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「アリアドネ、大丈夫か。」
どうやらぼぉっとしていたらしい。
ハデスが覗き込んでいた。
普段、言葉掛けは勿論、エスコート以外アリアドネには触れることの無いハデスが、アリアドネの肩を抱きその顔を覗いている。
その姿は、傍からは、珍令嬢に言い掛かりを付けられたのを婚約者が案じている様に見えたらしく、何かほのぼのとした温い視線を向けられている。
「ハ、ハデス様、」
「大丈夫か。」
「は、はい、あの、アンネマリー様は、」
「殿下と一緒に賓客へ挨拶回りをしておられる。私達には下がって良いと。」
「あ、ああ、」
そうなのですね、までは言えなかった。
アンネマリーの気高い姿。フランシス殿下の神々しい姿。
アリアドネは強烈な光線に当てられたように、思考が上手く働かない。
「はっ、ハデス様、私、アンネマリー様にお礼を、」
「慌てるな。大丈夫だ。殿下もアンネマリー嬢も君の事を案じておられた。良い機会だったのだ。」
「良い機会?」
「あの令嬢だ。」
「ファニー嬢?」
ハデスはそれに頷く。
それから、
「喉が渇いただろう。何か飲み物を貰ってくる。ここで待っていてくれ。」
そう言って人波みの中に消えて行った。
アリアドネがそのまま人波を眺めていると、ハデスが戻って来るのが見えた。
「シャンパンで良かったか。」
ハデスはアリアドネの為にシャンパンを貰って来たらしい。冷えたシャンパンのグラスから水滴が垂れている。
「有難うございます。頂戴します。」
そう言うとハデスはアリアドネにグラスを手渡した。ハデスの指先が濡れている。
アリアドネは片手でハンカチを取り出しハデスに渡した。
「濡れてますわ。」
「ああ。」
ハデスはアリアドネが差し出したハンカチを受け取り、指先を拭ってからそれを自分のジャケットの内ポケットに仕舞う。
汚れたまま返してくれてよいのに、彼は決してそうはしない。後日必ず新しいハンカチを贈ってくれる。
「美味しい。」
受け取ったシャンパンをひと口含むと、キリリと冷えたシャンパンが喉で弾けた。
「アリアドネ、今日は私から離れるな。」
「え?」
ハデスと夜会に出て、そんな事を言われるのは初めてであった。
「何か不穏なものを感じる。」
不穏と聞いて、アリアドネには夢で見た夕暮れの風景が思い浮かんだ。
三人の男子生徒。
思わずぶるりと震えてしまう。それをハデスは見逃さなかったらしい。
「私の側から離れるな。良いな?」
そう重ねて言われ、アリアドネは頷いた。
ハデスはそれに安堵したらしい。
アリアドネにも解るほど、ほっとした表情を見せた。
その後、フランシス殿下とアンネマリーが賓客との挨拶から戻って来て、アリアドネ達も元の様にアンネマリーの側に控えた。
「アンネマリー様、有難う御座いました。」
アリアドネがそう言えば、
「私のアリアドネに無礼など許さなくてよ。」
アンネマリーは麗しい笑みを見せた。
ふわふわ不思議令嬢ファニーは、その後は現れることは無かった。
義兄に連れられ邸に戻ったのだろう。
モンド子爵はあの場で何をしていたのか。
あの後は人混みに紛れて帰ったのだろうか。
そもそもあの場にいたのか。いたのであれば、あんな騒ぎを起こす前に娘を引き止められなかったのか。
考えれば考えるほど不可解な事ばかりである。摩訶不思議な令嬢である。
ファニー嬢の行動は、一つ一つが常識を逸脱している。
それなのに、見目が幼く可憐であるばかりに目溢しされて許される。その連続があんな行動を取らせることになったのか。
ハデスは、夢の中のハデスではなかった。ファニーの誘いを断ってくれた。
アリアドネの名を出したのにも抗議をしてくれた。
