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「土曜夕刻、迎えに行く。」
ここは学園の図書室。
西側の最奥、窓際の角席。
先週ハデスと発足した「水曜日の報告会」である。
「...有難うございます。お待ちしております。」
アリアドネは気が重くなる。
今週末には王家主催の夜会がある。
デヴュタントを迎える前にハデスと婚約していたから、社交の場でアリアドネのパートナーはハデス唯一人であった。
アリアドネの心の隅には、自分はハデスに望まれていない、疎まれている、そう云う悲しい思いが常にある。
婚約してからの二年の間にそれはすっかり心の内に染み込んでいたから、ハデスの姿を目にする度に条件反射的に悲しくなる。
どこかの学者が犬の餌付けに...以下夢の中と同文であるから省略しよう。
兎に角、ハデスの姿を見れば自動的に悲しくなる。
それを回避する為にアリアドネはハデスを瞳に映さぬよう、巧みの技を駆使して視線を外していたのである。
けれども今、そのバデスは目の前にいてこちらを見つめている。視線を外すだなんて無理である。
「えっと、ドレスならご心配には及びません。昨晩も試着しましたがサイズは大丈夫でしたから。」
夢であるのにハデスから受けた「お前、肥えただろう発言」(誇大表現)は、目覚めたアリアドネを痛く傷付けた。
あんなの例え夢でも御免である。況してや現実で言われるだなんて真っ平であった。
この一週間は極力肉類は摂取ぜず、恋愛小説の次に好物の甘味も控えていたから、寧ろ痩せてしまってアメリアを心配させた程である。
ハデスは自身が美しいからか、美的感性が冴えている。地味令嬢アリアドネへ贈るドレスも、地味な令嬢の落ち着きが魅力と映る様な洗練されたデザインを選んでくれる。だから、今回のドレスも美しかった。
深い緑色のドレスであった。
生地の織り方の為か、光を受けて緑が柔らかな反射を見せるのがとても美しい。
あのドレスを纏って「肥えた」などと言われる事は、令嬢として死刑宣告を受けるに等しい。
今度こそ美しく着こなすべし!
「ああ、いや、」
ん?ん?
アリアドネはハデスの意外な反応に戸惑った。こんな逡巡する様子を見たことが無い。
「いや、そうではなくて。その、」
「ご心配には及びません。決して肥えたりなど致しておりませんから。」
ついつい助け舟を出してしまう。
「いや、そうではない。ああ、気にせずともいい。」
なんだ。気にしなくて良いのか。
ではなんだろう。ハデス様、目の下が赤くない?
アリアドネはハデスの表情が常と違うものだから、つい覗き込んでしまった。
ん?ん?と覗き込むアリアドネの視線から逃れる様に、ハデスは咳払いをした。
「失礼致しました。」
「いや、構わない。」
ハデスの咳払いに、アリアドネは非礼を詫びる。
「ところで、」
ハデスは話題の方向転換を試みた様だ。
アリアドネもそれに追従すべく居住まいを正した。
「あの令嬢に注意する様に。」
あの令嬢。過去も現在も、アリアドネが注意を払う令嬢など一人しか知らない。
摩訶不思議ふわふわ令嬢ファニーである。
「殿下に近付く意図を感じる。故にアンネマリー嬢への接触が考えられる。」
それは見当違いでございます、ハデス様。
あのふわふわは貴方様をお望みなのです。
そう言ってやりたいも、それは夢の中のお話しであるから、今ここでアリアドネが言うことではない。
ハデスがゆるふわファニーに惹かれたとしても、今のアリアドネにそれを咎める権利は無い。
新学期になってからの一週間、ハデスが思い掛けない行動を取るのが続いた為にアリアドネは忘れていたが、ハデスとアリアドネは想い合う婚約者同士などではない。
ふわふわ令嬢ファニーは孤高の存在フランシス殿下を諦めて、煌めく麗人ハデスへ心を移すのだ。そうしてハデスはそんな彼女の手を取って、その後は彼女が引き起こすアリアドネへの無礼にも無反応を貫くのであった。
心の中で、アリアドネは大好物である恋愛小説のあらすじを読むように、夢での出来事を簡潔に纏めて振り返った。
その舞台は週末の夜会から始まる。
二人がその気になるのなら、アリアドネは惨めな幕引きをしたくはなかった。
彼が本心ではあの摩訶不思議令嬢を望むのなら、婚約者の席に執着するつもりなど毛頭無い。
鮮烈な夢を見たお陰で、アリアドネは自分の気持ちを整理した。
ハデスに惹かれていた。
初めて会ったあの日から、ハデスに恋をした。そうしてその日の内に悟ってしまった。
アリアドネがどれほどハデスに恋焦がれても、ハデスが同じ感情をアリアドネに向けてくれる事は無い。それはこの二年のうちに何度も承知した事である。何度も繰り返し分かってしまったから、もう夢の中の様にハデスに失望せずとも手離せる。
喩えドレス姿を醜いと言われようとも、可憐な令嬢をダンスに誘おうとも、その令嬢から可怪しな言い掛かりを付けられるのを見て見ぬふりをされようとも、失望からハデスを手離すのでは無く、彼と自分の関係破綻を認めて潔くこの手を離そうと、そう心に決めていた。
ハデス様。
今の貴方が何れ程ファニー嬢を警戒しようとも、貴方は結局彼女を見逃すでしょう。
それが貴方の恋心からなのかは生憎私には解らないけれど、せめて私との不毛な関係は必ず解消すると約束するわ。
目元を染めるハデスを見つめながら、アリアドネは決意を固めた。
