19 / 32
【19】
しおりを挟む
その知らせは早朝の、まだ夜が明けやらぬ時刻に早馬で齎された。
騒ぎにソフィアも姉達も着の身着のままラウンジに集まった。
夢の中から叩き起こされた父が、寝巻き姿のまま文を読んでいる。
母も側にいて不安げな表情を隠せずにいる。
「父上。」
文は疾(と)うの昔に読み終えたのを、石にでもなったように固まって動けずにいる父に、兄が声を掛ける。父の手にある文には、金色の刻印が灯りに反射してきらりと見えた。王家の紋章である。
ああ、と漸く我に返った父が顔を上げた。
色が無い。そんな顔であった。
「我が侯爵家より王妃が立つ。」
らしからぬ厳めしい表情で父は続ける。
「皆、心するのだぞ。」
父の視線は文から離され、今はソフィアを見つめていた。
父ばかりではなく、兄も母も姉達も。
上手く飲み込めずに呆然としている様子の妹を、二人の姉が抱きしめた。
確かに候補ではあったが、形ばかりのものであると思っていた。公爵家令嬢が二人候補であったから。
政局の大きく変わった今こそ、王家は血縁である公爵家を必要とする筈であった。そうソフィアは思っていた。
ソフィアばかりではない。父も兄も。
ローレンとルイとでは話しが違う。
ルイの妃に選ばれる兆しを感じ取り、一度はその気であった両親も、それは臣席降下する第二王子であったから冷静に受け止められていたのだろう。
「ソフィア。支度をしなさい。これから参内する。」
途端に邸は騒がしくなった。
母が侍女頭に指示をして、衣装を選びソフィアの侍女を呼んでいる。
父も兄も身支度を整えるのか、ラウンジを後にしていた。
姉達は落ち着かない風であるも、流石ソフィアの姉である。
次々と装われていく妹を、眩しいものを愛でる眼差しで見守っていた。終いには、母から貴女達もいい加減身を整えなさいと叱られていた。
王城には、父と兄、ソフィアの三人で参内した。
母と姉達は邸にいて、これから次々訪れるだろう使者や親族、傘下の貴族達を迎える準備を整えている。
初めて歩く王城の回廊。何処か政の空気が漂っている。
前を歩く父の背中が逞しく頼みに思えて、ソフィアはその背中を見つめながら歩みを進めた。
ルイの婚約者候補であった事で、王城には度々登城していたソフィアであるが、その部屋を訪れた事は唯の一度も無かった。
あろう筈もない。そこはローレンの執務室であったから。
近衛騎士が護る扉の前で従者が侯爵家の訪いを告げれば、扉は静かに音を立てずゆっくり開いた。
正面にローレンが見えた。執務机にいて、何やら書類に書き込んでいる。
漸く空が白み始めた、朝と言うには早すぎるこの時間に、ローレンは既に執務にあたっている。
果たしていつ身体を休めているのだろうか。
学園を卒業してから、ローレンとは顔を合わせる事は無かった。国王陛下に即位してから初めて会う。
書類に向かって俯く顔は、最後に学園で会った時より更に頬はほっそりと肉を落として、怜悧な為政者の色を濃くしていた。
あれ程気を張って緊張していた筈なのに、ローレンのその姿を一目見て、ソフィアの心中はローレンの身体を案ずる気持ちでいっぱいになった。
父と兄に続いてソフィアが入室すると、侍従と従者が一人残されて、後は人払いがなされた。
ローレンのペンが紙面を走る音だけが聴こえる。一切の迷いを感じさせない速度を保った筆音。速い。高速で回転する頭の中で紡がれる文字を、ペンが必死に追いかけているようだ。
それをソフィアは心地よいものを聴くように、耳を傾け聴いていた。
漸く仕上がったらしい書類をローレンが側に控えていた従者に渡す。従者はそれを受け取るとそのまま退室した。
ローテブルで待つソフィア一同に、ここにきて初めてローレンが視線を合わせた。
眼光が鋭く一瞬ひやりとする。
だが、直後に
「早朝から悪かったね。」
そう言葉を発したローレンは、ソフィアの知る温かな声音であった。
その声音に、ソフィアの緊張はほろほろと瓦解する。後にはローレンを案ずる心だけが残った。
騒ぎにソフィアも姉達も着の身着のままラウンジに集まった。
夢の中から叩き起こされた父が、寝巻き姿のまま文を読んでいる。
母も側にいて不安げな表情を隠せずにいる。
「父上。」
文は疾(と)うの昔に読み終えたのを、石にでもなったように固まって動けずにいる父に、兄が声を掛ける。父の手にある文には、金色の刻印が灯りに反射してきらりと見えた。王家の紋章である。
ああ、と漸く我に返った父が顔を上げた。
色が無い。そんな顔であった。
「我が侯爵家より王妃が立つ。」
らしからぬ厳めしい表情で父は続ける。
「皆、心するのだぞ。」
父の視線は文から離され、今はソフィアを見つめていた。
父ばかりではなく、兄も母も姉達も。
上手く飲み込めずに呆然としている様子の妹を、二人の姉が抱きしめた。
確かに候補ではあったが、形ばかりのものであると思っていた。公爵家令嬢が二人候補であったから。
政局の大きく変わった今こそ、王家は血縁である公爵家を必要とする筈であった。そうソフィアは思っていた。
ソフィアばかりではない。父も兄も。
ローレンとルイとでは話しが違う。
ルイの妃に選ばれる兆しを感じ取り、一度はその気であった両親も、それは臣席降下する第二王子であったから冷静に受け止められていたのだろう。
「ソフィア。支度をしなさい。これから参内する。」
途端に邸は騒がしくなった。
母が侍女頭に指示をして、衣装を選びソフィアの侍女を呼んでいる。
父も兄も身支度を整えるのか、ラウンジを後にしていた。
姉達は落ち着かない風であるも、流石ソフィアの姉である。
次々と装われていく妹を、眩しいものを愛でる眼差しで見守っていた。終いには、母から貴女達もいい加減身を整えなさいと叱られていた。
王城には、父と兄、ソフィアの三人で参内した。
母と姉達は邸にいて、これから次々訪れるだろう使者や親族、傘下の貴族達を迎える準備を整えている。
初めて歩く王城の回廊。何処か政の空気が漂っている。
前を歩く父の背中が逞しく頼みに思えて、ソフィアはその背中を見つめながら歩みを進めた。
