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過ぎたるは及ばざるが如し。しかし、及ばないのが過ぎるにも程がある。

アリアドネは、心の底まで冷えて行くのが自分でも分かった。それは失望する感情であった。

ハデスはあの騒ぎの中、一言も言葉を発する事は無かった。常なら解る。彼は寡黙で無口なのだと皆理解している。

けれどもあの場は駄目なのだ。
あそこでファニーの獲物にされていたのは、ハデスの婚約者であるアリアドネなのだから。

ハデスは多くの生徒達、つまり貴族子女の面前で、アリアドネに手を差し伸べなかった。それどころか一言の抗議もしなかった。それはファニーの言葉を丸々認めたのと同義であった。
その行為がアリアドネに瑕を付ける事であるのが分からない訳が無い。彼は王族に侍るほど優秀なのだから。

一部始終をヘンドリックが見ていてくれたのは正しく僥倖だろう。これは子供の喧嘩ではない。身分の平等も過ぎれば罪。侯爵令嬢への、事実を曲げた過ぎた発言。子爵家は大丈夫なのだろうか。アリアドネが心配する事では無いだろうが。


「アリアドネ嬢。何だか凄く大変だったね。」
「見ていたの?」
「うん。最初から最後まで。」
「面白がって?」
「そんな訳無いよ。ただ、」
「ただ?」
「馬鹿だなって思って。」
「ふっ。馬鹿って。」
「そうだろう。婚約者が理由の分からないのに絡まれているのに、止めもしないだなんて。」
「そっち?」
「どっちだと思ったの?どっちもだよ。」
「ふふふ、」

ロジャーはそこでアリアドネを見つめた。その眼差しが温かい。

「君が笑っていて良かった。君はもっと笑えば良いよ。折角可愛いんだから。」
「か、可愛い?」

「こらこらそこの二人、無駄話しは辞めなさい。」

授業の真っ最中である。
ロジャーとアリアドネは教師の注意を受けて、互いに顔を見合わせ笑みを噛み殺した。

あの後、いつもの朝と同じ様にフランシス殿下とアンネマリーを出迎えた。
そうしていつもの様に隊列を組んで、いつもの様に教室に入った。

その間、アリアドネは一切の視線をハデスに向けなかった。黒髪の端すら目に入れなかった。父達が何を言おうと、アリアドネの中でハデスは他人よりも他人となった。

そこまで来て漸くアリアドネは解った事がある。

アリアドネはハデスを慕っていた。慕っていたどころではない。好きだった。多分、初めて会ったあの日から。
だから余計に悲しかったし傷付いた。
二年近く婚約を結んでいるのに、心を近付ける事が出来ないもどかしさ。心も言葉も交わる事なく、ただ横に並んでいるしかない。それでも同じ場所にいられるだけで嬉しかったのだ。

ハデスが全てに於いて無言を貫くのなら、アリアドネはそれが彼なのだと納得が行ったのかも知れない。けれどもハデスは、ファニーに情けを見せた。

夜会のダンスも殿下の為ではなくて、もしかしたら本当にファニーを誘いたかったのかもしれない。そう思えば、朝の珍事でファニーを遮らなかったことも、抗議をしなかった事も、何よりアリアドネを守らなかった事も全て納得出来るのだった。


あのファニーに絡まれた朝、ヘンドリックは直ぐさま邸に戻った。自家の馬車は返したばかりであったから、彼は辻馬車に乗って帰ったのだった。侯爵令息がそこまでして急ぎ邸に戻る意味を、父も母も十分理解をしてくれた。

その日の内に、父はグラントン侯爵家へ婚約の解消を申し出た。ハデスの父は謝罪した様だが諾とはせずに、未だ保留とされている。しかし、あと一度でもハデスに関わる事でアリアドネに不遇な事が起こるなら、それは直ぐさま決定するだろう。解消ではなく破棄となることだろう。非はハデスにある。


それは思ったよりも早かった。
水曜日の放課後の事であった。
水曜日はいつもより帰りが遅くなる。

一緒に敷地内を校門に向かって歩いていたロジャーが、馬車が着いているかを見に行ってくれていた。「水曜日の報告会」の事は父にも話していたから、馬車もその日は少し遅めに迎えに来るのだ。

初秋を迎えて落日が早くなった。
辺りは夕焼色に染まり東の空は薄暗くなり始めていた。それでも遠目に馬車が着いたのと、馬車を確認してこちらへ戻って来るロジャーのシルエットが見えていた。

その時だった。

「アリアドネ嬢。少し良いか。」

聞き覚えの無い声に名を呼ばれた。
名を明かした事があっただろうか。

男子生徒が三人。共に同じ学年であったから、直ぐに分かった。けれども、彼等とはクラスが違う。爵位も違えば父の事業に直接関わる家でも無い。まして一人は平民である。

アリアドネが関わった事の無い男子生徒達に夕暮れの学園で名を呼ばれた。






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