ここは学園の図書室。
西側の最奥、窓際の角席。
先週ハデスと発足した「水曜日の報告会」である。
「...有難うございます。お待ちしております。」
アリアドネは気が重くなる。
今週末には王家主催の夜会がある。
デヴュタントを迎える前にハデスと婚約していたから、社交の場でアリアドネのパートナーはハデス唯一人であった。
アリアドネの心の隅には、自分はハデスに望まれていない、疎まれている、そう云う悲しい思いが常にある。
婚約してからの二年の間にそれはすっかり心の内に染み込んでいたから、ハデスの姿を目にする度に条件反射的に悲しくなる。
どこかの学者が犬の餌付けに...以下夢の中と同文であるから省略しよう。
兎に角、ハデスの姿を見れば自動的に悲しくなる。
それを回避する為にアリアドネはハデスを瞳に映さぬよう、巧みの技を駆使して視線を外していたのである。
けれども今、そのバデスは目の前にいてこちらを見つめている。視線を外すだなんて無理である。
「えっと、ドレスならご心配には及びません。昨晩も試着しましたがサイズは大丈夫でしたから。」
夢であるのにハデスから受けた「お前、肥えただろう発言」(誇大表現)は、目覚めたアリアドネを痛く傷付けた。
あんなの例え夢でも御免である。況してや現実で言われるだなんて真っ平であった。
この一週間は極力肉類は摂取ぜず、恋愛小説の次に好物の甘味も控えていたから、寧ろ痩せてしまってアメリアを心配させた程である。
ハデスは自身が美しいからか、美的感性が冴えている。地味令嬢アリアドネへ贈るドレスも、地味な令嬢の落ち着きが魅力と映る様な洗練されたデザインを選んでくれる。だから、今回のドレスも美しかった。
深い緑色のドレスであった。
生地の織り方の為か、光を受けて緑が柔らかな反射を見せるのがとても美しい。
あのドレスを纏って「肥えた」などと言われる事は、令嬢として死刑宣告を受けるに等しい。
今度こそ美しく着こなすべし!
「ああ、いや、」
ん?ん?
アリアドネはハデスの意外な反応に戸惑った。こんな逡巡する様子を見たことが無い。
「いや、そうではなくて。その、」
「ご心配には及びません。決して肥えたりなど致しておりませんから。」
ついつい助け舟を出してしまう。
「いや、そうではない。ああ、気にせずともいい。」
なんだ。気にしなくて良いのか。
ではなんだろう。ハデス様、目の下が赤くない?
アリアドネはハデスの表情が常と違うものだから、つい覗き込んでしまった。
ん?ん?と覗き込むアリアドネの視線から逃れる様に、ハデスは咳払いをした。
「失礼致しました。」
「いや、構わない。」
ハデスの咳払いに、アリアドネは非礼を詫びる。
「ところで、」
ハデスは話題の方向転換を試みた様だ。
アリアドネもそれに追従すべく居住まいを正した。
「あの令嬢に注意する様に。」
あの令嬢。過去も現在も、アリアドネが注意を払う令嬢など一人しか知らない。
摩訶不思議ふわふわ令嬢ファニーである。
「殿下に近付く意図を感じる。故にアンネマリー嬢への接触が考えられる。」
それは見当違いでございます、ハデス様。
あのふわふわは貴方様をお望みなのです。
そう言ってやりたいも、それは夢の中のお話しであるから、今ここでアリアドネが言うことではない。
ハデスがゆるふわファニーに惹かれたとしても、今のアリアドネにそれを咎める権利は無い。
新学期になってからの一週間、ハデスが思い掛けない行動を取るのが続いた為にアリアドネは忘れていたが、ハデスとアリアドネは想い合う婚約者同士などではない。
ふわふわ令嬢ファニーは孤高の存在フランシス殿下を諦めて、煌めく麗人ハデスへ心を移すのだ。そうしてハデスはそんな彼女の手を取って、その後は彼女が引き起こすアリアドネへの無礼にも無反応を貫くのであった。
心の中で、アリアドネは大好物である恋愛小説のあらすじを読むように、夢での出来事を簡潔に纏めて振り返った。
その舞台は週末の夜会から始まる。
二人がその気になるのなら、アリアドネは惨めな幕引きをしたくはなかった。
彼が本心ではあの摩訶不思議令嬢を望むのなら、婚約者の席に執着するつもりなど毛頭無い。
鮮烈な夢を見たお陰で、アリアドネは自分の気持ちを整理した。
ハデスに惹かれていた。
初めて会ったあの日から、ハデスに恋をした。そうしてその日の内に悟ってしまった。
アリアドネがどれほどハデスに恋焦がれても、ハデスが同じ感情をアリアドネに向けてくれる事は無い。それはこの二年のうちに何度も承知した事である。何度も繰り返し分かってしまったから、もう夢の中の様にハデスに失望せずとも手離せる。
喩えドレス姿を醜いと言われようとも、可憐な令嬢をダンスに誘おうとも、その令嬢から可怪しな言い掛かりを付けられるのを見て見ぬふりをされようとも、失望からハデスを手離すのでは無く、彼と自分の関係破綻を認めて潔くこの手を離そうと、そう心に決めていた。
ハデス様。
今の貴方が何れ程ファニー嬢を警戒しようとも、貴方は結局彼女を見逃すでしょう。
それが貴方の恋心からなのかは生憎私には解らないけれど、せめて私との不毛な関係は必ず解消すると約束するわ。
目元を染めるハデスを見つめながら、アリアドネは決意を固めた。
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