ルイの婚約者候補であった事で、王城には度々登城していたソフィアであるが、その部屋を訪れた事は唯の一度も無かった。
あろう筈もない。そこはローレンの執務室であったから。
近衛騎士が護る扉の前で従者が侯爵家の訪いを告げれば、扉は静かに音を立てずゆっくり開いた。
正面にローレンが見えた。執務机にいて、何やら書類に書き込んでいる。
漸く空が白み始めた、朝と言うには早すぎるこの時間に、ローレンは既に執務にあたっている。
果たしていつ身体を休めているのだろうか。
学園を卒業してから、ローレンとは顔を合わせる事は無かった。国王陛下に即位してから初めて会う。
書類に向かって俯く顔は、最後に学園で会った時より更に頬はほっそりと肉を落として、怜悧な為政者の色を濃くしていた。
あれ程気を張って緊張していた筈なのに、ローレンのその姿を一目見て、ソフィアの心中はローレンの身体を案ずる気持ちでいっぱいになった。
父と兄に続いてソフィアが入室すると、侍従と従者が一人残されて、後は人払いがなされた。
ローレンのペンが紙面を走る音だけが聴こえる。一切の迷いを感じさせない速度を保った筆音。速い。高速で回転する頭の中で紡がれる文字を、ペンが必死に追いかけているようだ。
それをソフィアは心地よいものを聴くように、耳を傾け聴いていた。
漸く仕上がったらしい書類をローレンが側に控えていた従者に渡す。従者はそれを受け取るとそのまま退室した。
ローテブルで待つソフィア一同に、ここにきて初めてローレンが視線を合わせた。
眼光が鋭く一瞬ひやりとする。
だが、直後に
「早朝から悪かったね。」
そう言葉を発したローレンは、ソフィアの知る温かな声音であった。
その声音に、ソフィアの緊張はほろほろと瓦解する。後にはローレンを案ずる心だけが残った。
3,788
お気に入りに追加
3,627
あなたにおすすめの小説
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
二度目の恋
豆狸
恋愛
私の子がいなくなって半年と少し。
王都へ行っていた夫が、久しぶりに伯爵領へと戻ってきました。
満面の笑みを浮かべた彼の後ろには、ヴィエイラ侯爵令息の未亡人が赤毛の子どもを抱いて立っています。彼女は、彼がずっと想ってきた女性です。
※上記でわかる通り子どもに関するセンシティブな内容があります。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
君に愛は囁けない
しーしび
恋愛
姉が亡くなり、かつて姉の婚約者だったジルベールと婚約したセシル。
彼は社交界で引く手数多の美しい青年で、令嬢たちはこぞって彼に夢中。
愛らしいと噂の公爵令嬢だって彼への好意を隠そうとはしない。
けれど、彼はセシルに愛を囁く事はない。
セシルも彼に愛を囁けない。
だから、セシルは決めた。
*****
※ゆるゆる設定
※誤字脱字を何故か見つけられない病なので、ご容赦ください。努力はします。
※日本語の勘違いもよくあります。方言もよく分かっていない田舎っぺです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*
音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。
塩対応より下があるなんて……。
この婚約は間違っている?
*2021年7月完結
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
婚約者の心変わり? 〜愛する人ができて幸せになれると思っていました〜
冬野月子
恋愛
侯爵令嬢ルイーズは、婚約者であるジュノー大公国の太子アレクサンドが最近とある子爵令嬢と親しくしていることに悩んでいた。
そんなある時、ルイーズの乗った馬車が襲われてしまう。
死を覚悟した前に現れたのは婚約者とよく似た男で、彼に拐われたルイーズは……
婚約破棄を、あなたのために
月山 歩
恋愛
私はあなたが好きだけど、あなたは彼女が好きなのね。だから、婚約破棄してあげる。そうして、別れたはずが、彼は騎士となり、領主になると、褒章は私を妻にと望んだ。どうして私?彼女のことはもういいの?それともこれは、あなたの人生を台無しにした私への復讐なの?
頑張らない政略結婚
ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」
結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。
好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。
ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ!
五話完結、毎日更新
愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。
それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。
一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。
いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。
変わってしまったのは、いつだろう。
分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。
******************************************
こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏)
7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる