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二日ぶりに目が覚めて、現実味のあり過ぎる長い夢に混乱して、それが漸く落ち着くとアリアドネは空腹を覚えた。
「お嬢様、病み上がりですから無理は出来ませんが、もう少しお召し上がりになって大丈夫です。」
「ええ、でもこれ以上食べては太ってしまうわ。」
「これしきで太ろう筈がございません。それにお嬢様はもう少しお太りになられてもよいほどです。」
熱が下がり目が覚めて長い夢を思い返しているうちに、空腹を覚えたアリアドネはそこで漸く侍女を呼んだ。
母と侍女のアメリアがすっ飛んで来て、それから少し騒がしかった。
アリアドネが目覚めた事で、料理長は早速ミルク粥を作ってくれた。
実のところアリアドネは、熱を出した時に作って貰えるミルク粥が幼い頃からの好物であったのだが、滅多に熱など出さないアリアドネがこの好物にありつける事は少なかった。
頼めば料理長はいつでも作ってくれたのだろうが、アメリアに「あらあらお嬢様はまだその様な幼子のお食事がお好きなのですね」等とからかわれるのが恥ずかしくて言えずにいたのである。
その好物を堪能したいのに出来ないのは、夢の中でハデスに体型について責められた事が、夢から覚めた後もアリアドネの心に憂いを残していたからであった。
それから身を清めて少し横になる内に微睡んで、一刻ばかり眠っていたようである。
余程深く眠っていたのか、夢は見なかった。明晰な夢を見た後は、その先が知りたくてもう一度眠ってみても、大抵それらしい夢を見た試しなど無い。
夜になっても、どこか今いる世界と夢の世界の狭間にいるような、足元の定まらない心持ちでいた。
「アリアドネ、無理はしなくて良いのよ。学園は逃げはしないわ。もう一日休んでいたほうが良いのではなくて?」
母が心配しているのは、明日から学園の新学期を迎える為である。今日は夏休みの最終日だったのだ。
「大丈夫ですわ。お母様。夕方まで寝ておりましたらすっかり目が冴えてしまって。動きたいと身体が言っておりますもの。」
「もう。貴女は頑張り過ぎるから心配なのよ。ヘンドリック、アリアドネを頼むわね。」
「母上、私は学園で姉上に容易に近付く事が出来ないんですよ。何せ高貴な壁の後ろにいるのですから。」
「変な言い方はよして頂戴。それでなくても取り巻きなんて言われているのに。」
ついつい夢の中で「取り巻き」と言われていた事を持ち出してしまった。
「まあ仕方あるまい。それは社会に出ても付いてくる事だと受け入れるしか無いだろう。羨望の矛先はやっかみに取って代わるのは学生ばかりではないのだからね。」
父はアリアドネの立場を冷静に言って聞かせた。
二日ぶりに家族と会話が出来た事で、アリアドネは漸く現実に戻って来たような気がした。それは、もう一つの別の世界から今いる世界へ移った様な可怪しな感覚だった。
「お早う御座います。ハデス様」
「ああ。」
お早うの挨拶にお返しの言葉は少ない。
安定の2文字。夢から覚めたと言ってそれはアリアドネの頭の中の出来事であるから、ハデスが何か変わるわけでもない。
会話が無い為に暇であるから、アリアドネは文字数を数えそうになって、そんな事をしても虚しいだけだと咄嗟に辞めた。
今日から新学期が始まる。
母が案じるのを押して登校する事にしたのは、体調が回復した事もあるが、夢で見たあの朝の出来事が気になった為でもあった。
夢は所詮夢である。そこまで気にせずとも良いのだが、アリアドネは未だ夢に引き摺られていた。
「先週贈った衣装、寸法に変わりは無かったか。」
え?
うっかりアリアドネは返事が遅れてしまった。夢と同じ問い掛けに戸惑った。
「変わったのか?」
「ええ、いえ、大丈夫です、」
「それは、変わったのか?変わらないのか?」
「変わっておりません。大丈夫です。お衣装を有難うございます。」
「ああ。」
しどろもどろになって可怪しな返答を返したが為に、ハデスから確かめられてしまう。
来週には王家主催の夜会がある。
それは夢の通りであった。
いよいよ体調管理に気を付けなければ。ドレスがキツくなるだなんて有ってはならない。
「大丈夫なのか?」
「えっ?」
「熱が出たと聞いた。その、見舞いに行けず済まなかった。」
え?え?え?ハデス様どうしちゃったの?
アリアドネの頭の中は猛烈ハテナで埋め尽くされた。
「無理をしたのではないか?」
「え?」
「新学期だからと。」
「ああ、いえ、大丈夫です。ご心配には及びません。」
「そうか。」
何が起こったのだろう。ハデスが喋った。いっぱい喋った。最後なんて安定の2文字ではなくて3文字だった。
アリアドネは胸がとくとく音を立てるのをハデスに気付かれはしまいかと心配になった。
「お嬢様、病み上がりですから無理は出来ませんが、もう少しお召し上がりになって大丈夫です。」
「ええ、でもこれ以上食べては太ってしまうわ。」
「これしきで太ろう筈がございません。それにお嬢様はもう少しお太りになられてもよいほどです。」
熱が下がり目が覚めて長い夢を思い返しているうちに、空腹を覚えたアリアドネはそこで漸く侍女を呼んだ。
母と侍女のアメリアがすっ飛んで来て、それから少し騒がしかった。
アリアドネが目覚めた事で、料理長は早速ミルク粥を作ってくれた。
実のところアリアドネは、熱を出した時に作って貰えるミルク粥が幼い頃からの好物であったのだが、滅多に熱など出さないアリアドネがこの好物にありつける事は少なかった。
頼めば料理長はいつでも作ってくれたのだろうが、アメリアに「あらあらお嬢様はまだその様な幼子のお食事がお好きなのですね」等とからかわれるのが恥ずかしくて言えずにいたのである。
その好物を堪能したいのに出来ないのは、夢の中でハデスに体型について責められた事が、夢から覚めた後もアリアドネの心に憂いを残していたからであった。
それから身を清めて少し横になる内に微睡んで、一刻ばかり眠っていたようである。
余程深く眠っていたのか、夢は見なかった。明晰な夢を見た後は、その先が知りたくてもう一度眠ってみても、大抵それらしい夢を見た試しなど無い。
夜になっても、どこか今いる世界と夢の世界の狭間にいるような、足元の定まらない心持ちでいた。
「アリアドネ、無理はしなくて良いのよ。学園は逃げはしないわ。もう一日休んでいたほうが良いのではなくて?」
母が心配しているのは、明日から学園の新学期を迎える為である。今日は夏休みの最終日だったのだ。
「大丈夫ですわ。お母様。夕方まで寝ておりましたらすっかり目が冴えてしまって。動きたいと身体が言っておりますもの。」
「もう。貴女は頑張り過ぎるから心配なのよ。ヘンドリック、アリアドネを頼むわね。」
「母上、私は学園で姉上に容易に近付く事が出来ないんですよ。何せ高貴な壁の後ろにいるのですから。」
「変な言い方はよして頂戴。それでなくても取り巻きなんて言われているのに。」
ついつい夢の中で「取り巻き」と言われていた事を持ち出してしまった。
「まあ仕方あるまい。それは社会に出ても付いてくる事だと受け入れるしか無いだろう。羨望の矛先はやっかみに取って代わるのは学生ばかりではないのだからね。」
父はアリアドネの立場を冷静に言って聞かせた。
二日ぶりに家族と会話が出来た事で、アリアドネは漸く現実に戻って来たような気がした。それは、もう一つの別の世界から今いる世界へ移った様な可怪しな感覚だった。
「お早う御座います。ハデス様」
「ああ。」
お早うの挨拶にお返しの言葉は少ない。
安定の2文字。夢から覚めたと言ってそれはアリアドネの頭の中の出来事であるから、ハデスが何か変わるわけでもない。
会話が無い為に暇であるから、アリアドネは文字数を数えそうになって、そんな事をしても虚しいだけだと咄嗟に辞めた。
今日から新学期が始まる。
母が案じるのを押して登校する事にしたのは、体調が回復した事もあるが、夢で見たあの朝の出来事が気になった為でもあった。
夢は所詮夢である。そこまで気にせずとも良いのだが、アリアドネは未だ夢に引き摺られていた。
「先週贈った衣装、寸法に変わりは無かったか。」
え?
うっかりアリアドネは返事が遅れてしまった。夢と同じ問い掛けに戸惑った。
「変わったのか?」
「ええ、いえ、大丈夫です、」
「それは、変わったのか?変わらないのか?」
「変わっておりません。大丈夫です。お衣装を有難うございます。」
「ああ。」
しどろもどろになって可怪しな返答を返したが為に、ハデスから確かめられてしまう。
来週には王家主催の夜会がある。
それは夢の通りであった。
いよいよ体調管理に気を付けなければ。ドレスがキツくなるだなんて有ってはならない。
「大丈夫なのか?」
「えっ?」
「熱が出たと聞いた。その、見舞いに行けず済まなかった。」
え?え?え?ハデス様どうしちゃったの?
アリアドネの頭の中は猛烈ハテナで埋め尽くされた。
「無理をしたのではないか?」
「え?」
「新学期だからと。」
「ああ、いえ、大丈夫です。ご心配には及びません。」
「そうか。」
何が起こったのだろう。ハデスが喋った。いっぱい喋った。最後なんて安定の2文字ではなくて3文字だった。
アリアドネは胸がとくとく音を立てるのをハデスに気付かれはしまいかと心配になった。
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