上 下
30 / 65

【30】

しおりを挟む
二日ぶりに目が覚めて、現実味のあり過ぎる長い夢に混乱して、それが漸く落ち着くとアリアドネは空腹を覚えた。

「お嬢様、病み上がりですから無理は出来ませんが、もう少しお召し上がりになって大丈夫です。」

「ええ、でもこれ以上食べては太ってしまうわ。」

「これしきで太ろう筈がございません。それにお嬢様はもう少しお太りになられてもよいほどです。」

熱が下がり目が覚めて長い夢を思い返しているうちに、空腹を覚えたアリアドネはそこで漸く侍女を呼んだ。

母と侍女のアメリアがすっ飛んで来て、それから少し騒がしかった。

アリアドネが目覚めた事で、料理長は早速ミルク粥を作ってくれた。

実のところアリアドネは、熱を出した時に作って貰えるミルク粥が幼い頃からの好物であったのだが、滅多に熱など出さないアリアドネがこの好物にありつける事は少なかった。

頼めば料理長はいつでも作ってくれたのだろうが、アメリアに「あらあらお嬢様はまだその様な幼子のお食事がお好きなのですね」等とからかわれるのが恥ずかしくて言えずにいたのである。

その好物を堪能したいのに出来ないのは、夢の中でハデスに体型について責められた事が、夢から覚めた後もアリアドネの心に憂いを残していたからであった。


それから身を清めて少し横になる内に微睡んで、一刻ばかり眠っていたようである。
余程深く眠っていたのか、夢は見なかった。明晰な夢を見た後は、その先が知りたくてもう一度眠ってみても、大抵それらしい夢を見た試しなど無い。

夜になっても、どこか今いる世界と夢の世界の狭間にいるような、足元の定まらない心持ちでいた。


「アリアドネ、無理はしなくて良いのよ。学園は逃げはしないわ。もう一日休んでいたほうが良いのではなくて?」

母が心配しているのは、明日から学園の新学期を迎える為である。今日は夏休みの最終日だったのだ。

「大丈夫ですわ。お母様。夕方まで寝ておりましたらすっかり目が冴えてしまって。動きたいと身体が言っておりますもの。」

「もう。貴女は頑張り過ぎるから心配なのよ。ヘンドリック、アリアドネを頼むわね。」

「母上、私は学園で姉上に容易に近付く事が出来ないんですよ。何せ高貴な壁の後ろにいるのですから。」

「変な言い方はよして頂戴。それでなくても取り巻きなんて言われているのに。」

ついつい夢の中で「取り巻き」と言われていた事を持ち出してしまった。

「まあ仕方あるまい。それは社会に出ても付いてくる事だと受け入れるしか無いだろう。羨望の矛先はやっかみに取って代わるのは学生ばかりではないのだからね。」

父はアリアドネの立場を冷静に言って聞かせた。

二日ぶりに家族と会話が出来た事で、アリアドネは漸く現実に戻って来たような気がした。それは、もう一つの別の世界から今いる世界へ移った様な可怪しな感覚だった。



「お早う御座います。ハデス様」
「ああ。」

お早うの挨拶にお返しの言葉は少ない。
安定の2文字。夢から覚めたと言ってそれはアリアドネの頭の中の出来事であるから、ハデスが何か変わるわけでもない。

会話が無い為に暇であるから、アリアドネは文字数を数えそうになって、そんな事をしても虚しいだけだと咄嗟に辞めた。


今日から新学期が始まる。
母が案じるのを押して登校する事にしたのは、体調が回復した事もあるが、夢で見たあの朝の出来事が気になった為でもあった。
夢は所詮夢である。そこまで気にせずとも良いのだが、アリアドネは未だ夢に引き摺られていた。


「先週贈った衣装、寸法に変わりは無かったか。」

え?
うっかりアリアドネは返事が遅れてしまった。夢と同じ問い掛けに戸惑った。

「変わったのか?」
「ええ、いえ、大丈夫です、」
「それは、変わったのか?変わらないのか?」
「変わっておりません。大丈夫です。お衣装を有難うございます。」
「ああ。」

しどろもどろになって可怪しな返答を返したが為に、ハデスから確かめられてしまう。

来週には王家主催の夜会がある。
それは夢の通りであった。

いよいよ体調管理に気を付けなければ。ドレスがキツくなるだなんて有ってはならない。

「大丈夫なのか?」
「えっ?」
「熱が出たと聞いた。その、見舞いに行けず済まなかった。」

え?え?え?ハデス様どうしちゃったの?
アリアドネの頭の中は猛烈ハテナで埋め尽くされた。

「無理をしたのではないか?」
「え?」
「新学期だからと。」
「ああ、いえ、大丈夫です。ご心配には及びません。」
「そうか。」

何が起こったのだろう。ハデスが喋った。いっぱい喋った。最後なんて安定の2文字ではなくて3文字だった。

アリアドネは胸がとくとく音を立てるのをハデスに気付かれはしまいかと心配になった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?

氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。 しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。 夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。 小説家なろうにも投稿中

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

身代わりーダイヤモンドのように

Rj
恋愛
恋人のライアンには想い人がいる。その想い人に似ているから私を恋人にした。身代わりは本物にはなれない。 恋人のミッシェルが身代わりではいられないと自分のもとを去っていった。彼女の心に好きという言葉がとどかない。 お互い好きあっていたが破れた恋の話。 一話完結でしたが二話を加え全三話になりました。(6/24変更)

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

貴方の記憶が戻るまで

cyaru
恋愛
「君と結婚をしなくてはならなくなったのは人生最大の屈辱だ。私には恋人もいる。君を抱くことはない」 初夜、夫となったサミュエルにそう告げられたオフィーリア。 3年経ち、子が出来ていなければ離縁が出来る。 それを希望に間もなく2年半となる時、戦場でサミュエルが負傷したと連絡が入る。 大怪我を負ったサミュエルが目を覚ます‥‥喜んだ使用人達だが直ぐに落胆をした。 サミュエルは記憶を失っていたのだった。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※作者都合のご都合主義です。作者は外道なので気を付けてください(何に?‥いろいろ) ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

騎士の妻ではいられない

Rj
恋愛
騎士の娘として育ったリンダは騎士とは結婚しないと決めていた。しかし幼馴染みで騎士のイーサンと結婚したリンダ。結婚した日に新郎は非常召集され、新婦のリンダは結婚を祝う宴に一人残された。二年目の結婚記念日に戻らない夫を待つリンダはもう騎士の妻ではいられないと心を決める。 全23話。 2024/1/29 全体的な加筆修正をしました。話の内容に変わりはありません。 イーサンが主人公の続編『騎士の妻でいてほしい 』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/96163257/36727666)があります。

一番でなくとも

Rj
恋愛
婚約者が恋に落ちたのは親友だった。一番大切な存在になれない私。それでも私は幸せになる。 全九話。

「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

処理中です...