それは常識的に考えれば至極当然の事なのだが、強烈な夢の余韻から、アリアドネの中では今もハデスがファニーの誘いを受けて二人で躍る姿が目に浮かぶ。
実際は、ハデスは手を差し出す事すらしなかった。初めからマナーを理由に断ってくれた。
艷やかな黒髪に深淵な翠の瞳、どこか中性的な魅力があるハデス。
美しいハデスは令嬢方に人気が高い。
その上、彼は身分も高く将来は王家に仕える事がほぼ決定している。
鮮烈な夢を見た後で、アリアドネは既に自分の気持ちを整理していた。
もう夢の中の様にハデスに失望せずとも彼を手離せる。
現実のハデスが、自分以外の令嬢を伴ったとしても、その決心が揺らぐ事はないだろう。
二人の破綻した関係を認めて、潔くこの手を離せる筈である。
最近のハデスの変化に驚かされるも、きっと多分出来る筈。
まるで自分に言い聞かせる様に、改めて決心を思い出す。
視線の先にハデスがいる。
フランシス殿下の脇に控えるハデスの姿。まだ警戒しているのか、時折アリアドネの方を振り返る。
夜会は無事に終わりを迎えた。
帰りもハデスの馬車で送ってもらう。
パトリシアとヴィクトリアがそれぞれの婚約者に伴われて、先に帰って行った。
グラントン侯爵家の馬車が馬車止まりに着いて、ハデスが手を差し伸べるのを借りてステップを上がる。
車内に入り座席に座れば、後からハデスが入って来た。向かい合わせに座って、このまま邸まで送ってもらう。
「ドレスの寸法が合っていない。」
行き成りの言葉にアリアドネは驚いた。
決して太ったりなどしていない。寧ろ少しばかり痩せたほどだ。真逆ここで夢の再現の様に詰られるのだろうか。
「痩せてしまったのは、あの令嬢のせいか?」
「え?」
「君に何やら度々仕掛けてきた。」
「いえ、大丈夫です。私は何とも有りません。」
「真か?」
ハデスがやけに食い下がる。
どうやらぼぉっとしていたらしい。
ハデスが覗き込んでいた。
普段、言葉掛けは勿論、エスコート以外アリアドネには触れることの無いハデスが、アリアドネの肩を抱きその顔を覗いている。
その姿は、傍からは、珍令嬢に言い掛かりを付けられたのを婚約者が案じている様に見えたらしく、何かほのぼのとした温い視線を向けられている。
「ハ、ハデス様、」
「大丈夫か。」
「は、はい、あの、アンネマリー様は、」
「殿下と一緒に賓客へ挨拶回りをしておられる。私達には下がって良いと。」
「あ、ああ、」
そうなのですね、までは言えなかった。
アンネマリーの気高い姿。フランシス殿下の神々しい姿。
アリアドネは強烈な光線に当てられたように、思考が上手く働かない。
「はっ、ハデス様、私、アンネマリー様にお礼を、」
「慌てるな。大丈夫だ。殿下もアンネマリー嬢も君の事を案じておられた。良い機会だったのだ。」
「良い機会?」
「あの令嬢だ。」
「ファニー嬢?」
ハデスはそれに頷く。
それから、
「喉が渇いただろう。何か飲み物を貰ってくる。ここで待っていてくれ。」
そう言って人波みの中に消えて行った。
アリアドネがそのまま人波を眺めていると、ハデスが戻って来るのが見えた。
「シャンパンで良かったか。」
ハデスはアリアドネの為にシャンパンを貰って来たらしい。冷えたシャンパンのグラスから水滴が垂れている。
「有難うございます。頂戴します。」
そう言うとハデスはアリアドネにグラスを手渡した。ハデスの指先が濡れている。
アリアドネは片手でハンカチを取り出しハデスに渡した。
「濡れてますわ。」
「ああ。」
ハデスはアリアドネが差し出したハンカチを受け取り、指先を拭ってからそれを自分のジャケットの内ポケットに仕舞う。
汚れたまま返してくれてよいのに、彼は決してそうはしない。後日必ず新しいハンカチを贈ってくれる。
