ソフィアの選択

桃井すもも

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その知らせは早朝の、まだ夜が明けやらぬ時刻に早馬で齎された。

騒ぎにソフィアも姉達も着の身着のままラウンジに集まった。

夢の中から叩き起こされた父が、寝巻き姿のまま文を読んでいる。
母も側にいて不安げな表情を隠せずにいる。

「父上。」
文は疾(と)うの昔に読み終えたのを、石にでもなったように固まって動けずにいる父に、兄が声を掛ける。父の手にある文には、金色の刻印が灯りに反射してきらりと見えた。王家の紋章である。

ああ、と漸く我に返った父が顔を上げた。
色が無い。そんな顔であった。

「我が侯爵家より王妃が立つ。」

らしからぬ厳めしい表情で父は続ける。

「皆、心するのだぞ。」

父の視線は文から離され、今はソフィアを見つめていた。
父ばかりではなく、兄も母も姉達も。

上手く飲み込めずに呆然としている様子の妹を、二人の姉が抱きしめた。

確かに候補ではあったが、形ばかりのものであると思っていた。公爵家令嬢が二人候補であったから。
政局の大きく変わった今こそ、王家は血縁である公爵家を必要とする筈であった。そうソフィアは思っていた。
ソフィアばかりではない。父も兄も。

ローレンとルイとでは話しが違う。
ルイの妃に選ばれる兆しを感じ取り、一度はその気であった両親も、それは臣席降下する第二王子であったから冷静に受け止められていたのだろう。

「ソフィア。支度をしなさい。これから参内する。」

途端に邸は騒がしくなった。
母が侍女頭に指示をして、衣装を選びソフィアの侍女を呼んでいる。

父も兄も身支度を整えるのか、ラウンジを後にしていた。
姉達は落ち着かない風であるも、流石ソフィアの姉である。
次々と装われていく妹を、眩しいものを愛でる眼差しで見守っていた。終いには、母から貴女達もいい加減身を整えなさいと叱られていた。



王城には、父と兄、ソフィアの三人で参内した。
母と姉達は邸にいて、これから次々訪れるだろう使者や親族、傘下の貴族達を迎える準備を整えている。

初めて歩く王城の回廊。何処か政の空気が漂っている。
前を歩く父の背中が逞しく頼みに思えて、ソフィアはその背中を見つめながら歩みを進めた。

ルイの婚約者候補であった事で、王城には度々登城していたソフィアであるが、その部屋を訪れた事は唯の一度も無かった。
あろう筈もない。そこはローレンの執務室であったから。


近衛騎士が護る扉の前で従者が侯爵家の訪いを告げれば、扉は静かに音を立てずゆっくり開いた。

正面にローレンが見えた。執務机にいて、何やら書類に書き込んでいる。
漸く空が白み始めた、朝と言うには早すぎるこの時間に、ローレンは既に執務にあたっている。
果たしていつ身体を休めているのだろうか。

学園を卒業してから、ローレンとは顔を合わせる事は無かった。国王陛下に即位してから初めて会う。

書類に向かって俯く顔は、最後に学園で会った時より更に頬はほっそりと肉を落として、怜悧な為政者の色を濃くしていた。

あれ程気を張って緊張していた筈なのに、ローレンのその姿を一目見て、ソフィアの心中はローレンの身体を案ずる気持ちでいっぱいになった。

父と兄に続いてソフィアが入室すると、侍従と従者が一人残されて、後は人払いがなされた。

ローレンのペンが紙面を走る音だけが聴こえる。一切の迷いを感じさせない速度を保った筆音。速い。高速で回転する頭の中で紡がれる文字を、ペンが必死に追いかけているようだ。
それをソフィアは心地よいものを聴くように、耳を傾け聴いていた。

漸く仕上がったらしい書類をローレンが側に控えていた従者に渡す。従者はそれを受け取るとそのまま退室した。

ローテブルで待つソフィア一同に、ここにきて初めてローレンが視線を合わせた。
眼光が鋭く一瞬ひやりとする。

だが、直後に
「早朝から悪かったね。」

そう言葉を発したローレンは、ソフィアの知る温かな声音であった。
その声音に、ソフィアの緊張はほろほろと瓦解する。後にはローレンを案ずる心だけが残った。




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