ソフィアの選択

桃井すもも

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それは男の告解であった。

妻と云う神聖を前に、懺悔の告解であった。

「私は、ルイがアマンダを託されたのを初めから知っていた。」

随分と前の話である。

「そして、それでルイが誤った道を選んだのを見て見ぬふりフリをした。方法ならいくらでもあった。そもそも私であれば、女の身体に触れることなく確かめられた。命があれば良いのだろう?何をしたって構わない。道理を得る必要は無い。」

ひと息に話し出すのを、ソフィアは遮る事なく聞いている。

「確かめるまでもなく、葬り去ることも出来た。痣など無かったそう言えば終いだからね。
それを放っておいたのは、ルイを汚したかったからではない。可哀想な事をさせたと思っている。たった一人の生きる事を許されて生まれた弟だ。父よりも母よりも家族と思い愛していたさ。

けれども、それ以上に愛して止まないものがあった。豪傑で知られる侯爵の末娘、辺境伯にも望まれた女傑。なのにふわふわと白くて柔らかで愛らしい。この手で奪ってしまいたいと願っていた。

君が、アマンダに振り回されて手をこまねくルイを、いつか見限るのを待っていた。私は、君を得るためにたった一人の弟すら引き摺り落とした男なんだよ。
隣国の王女は私と同類だ。性が異なるだけで、中身は同じ類の人間であった。

彼女が私の妃に?有り得ない。あれは、自分が表に立って国を率いる生まれながらの女王だよ。
だからね、彼女にそのまま持ちかけた。
麗しい弟を欲しくないかとね。彼女が弟を好んでいたのを知っていた。

彼女は最初からルイを望んでいたのさ。けれども、ルイには想い人、君がいた。君をどうにかしたくとも、侯爵家は侮れない。姉君は大公子息の妻になる予定であったしね。

だから私は、必ずルイを渡すから仮初に私と婚約するよう王女に持ちかけた。最初から破談にする婚約を結んだのさ。

私とエミリア王女の掌で、転がされるように隣国に渡されたのを、ルイは今も多分知らないだろう。君に忌み嫌われて恋を失って傷心の身であったからね。まあ、あれは今ではエミリアに心酔しているから、今更知ったとしてどの道関係ないだろう。」


「私はね、父王が嫌いであった。
美意識ばかり高くて臆病で姑息な男だと思って嫌悪していた。まだ少年である息子に女の処遇を放り投げ、後の始末すら判断出来ない。自分が欲しい玩具であったろうに。
アマンダが王家の血筋であるかどうか、実のところ父はどうでも良かったのさ。赤子の時こそ血筋を惜しんで処分に反対をしたのだろうが、まあそれなりの見目に育ってからは、随分と気に掛けていた。息子に確かめさせて、具合が良ければあれこれ理由をつけて、自分の玩具に欲しかったのさ。変わった毛色の人形にでもしたかったのか。母の手前、血筋云々持ち出していたが。

アマンダが予想以上に愚かであったから、そのままルイに任せて見て見ぬふりを貫いた。後の始末は私がしたよ。

父の尻拭いもアマンダの後始末も、全て私がした。そうしてルイを隣国に逃がした。王女に引き渡したのであるから、ルイにとってはどちらも囚われの身であったかもしれない。王女がルイを愛してくれたから、全てが収まったと言えるがね。

ソフィア、私はどうしても君が欲しかった。
煩く君に噛みつく女も、君の婚約者となり得る弟も排除した。

そうして、愚王も引き摺り落とした。
狐狩りの事故は事故じゃあない。
暗殺し損ねた失敗の結果だよ。
仕留めるのは狐ではなく愚王であった。

悪運強いあの男が、右足一つの傷で済んで、次の手段をどうしようか講じていたが、思った以上に愚かであったあの男は自分で勝手に坂道を転がってくれた。

あの男はね、何でも欲しがる男だった。
美しいものに目が無くて、あの馬も、そう奴を振り落としたあの馬、あれは私の馬だったのだよ。

私が仔馬の頃から育てた愛馬を、美しいからと、ただそれだけで取り上げた。
そうして取り上げた馬に振り落とされた。

馬の尻を確かめたなら解ったろう。吹き矢の針の跡が残っていただろうからね。

あの馬は、王を振り落とした。生かされる事は許されない。処分されるのを偽って、今はアダムが匿っている。種馬として生き長らえているよ。先日芦毛の仔馬が生まれたそうだ。貰い受けて、姫の愛馬にしてやろう。

たかだか片脚を引き摺るのを、この世の終わりと嘆く愚か者に、この国を背負えるか?はっ、それ程国は軽くない。
少しばかりその容姿を憐れんでそんな容姿でお可哀想だとそのまま伝えてやるだけで、どんどん塞いで面白い程に堕ちて行った。

私はやはりあの愚王の息子だよ。
欲しいものの為なら、愛する弟からも肉親からも、君も王位も奪い取った。 
醜い男が私なんだ。
けれども、それを一度たりとも後悔したことは無い。
君を得た。王位を得た。娘を得た。次の子が、今も君の腹にいる。

いつこの命を落としても本望だよ。だが、もう暫くはこの国を治めるよ。この子の為に。」

そう言って男は妻の腹を優しく撫でる。

「君は、私を本性を知って蔑むか?嫌いになってしまうか?それでも何処にも逃がしはしない。私の檻の中で生涯生きて行くことを諦めてくれ。私が君を求めるのを赦してくれ。」

長い告解であった。
何年も胸の内に仕舞い込んだ己の汚れを、我が子を孕む妻に全てを明かして吐き出した。

「ローレン。」
瞳を揺らす夫の頬を小さな白い手が包む。
温かな柔らかな手。

「知ってるわ、そんな事。」
ローレンが僅かに目を見開く。

「全ては解らなくとも、大凡はそんな事だろうと思っていたわ。父も兄も耳が早いの。目も良いの。何より、私はずっと貴方を見ていた。貴方の瞳が曇るのも、ルイ殿下に向ける眼差しからも、ずっと見ていたら直ぐに解るわ。仔細はどうであれ、貴方が何かを起こしたのだと。
けれども、それ程までして望まれるのなら本望。女に生まれた誉れであると思ったわ。
私は貴方が思うような清らかな女ではなくてよ。
貴方が汚れていると言うのなら、私こそ泥塗れよ。汚れを恥じる貴方が愛しくて仕方が無かった。私の為に泥を被る貴方が欲しくて欲しくて堪らなかった。
私は、稀代の悪女なのよ。」

そう言って目を細めたその顔は、神殿の女神の像より美しいと、ローレンは泣きたくなったのだった。


この世の清も濁も互いの盃で酌み交わし、そうして全てを呑み干して、腹の中に落とした闇を無かったことに、この国に立ち光を放つ。

清らかさだけでは成り得ない、確かな為政者の姿であった。


春の静かな宵闇に、夫と妻は抱き締め合う。
今日の二人の告解は、小夜啼鳥と神だけが聞いた事だろう。それも彼らはそのうち忘れてくれるだろう。

若き王とその妻の、選び抜いた行く末をきっと祝福してくれることだろう。



                完
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