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覚悟が決まれば早かった。
痛む右手を騙し騙し文を書き上げる。何十年も書類を熟してきた習慣が、こんな所で役に立った。
書き上がった順に早馬を呼んで、一通一通知る限りの謝罪の言葉を並べて詫びに詫びた。途中、悔し涙で目元がぼやける。それが紙面にぽとりと落ちて、悲しい染みを幾つも作った。
果たして男爵家は王家預かりとなった。
賠償金には鉱山を売って補填した。最近、男爵領の鉱山から銀が見つかって、これから掘削する所であった。精錬出来たなら子爵に昇爵されたかもしれない。
若気の至りに加えて日々の判断の積み重ねが、男の人生を狂わせた。
唯一幸いだったのは、男が既に不義を明らかにして妻に詫びていた事だろう。妻は伯爵家の娘であるのを、学園時代に男爵と恋に落ちて、親の反対を押し切って男の元に嫁いで来た。
その伯爵家も、男の不義理に庶子の存在まで知ってからは、堪忍袋の尾が切れた。今はもう他人である。
皮肉な事に、領地の隅に平民として小さな居を得て、村人相手の商店を夫婦二人で商う事になった男は、この世に妻と唯二人、これまでの人生で今が一番幸せだと思えたのであった。
ん?今なんか赤いものが。
視界の隅を横切った赤い風船を目の端に捉えて振り返れば、そこには既に何も無かった。
あの盗人よろしく怪しげに走る姿は、何処かで見た記憶がある。
しかし、あれはトレードマークがピンクであって、あんなに真っ赤な顔はしていない。赤と言うより赤を通り越して赤黒くも見えていた。
こういう事は触らぬ神になんちゃらである。
不愉快な記憶は、心のシュレッダーで木っ端微塵に砕いて捨てた。
さて、あれからどうも侯爵家は様子が可怪しい。
あれ程ソフィアに対していらない搾りカス扱いをしていた両親が、毎朝毎晩、今日の体調と今日の出来事を聞いてくる。
何があったのだろうと兄に尋ねれば、時が来たらお前に知らせが来る。十分身辺には注意を払いなさい。もう二度と争い事の矢面に立ってはいけないよ。と、幼子を言い含める様に言われてしまう。
学園に着けば、遠巻きに複数の生徒に囲まれている。どうやら侯爵家の寄り子貴族の子息達らしい。
あれから王子とは会っていない。
学園には来ていないから。ダンスの授業も中止となっている。
この変化は一体何だろう?
ソフィアは訝しむ。けれども何より変わったのは、
「お早う、ソフィア嬢。」
王太子殿下から直々にお言葉を掛けられる様になった事か。
「お早うございます。ローレン王太子殿下。」
カーテシーをすれば、良いよと止められる。では、学園の中だけ楽にさせて頂きますと言えば、それで良いと答えが返ってきた。
阿呆であんぽんたんな弟達がやらかした不始末への贖罪か、王太子の側近達も皆、ソフィアに節度を持って接している。
ソフィアは漸く平和が戻って、ピンク頭に混乱させられた授業の遅れを取り戻す様に勉学に集中した。
一心不乱に学びに勤しむソフィアの姿に、何故か周りは感嘆の声を上げている。
何故?何故なの?
まるで神々しいものでも窺い見る様な周囲の眼差しに、そんな視線を受けた事のない搾りカス令嬢ソフィアは、アナスタシアに聞いてみた。
「迂闊な事は口に出来ないわ。けれどもソフィア様、覚悟をお決めになった方が宜しいわ。」
至極真面目な表情で返された。
ルイ王子がアダムとアナスタシアの再婚約を取り成すよう約束してくれた事を、アナスタシアには既に話していた。
希望を捨てないで欲しかったから。
彼女は一つ涙を零して、ソフィア様、貴女に生涯の忠誠を誓うわ、と言った。
えー、そんな大袈裟な。王子の言葉を伝言しただけよ?と笑えば、漸く眦を下げてくれた。
痛む右手を騙し騙し文を書き上げる。何十年も書類を熟してきた習慣が、こんな所で役に立った。
書き上がった順に早馬を呼んで、一通一通知る限りの謝罪の言葉を並べて詫びに詫びた。途中、悔し涙で目元がぼやける。それが紙面にぽとりと落ちて、悲しい染みを幾つも作った。
果たして男爵家は王家預かりとなった。
賠償金には鉱山を売って補填した。最近、男爵領の鉱山から銀が見つかって、これから掘削する所であった。精錬出来たなら子爵に昇爵されたかもしれない。
若気の至りに加えて日々の判断の積み重ねが、男の人生を狂わせた。
唯一幸いだったのは、男が既に不義を明らかにして妻に詫びていた事だろう。妻は伯爵家の娘であるのを、学園時代に男爵と恋に落ちて、親の反対を押し切って男の元に嫁いで来た。
その伯爵家も、男の不義理に庶子の存在まで知ってからは、堪忍袋の尾が切れた。今はもう他人である。
皮肉な事に、領地の隅に平民として小さな居を得て、村人相手の商店を夫婦二人で商う事になった男は、この世に妻と唯二人、これまでの人生で今が一番幸せだと思えたのであった。
ん?今なんか赤いものが。
視界の隅を横切った赤い風船を目の端に捉えて振り返れば、そこには既に何も無かった。
あの盗人よろしく怪しげに走る姿は、何処かで見た記憶がある。
しかし、あれはトレードマークがピンクであって、あんなに真っ赤な顔はしていない。赤と言うより赤を通り越して赤黒くも見えていた。
こういう事は触らぬ神になんちゃらである。
不愉快な記憶は、心のシュレッダーで木っ端微塵に砕いて捨てた。
さて、あれからどうも侯爵家は様子が可怪しい。
あれ程ソフィアに対していらない搾りカス扱いをしていた両親が、毎朝毎晩、今日の体調と今日の出来事を聞いてくる。
何があったのだろうと兄に尋ねれば、時が来たらお前に知らせが来る。十分身辺には注意を払いなさい。もう二度と争い事の矢面に立ってはいけないよ。と、幼子を言い含める様に言われてしまう。
学園に着けば、遠巻きに複数の生徒に囲まれている。どうやら侯爵家の寄り子貴族の子息達らしい。
あれから王子とは会っていない。
学園には来ていないから。ダンスの授業も中止となっている。
この変化は一体何だろう?
ソフィアは訝しむ。けれども何より変わったのは、
「お早う、ソフィア嬢。」
王太子殿下から直々にお言葉を掛けられる様になった事か。
「お早うございます。ローレン王太子殿下。」
カーテシーをすれば、良いよと止められる。では、学園の中だけ楽にさせて頂きますと言えば、それで良いと答えが返ってきた。
阿呆であんぽんたんな弟達がやらかした不始末への贖罪か、王太子の側近達も皆、ソフィアに節度を持って接している。
ソフィアは漸く平和が戻って、ピンク頭に混乱させられた授業の遅れを取り戻す様に勉学に集中した。
一心不乱に学びに勤しむソフィアの姿に、何故か周りは感嘆の声を上げている。
何故?何故なの?
まるで神々しいものでも窺い見る様な周囲の眼差しに、そんな視線を受けた事のない搾りカス令嬢ソフィアは、アナスタシアに聞いてみた。
「迂闊な事は口に出来ないわ。けれどもソフィア様、覚悟をお決めになった方が宜しいわ。」
至極真面目な表情で返された。
ルイ王子がアダムとアナスタシアの再婚約を取り成すよう約束してくれた事を、アナスタシアには既に話していた。
希望を捨てないで欲しかったから。
彼女は一つ涙を零して、ソフィア様、貴女に生涯の忠誠を誓うわ、と言った。
えー、そんな大袈裟な。王子の言葉を伝言しただけよ?と笑えば、漸く眦を下げてくれた。
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