ソフィアの選択

桃井すもも

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久しぶりの帰国を果たしてルイは、隣国へ帰って行った。母国と隣国、もうどちらが彼の本国なのか分からない。けれど、確かに彼は隣国へ「帰る」と言ったから、彼の国はもう隣国であるのだろう。

ルイの隣国での幸福を、ソフィアは心から願ったのである。



「何度見ても素晴らしいね。」

「ふふ、ローレン様の御眼鏡に適いまして?」

「ああ、こんな素晴らしい手技を持つ妻を得られる私は果報者だね。」

誰かこの馬鹿ップルを止めて欲しい。
けれども、止めるとすれば命懸けであることを覚悟せねばならない。
だから侍従も護衛も側近も、誰も口には出しはしない。


刺繍を施したハンカチを、ローレンは大変喜んでくれた。
王太子時代から一流品に囲まれて、目の肥えているのをおくびにも出さず、美しい素晴らしいと喜んでくれる。優しい男である。

調子をこいたソフィアは、あれこれ刺繍しては贈っている。クラヴァットからソックスから、ありとあらゆるものにソフィアの刺繍が施されて行く。そのうち下履きにまでソフィアの手なる刺繍がお目見えするのではないかと思われている。

何処で誰が漏らしたのか、恋人に刺繍をした品を贈る事が貴族令嬢ばかりでなく市井の間でも再燃し、王都は今や空前の刺繍ブームを迎えている。

刺繍は元々令嬢の嗜みであるし贈り物の定番であるが、それが更に人気を博して今や下町の娘らまで刺繍熱に浮かれている。

刺繍糸や針を扱う商会では、「乙女の刺繍箱」なる初心者用の刺繍キットを売出して大ヒット。
想い人に「乙女の刺繍箱」を贈って、僕の為に刺繍してくれないかと愛の告白をするのが最近の若者の流行らしい。
仲良くなれたあかつきには「プリンセスセット」なる高級刺繍糸の36色セットを贈るのが通なのだという。

この二人、自身の馬鹿ップルぶりが国の流行と産業の振興の一助となっている事を知らずにいる。



昨年、狐狩りで王が落馬したが為に、今年は狐狩りは行われなかった。

領地において個人的に楽しむ貴族は多いが、王家主催の狩りは見送りとなった。
狐狩りの記憶が前王を刺激してはならないと、前王の周囲では気を使っているらしい。

前王の容態は芳しくない。
王太后もそんな夫に振り回されて疲弊しているという。それでも彼女に離縁の道は選べない。王家の秘密に触れている妃に待つのは毒杯である。幽閉よりはマシであろうと、王太后も離宮の暮らしを堪えているのだろう。



「お迎え有難う。」
「はっ」

学園の馬車留には、王家の紋章の馬車が停まっている。
迎えの護衛に手を取られて、ソフィアはステップを上がる。

ローレンは現在、蟄居した前王ばかりでなく王太后の執務も兼任している。
国王の執務だけでも重責であるのに、眠る暇も無いのは当然の事であった。

王配として女王を支えるべく努力を重ねるルイの姿に、ソフィアは大きな影響を受けた。王家の事は何処か遠巻きに眺めていたのを、積極的に関わることを望んでみれば、ローレンは快くそれを受け入れてくれた。

それからは、学園が終わると真っ直ぐに王城に通い、ローレンの執務を手伝っている。
婚約者に過ぎないソフィアであるから、担える業務も書類整理的な文官の補助ほどにしかならないが、側でローレンの体調や休息を確認出来るのは、ソフィア本人にしても有益なことであった。


ソフィアの生家も最近は慌ただしくなっていた。
長姉に続き次姉が嫁ぐ。
同時に兄が妻を迎える。

侯爵家は重なる慶事に、一族挙げて大わらわであった。何処もかしこも浮足立っている。

次姉は既に大公家に移っている。婚姻までを婚家で過ごし生家に戻ることはない。
姉達の抜けた邸は華やぎが二つも消えて寂しい。もうすぐ義姉が嫁いで来るので、それもほんの少しの間であるが。

そんなこんなで、生家で寂しい気持ちをもて余す間もなく、執務を手伝うソフィアにも王妃の執務の一端が回って来るようになった。
今はまだ、施設の慰問やローレンの視察の同行が殆どであるが。

若き青年王とその婚約者が市井を慰問する姿は、民からも好意的に受け止められているらしい。毎年新年に売り出される王家の絵姿は、今年はローレンとソフィアの姿であった。一年後に婚姻式が執り行われる若き婚約者カップルの初々しい絵姿の人気は高く、発売間もなく品薄状態。

イヤープレートは特に人気が高く、婚約中の限定記念品として、貴族ばかりでなく庶民の間でも買い求められていた。

視察先では、仲睦まじい二人の姿が目を引いた。小柄なソフィアの腰に手を添え寄り添う王からは、並々ならぬ愛情が溢れる出でおり、幼子達まで素敵素敵と燥いで見る。二人の姿は絵本にもなったりで、国王とその婚約者が齎す効果は経済ばかりで無く、昨年の事故以来沈んだ王都の空気を一掃した。

ソフィアの影響力は、じわじわと王都にも王城にも現れて、既に新たな女主人として迎え入れられていた。

当然、王妃教育も進んでいく。
年も明けて冬を越し春を迎える頃には、最終段階を迎えていた。

いよいよ王家の深部に関わる教育に入る。
後戻りはもう許されない。


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