな力を込められて、それから引き寄せられた。
そのまま馬車から出て、ステップを一段降りる。
もう一歩降りれば地に足が着く。と、同時に、ハデスは握ったアリアドネの指先を引き寄せて唇を押し当てた。
指先に柔らかな感触を覚えて、それがハデスの唇であるのだと気が付いた瞬間。
顔に火が付いた。
ぼぼぼっと音が出た気がした。
ハ、ハ、ハデス様が、ゆ、ゆ、指先にキスした。
アリアドネは馬車の中であれほど言い合いをしていながら、途端になよなよと乙女と化して腰が砕けてしまった。
「危ないっ」
咄嗟に抱き抱えられて、抱き抱えたハデスも抱き抱えられたアリアドネも、あたふたと慌ててしまう。
何やってんだあの二人的な使用人達の視線を浴びながら、漸く腰に力を込める。
「ごっ、ごめんなさい、」
「いっ、いや、」
王太子殿下の側近候補、麗しの侯爵令息ハデスが、主家の令嬢と向かい合い頬を染める姿に、侍女頭と侍女アメリアがハンカチで目元を拭う。家令と執事が目配せし合う。
兎に角、邸の使用人みんなが生温かく見守っていた。
夜半であるのにやけに明るいと思ったら、今宵は満月であった。
寝台に寝転がったまま窓を見れば、ぽっかり真ん丸な月が浮かんでいる。
道理で明るい理由だ。
秋の名月。
澄んだ夜空に冴え冴えとした月が、発光する灯りの様に見えている。
微かに虫の音が聴こえて、夏の喧騒を失った初秋の夜は心が凪いて落ち着く。
ハデスが変わった。
あの熱に魘された後から、長い夢から覚めてから、彼ははっきりと解るほど変わった。
彼が変わったのか、それとも長い夢に影響されたアリアドネが変わったのか。
もしかしたら、二人共変わってしまったのか。
でなければ、ハデスがアリアドネに口付けなど...。
口付けられたのは指先であったが、アリアドネにとっては十分過ぎる衝撃であった。
馬車の中で言い合った言葉の一言一言を思い出し、こんなに月の冴える夜なのに心も身体も熱く火照って、そんな自分を持て余しながら、明日からどんな顔をしてハデスと会えば良いのだろうと、アリアドネは途方に暮れてしまった。
「お見苦しくて申し訳ありません。」
「そんな事を言っているのではない。」
「え?」
「だから、その、見苦しいなどと思っているのではない。ただ、」
「ただ?」
「君は、その、少し」
「少し?」
「無防備が過ぎる。自分がどう見られているのか解っていない。」
へ?何を言われているのだろう。
行き成り過ぎて怒る気も起こらない。
「ああ、いや、そうではなくてっ」
ハデスが慌てている。
なんだか様子が可怪しい。
「ハデス様は、私にご不満がお有りなのですね。」
「違う!」
ハ、ハデスが怒鳴った。ハデスに怒鳴られた。
ハデスに声を荒げられるなんて初めての事であったから、アリアドネはすっかり驚いて声も出せなくなってしまった。
「いや、そうではない!」
「...」
「その、君は、少しっ」
「...」
「豊かであるから、」
「...」
「む、胸が、」
「!?」
「胸が豊かだからっ、男の目を引く、その、」
「!??」
「気付いていないのか?」
「ドレスを贈る度に、む、胸のサイズが変わるから、その、何度も確かめねば気が気でなくて、」
ハデスは何か苦いものを噛んだ様な顔をして、アリアドネから視線を逸らす。
「毎回確かめねば、心配になる。む、胸元が見えはしないかと、」
「見える?!」
漸く言葉が出た。ぷはっ
「ドレスのラインで、ほ、豊満、いや、豊かな胸が解ったら、男共が寄って来るだろうっ。そんな成で、」
「え?」
誰が誰に寄って来るんだ?
