侯爵夫人の手紙

桃井すもも

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すっかり拗らせてしまった夏風邪が漸く癒えて、オーガストにも日常が戻った。ルイーザがいないのだから、本当の意味での日常ではない。

料理長がルイーザのレシピだと言ってミルク粥を作ったのも完食した。夜は相変わらず夫妻の寝室を使う気にならず、見兼ねた執事が執務室に簡易ベッドを持ち込んだ。そんな事をせずとも自室には寝台はあるのだが、どうせ執務室に籠もる気だろうと見抜かれている。これにてソファーに雑魚寝するのは厳禁とされた。


朝食を食べる気が起こらず珈琲を頼もうとすると、執事が粥を持って来た。

「食欲は無いんだがな。」
「子供の様な我が儘を仰らないので下さい。ルイーザ様がいらしたら叱られますよ。」

叱れるなら叱って欲しいと思う。だが彼女はここにはいない。

「それから、ルイーザ様よりお葉書が届いております。」
「それを先に言え。」
「葉書の速達を初めて見ました。」
「葉書の速達?そんな事が出来るのか?」
「普通は出来ませんし、そもそもしません。」

訝しく思いながら葉書を受け取る。

「これをルイーザが?」

薄桃色の葉書は絵葉書で、裏面は一面花模様、表側にも四隅に花弁模様が描かれている。そこに色鮮やかなローズ色のインクで文字が綴られていた。

「目が痛くなる色だな。」

それはオーガストの照れ隠しである。こちらを見下ろす執事の視線から葉書を隠す。ここに来るまで執事も読んだだろうから無駄な足掻きであるが。

「粥は食べる。置いて行ってくれ。」

執事を追い払って、再び葉書に目を移した。

「ピンク色だ。」

いつも落ち着いた色合いを好むルイーザが、こんな甘やかな葉書をくれるだなんて。

「葉書を速達?本当に出来るんだな。」

出来ないけれど、やってのけたルイーザである。葉書には、確かに真っ赤なインクで[速達]とスタンプが押されている。

「ふっ、どこもかしこもピンク色だ。」

吹き出した小さな笑いは、久し振りの笑いだった。それにオーガストは気が付いていない。

『旦那様、お元気なの?私は元気です。』

「はは、なんで疑問形なんだ?」

ルイーザの流麗な文体で綴られた文を読み、オーガストは笑い声を漏らした。

ルイーザはもしかしたら、こんな可愛らしいものが好きなのかもしれない。

「可愛いものか。可愛いものってなんなんだ?」

可愛いものに無縁で生きて来た朴念仁には、可愛いものが思い浮かばない。

「こんな葉書が好きなのか。」

ふむ。と少し考えて、また文具店を覗いてみようかと考える。

「君は元気なんだな?ルイーザ。」

便りが無いのは無事な証拠とは言うが、こんな可愛らしい便りをくれる妻は、きっと元気でいるのだろう。

オーガストの妻になった事で、彼女には背負わせずとも良いものを背負わせて来た。無理をしているのも背伸びをしているのも、何より一所懸命に励んでいるのも知っている。
知っていながら、上手く言えなかった。

「君に会ったら伝えるよ。」

今度は間違えないとオーガストは思った。



「これくらいで足りるかしら。」

大量のガラス瓶を前にルイーザは考える。

「大丈夫ですよ。これだけあればルイーザ様が王都へお帰りになるまでは保ちます。」

「そう?」

ジェイムズが大丈夫と言う事は大抵大丈夫なので信用している。

「美味し過ぎて足りなくなるかも。」
「確かに、その可能性はございますね。」
「でしょう?ヘレン。やっぱりもう少し追加しましょう。」

大量のガラス瓶を木箱に詰める。瓶の中身はジャムである。
あれからルイーザは、暇に飽かせてブラックベリーを只管ひたすら摘んだ。自動的にジェイムズとヘレンも駆り出されて、三人で木苺摘みに勤しんだ。お陰で日に焼けたほっぺが赤い。

摘んだ木苺はマーサが大鍋で煮てジャムにした。日持ちするようしっかり火を入れ砂糖も心もち多めにした。

ジャム瓶を収納して木箱の蓋を閉める前に、

「貴女達は美味しいジャムよ。美味しく旦那様の所へ届くのよ。さあ、行ってらっしゃい。」

と、ルイーザは謎の呪文を囁いた。


ずっしり重い木箱をジェイムズが抱えて馬車に積む。それから街の郵便局へ向かった。例の局員はすっかりルイーザを憶えてくれて、ぶんっと勢いのある礼をした。

「これを王都にお願いするわ。こわれもの注意の取扱注意よ。横倒しも上積みも要注意。優しいお取扱いでお願い出来るかしら。」

「お任せ下さい。街の郵便局の名に掛けて、必ずや王都にお届けします。」

郵便局員の瞳に決意の色が見えて、「宜しく頼むわね」とルイーザは言葉を掛けた。

「ああ、それと。」

思い出したようにルイーザは手持ち袋をゴソゴソ探る。

「これは貴方へ差し入れよ。先日はお世話になったわね。」

葉書の速達化に尽力した彼へガラス瓶を手渡した。

「うちのマーサが作ったの。木苺のジャムよ。美味しいから食べてね。」
「あ、有難うございます!!」

マーサって誰だ?と思うも、出来る局員はそんな事は聞かない。例の如く半身で風を切って礼をした。

頬にほんのり日焼けの跡が残る麗しい貴族夫人の微笑みに、郵便局員は今日の事を生涯決して忘れるまいと思った。これから何通だって葉書を速達でお送りしようと心に誓った。



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