「美味しい。」
受け取ったシャンパンをひと口含むと、キリリと冷えたシャンパンが喉で弾けた。
「アリアドネ、今日は私から離れるな。」
「え?」
ハデスと夜会に出て、そんな事を言われるのは初めてであった。
「何か不穏なものを感じる。」
不穏と聞いて、アリアドネには夢で見た夕暮れの風景が思い浮かんだ。
三人の男子生徒。
思わずぶるりと震えてしまう。それをハデスは見逃さなかったらしい。
「私の側から離れるな。良いな?」
そう重ねて言われ、アリアドネは頷いた。
ハデスはそれに安堵したらしい。
アリアドネにも解るほど、ほっとした表情を見せた。
その後、フランシス殿下とアンネマリーが賓客との挨拶から戻って来て、アリアドネ達も元の様にアンネマリーの側に控えた。
「アンネマリー様、有難う御座いました。」
アリアドネがそう言えば、
「私のアリアドネに無礼など許さなくてよ。」
アンネマリーは麗しい笑みを見せた。
ふわふわ不思議令嬢ファニーは、その後は現れることは無かった。
義兄に連れられ邸に戻ったのだろう。
モンド子爵はあの場で何をしていたのか。
あの後は人混みに紛れて帰ったのだろうか。
そもそもあの場にいたのか。いたのであれば、あんな騒ぎを起こす前に娘を引き止められなかったのか。
考えれば考えるほど不可解な事ばかりである。摩訶不思議な令嬢である。
ファニー嬢の行動は、一つ一つが常識を逸脱している。
それなのに、見目が幼く可憐であるばかりに目溢しされて許される。その連続があんな行動を取らせることになったのか。
ハデスは、夢の中のハデスではなかった。ファニーの誘いを断ってくれた。
アリアドネの名を出したのにも抗議をしてくれた。
それは常識的に考えれば至極当然の事なのだが、強烈な夢の余韻から、アリアドネの中では今もハデスがファニーの誘いを受けて二人で躍る姿が目に浮かぶ。
実際は、ハデスは手を差し出す事すらしなかった。初めからマナーを理由に断ってくれた。
艷やかな黒髪に深淵な翠の瞳、どこか中性的な魅力があるハデス。
美しいハデスは令嬢方に人気が高い。
その上、彼は身分も高く将来は王家に仕える事がほぼ決定している。
鮮烈な夢を見た後で、アリアドネは既に自分の気持ちを整理していた。
もう夢の中の様にハデスに失望せずとも彼を手離せる。
現実のハデスが、自分以外の令嬢を伴ったとしても、その決心が揺らぐ事はないだろう。
二人の破綻した関係を認めて、潔くこの手を離せる筈である。
最近のハデスの変化に驚かされるも、きっと多分出来る筈。
まるで自分に言い聞かせる様に、改めて決心を思い出す。
視線の先にハデスがいる。
フランシス殿下の脇に控えるハデスの姿。まだ警戒しているのか、時折アリアドネの方を振り返る。
夜会は無事に終わりを迎えた。
帰りもハデスの馬車で送ってもらう。
パトリシアとヴィクトリアがそれぞれの婚約者に伴われて、先に帰って行った。
グラントン侯爵家の馬車が馬車止まりに着いて、ハデスが手を差し伸べるのを借りてステップを上がる。
車内に入り座席に座れば、後からハデスが入って来た。向かい合わせに座って、このまま邸まで送ってもらう。
「ドレスの寸法が合っていない。」
行き成りの言葉にアリアドネは驚いた。
決して太ったりなどしていない。寧ろ少しばかり痩せたほどだ。真逆ここで夢の再現の様に詰られるのだろうか。
「痩せてしまったのは、あの令嬢のせいか?」
「え?」
「君に何やら度々仕掛けてきた。」
「いえ、大丈夫です。私は何とも有りません。」
「真か?」
ハデスがやけに食い下がる。
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