アリアドネは思考が回っていない。
「そんな成で歩かれて、婚約者が下卑た視線に晒されるなど、許せる男がいるかっ、」
「ハデス様、」
「なんだっ」
「貴方様、私を婚約者だと思っておいでなの?」
「当たり前だろう!!」
怒鳴られるのも、二度目は全然怖く無かった。
寧ろ、なんだか、なんと言うか、その、可愛かった。
この二年、婚約者らしい言葉など発しない、無口と言うか口無しであったハデスが、いっぱい喋って、なんならアリアドネの3倍喋って、その上怒鳴っている。
目元が赤く染まっているのが宵であるのにはっきり解る。
どうしよう。
可愛い。可愛い。可愛い。
「君が私を疎ましく思っているのは解っている「そんな事、思ってません!」
今度はアリアドネが怒鳴る番だった。
「思っていないのか?」
「思ってません!」
「真か?」
「真です!」
「本当「もうっ!貴方こそ私を疎ましく思っているのではないですかっ」
「そんな事、思っていない!」
「だってっ」
「なんだっ」
「だって、なんにもお話しにならないからっ」
ちっちゃい「つ」が連続する言葉の応酬はここまでだった。
ルーズベリー侯爵邸の門扉が見えて来た。
馬車は侯爵邸の敷地に入り、速度を落として正面玄関の前で止まった。
従者がノックして扉が開かれると、ハデスが先に降りた。
くるりと振り返り手を差し出して来る。
それはいつもと変わらぬ姿であったが、ハデスはいつものハデスでなかった。
背中に邸の灯りを受けて顔は宵闇に向けられているのに、馬車の中からも解ってしまうほど朱に染まっていた。
差し出された手の平に手を乗せた途端、指先をキュッと握り込まれた。然程強くはないのに確かな力を込められて、それから引き寄せられた。
そのまま馬車から出て、ステップを一段降りる。
もう一歩降りれば地に足が着く。と、同時に、ハデスは握ったアリアドネの指先を引き寄せて唇を押し当てた。
指先に柔らかな感触を覚えて、それがハデスの唇であるのだと気が付いた瞬間。
顔に火が付いた。
ぼぼぼっと音が出た気がした。
ハ、ハ、ハデス様が、ゆ、ゆ、指先にキスした。
アリアドネは馬車の中であれほど言い合いをしていながら、途端になよなよと乙女と化して腰が砕けてしまった。
「危ないっ」
咄嗟に抱き抱えられて、抱き抱えたハデスも抱き抱えられたアリアドネも、あたふたと慌ててしまう。
何やってんだあの二人的な使用人達の視線を浴びながら、漸く腰に力を込める。
「ごっ、ごめんなさい、」
「いっ、いや、」
王太子殿下の側近候補、麗しの侯爵令息ハデスが、主家の令嬢と向かい合い頬を染める姿に、侍女頭と侍女アメリアがハンカチで目元を拭う。家令と執事が目配せし合う。
兎に角、邸の使用人みんなが生温かく見守っていた。
夜半であるのにやけに明るいと思ったら、今宵は満月であった。
寝台に寝転がったまま窓を見れば、ぽっかり真ん丸な月が浮かんでいる。
道理で明るい理由だ。
秋の名月。
澄んだ夜空に冴え冴えとした月が、発光する灯りの様に見えている。
微かに虫の音が聴こえて、夏の喧騒を失った初秋の夜は心が凪いて落ち着く。
ハデスが変わった。
あの熱に魘された後から、長い夢から覚めてから、彼ははっきりと解るほど変わった。
彼が変わったのか、それとも長い夢に影響されたアリアドネが変わったのか。
もしかしたら、二人共変わってしまったのか。
でなければ、ハデスがアリアドネに口付けなど...。
口付けられたのは指先であったが、アリアドネにとっては十分過ぎる衝撃であった。
馬車の中で言い合った言葉の一言一言を思い出し、こんなに月の冴える夜なのに心も身体も熱く火照って、そんな自分を持て余しながら、明日からどんな顔をしてハデスと会えば良いのだろうと、アリアドネは途方に暮れてしまった。
3,218
お気に入りに追加
2,832
あなたにおすすめの小説
アリシアの恋は終わったのです【完結】
ことりちゃん
恋愛
昼休みの廊下で、アリシアはずっとずっと大好きだったマークから、いきなり頬を引っ叩かれた。
その瞬間、アリシアの恋は終わりを迎えた。
そこから長年の虚しい片想いに別れを告げ、新しい道へと歩き出すアリシア。
反対に、後になってアリシアの想いに触れ、遅すぎる行動に出るマーク。
案外吹っ切れて楽しく過ごす女子と、どうしようもなく後悔する残念な男子のお話です。
ーーーーー
12話で完結します。
よろしくお願いします(´∀`)
身代わりーダイヤモンドのように
Rj
恋愛
恋人のライアンには想い人がいる。その想い人に似ているから私を恋人にした。身代わりは本物にはなれない。
恋人のミッシェルが身代わりではいられないと自分のもとを去っていった。彼女の心に好きという言葉がとどかない。
お互い好きあっていたが破れた恋の話。
一話完結でしたが二話を加え全三話になりました。(6/24変更)
【完結】私を裏切った最愛の婚約者の幸せを願って身を引く事にしました。
Rohdea
恋愛
和平の為に、長年争いを繰り返していた国の王子と愛のない政略結婚する事になった王女シャロン。
休戦中とはいえ、かつて敵国同士だった王子と王女。
てっきり酷い扱いを受けるとばかり思っていたのに婚約者となった王子、エミリオは予想とは違いシャロンを温かく迎えてくれた。
互いを大切に想いどんどん仲を深めていく二人。
仲睦まじい二人の様子に誰もがこのまま、平和が訪れると信じていた。
しかし、そんなシャロンに待っていたのは祖国の裏切りと、愛する婚約者、エミリオの裏切りだった───
※初投稿作『私を裏切った前世の婚約者と再会しました。』
の、主人公達の前世の物語となります。
こちらの話の中で語られていた二人の前世を掘り下げた話となります。
❋注意❋ 二人の迎える結末に変更はありません。ご了承ください。
すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…
アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。
婚約者には役目がある。
例え、私との時間が取れなくても、
例え、一人で夜会に行く事になっても、
例え、貴方が彼女を愛していても、
私は貴方を愛してる。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 女性視点、男性視点があります。
❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。
二度目の恋
豆狸
恋愛
私の子がいなくなって半年と少し。
王都へ行っていた夫が、久しぶりに伯爵領へと戻ってきました。
満面の笑みを浮かべた彼の後ろには、ヴィエイラ侯爵令息の未亡人が赤毛の子どもを抱いて立っています。彼女は、彼がずっと想ってきた女性です。
※上記でわかる通り子どもに関するセンシティブな内容があります。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる