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アリアドネはすかさずアンネマリーに視線を移す。アンネマリーの左側背後にいるアリアドネにはその頬のラインしか見えない。
けれどもアンネマリーにはなんの気配も感じられなかった。
声高に自分の名を発する令嬢に、何も言うつもりはないらしい。

「君は先日のご令嬢だね。」

「はい。ファニーと申します。」

ふわ髪ファニー嬢は、流石に今日は声を抑えているらしい。それでも彼女の発する鈴の様な声は、会場の奥まで響いて聴こえているように思えた。

「私は君とは踊れないよ。」
「アンネマリー様が「マリーは関係ないんだよ」

王太子殿下は公衆の面前でファニーの言葉を遮った。フランシス殿下としては極めて稀な行為に、貴族達が注視する。

そこで察するんだ、栗鼠娘!

アリアドネは、いよいよ手を打たねばならないと覚悟をしたその時、

「ご令嬢。宜しければ私がお相手しよう。」
「まあ!よろしいのですか?!」

何故貴方が。
アリアドネはあれ程周辺に張り巡らせていた注意力が、一瞬のうちに霧散したのを感じた。そうして目の前の二人にしか目も耳も向けられず、呼吸すら忘れてしまったように立ち尽くす事しか出来なかった。

ハデスが一歩前に出て、そうしてファニーへ手を差し伸べた。
その瞬間、ファニーは頬をほんのり紅潮させて満面の笑みで微笑んだ。

なんて可憐な笑みなのだろう。
緩くうねるミルクティーブラウンの髪が艷やかな光を放って、白いグローブを嵌めたほっそりとした腕をハデスに伸ばす。

場の張り詰めた空気が立ちどころに解れて、『デヴュタントを済ませたばかりの少しばかり不慣れな令嬢が、可憐で可愛い粗相をしてしまった』
そういう空気を醸し出した。

「アリアドネ、大丈夫?」

いつの間にか隣に来ていたパトリシアとヴィクトリアが、案ずる声を掛けてくるも、アリアドネは少しの間、何が起こったのか理解するのに時間を要した。

落ち着いて考えれば、ハデスは正しい行動を取った。
王太子殿下に無闇に近付く令嬢を遠ざけようと、そうしてそれを穏便に済ませようと、彼女を叱責するのではなくダンスに誘う事で解決した。

アリアドネがハデスであったなら、きっと同じ行動を取っただろう。
取った筈だ..、けれどもこの気持ちは...。

「気にしては駄目よ。」

パトリシアの言葉にアリアドネ冷静を取り戻した。

「ええ、ええ、有難う。もう大丈夫よ、パトリシア。」

ハデスの行動で場の雰囲気も瓦解して、ダンスホールには色取り取りの花が咲く様に、美しく装った婦人らがパートナーの手により舞っている。

その中でひと際目を引く淡い桃色のドレス。ふんわりと柔らかそうな生地をたっぷり重ねたドレスは彼女だけが着こなせるだろう。
ミルクティーブラウンが薄い金にも見えて、髪飾りにした生花が、草原から妖精が現れて王城に遊びに来たように見えた。
ハデスに誘われ可憐に舞う妖精ファニー。
ハデスは...
ハデスの姿を見る事は出来なかった。

どうしてかしら。
私はハデスとの婚約を解消したいと思っている。いつだったか、一層の事ファニーとくっ付いてくれたならと、そんな事を考えたのは自分である。

なのになんでこんな気持ちになるのだろう。
なんで泣きたい気持ちになるのだろう。

「心配を掛けたわね。大丈夫よ。貴女方も夜会を楽しんで頂戴。」

アンネマリーのその言葉に、ヴィクトリアが頬を染めてギルバートを見上げた。二人が手を取り合ってホールへ向かう。

「パトリシア、大丈夫よ。貴女も踊って来て。ほら、ブライアンが待っているわ。」

アリアドネが笑みを浮かべれば、パトリシアは気に掛ける様子を見せるも、後ろで待つブライアンに向かって行く。

独りになって、アリアドネは思った以上に気持ちが疲弊したのに気が付いた。
許されるなら、もうこのまま帰ってしまいたかった。そんな大人気ない行動など出来よう筈もないのに、無性に哀しく惨めな気持ちになって来る。

もう一杯、シャンパンを貰ってテラスで時間を潰そうか。
そう思い給仕を探す。もうダンスホールは見たくなかった。

人混みの合間を左右に視線を動かして給仕を探していたのが、白いものを見つけた。

「あれは?」

そう思うと同時に、どうやら向こうも同じだったらしく、

『やあ』と言っているのかそんな風に口が動くのが見えた。

それから人波の間を縫うように近付いて来て、

「アリアドネ嬢、良い夜だね。いや、そうでもないか。」

ロジャーは穏やかな笑みでアリアドネに声を掛けて来た。




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