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「ううむ、これはまた大変なものを頂戴して来たな。」

父と母が顔を突き合わせて見ているのは、先日アナベルがグレイ伯爵夫人から譲り受けた指輪である。

目利きである父には、確かな価値が理解出来たらしく、珍しく怯んでいる。
本当に頂戴して良いのかと、あろう事かデイビッドに確かめたと云うから恥ずかしい。

我が伯爵家に嫁ぐのだから当然であろう。何より指輪は当家の夫人となるアナベルに譲ったものであって、貴殿のものではない。そう返したらしい話の経緯に、アナベルは爽快な気分となった。

いつまでも影の薄い三女だと思うらしい父に、してやったりな気持ちである。
良くぞ言ってくれたと、デイビッドに拍手を送りたくなった。


夢のようとは物語の台詞ではなかった。
もうあの数日の思い出だけで、一生を生きていけると思った。

穏やかな家庭の愛に包まれて、夜には深い愛に揺さぶられる。
目を閉じるとつい思い出してしまい、自ずと頬に熱を感じた。
生家でも、ちょっと考え足らずなだけで両親には愛されていたし、姉妹とも仲が良かった。決して孤独な暮らしではなかった。

けれども、初めて知るカチリとピースが嵌まる感覚に、過去世や来世が果たしてあると云うなら、過去世は確かにあるのだと思った。
懐かしさを覚えた夫人の温かさ。
伯爵の穏やかさ。
そうして、何もかもを溶かしてしまう愛する男の熱。

そんな事をついつい考えながら制服を纏う。
もう全く馴染まない。
そもそも制服とは純真無垢な令嬢が纏うもので、純真でも無垢でもなくなったアナベルには袖を通す事は出来ないと思えた。

それもあと僅か。
年が明けて春を迎える頃には、蛹を抜け出すようにこの制服も脱ぎ捨てることとなる。
心を男の下に置いたまま、蛹なのに既に抜け殻の様な心持ちで、アナベルは学園に向かった。


「あの、す、少しよろしくて?」
昼食の時間となって、教室を出た扉のところで声を掛けられた。

クレア嬢であった。

何故ここへ?
どうして此処へ?

不審な思いが顔に出てしまったのか、背の高いアナベルに怯んだのか、クレア嬢の顔が強張る。

異変に気付いたらしいカテリーナが、こちらを注視している。
カテリーナは、グレイ伯爵領にて代官として領地管理を担う家系の娘である。言わば、グレイ伯爵家の金庫番として代々使える家柄であった。
主家の細君となるアナベルを護る心づもりであるらしい。

「アナベル様、す、少しお話しがしたくて、」
「ええ、どうぞ。なにか?」
「その、ここではちょっと、どこか他の場所で..」
「それには及びませんわ。どうぞこちらで。」
クレアに付き合う必要を感じなかった。

「...」
要件を言えない様子に、もうそろそろ良いだろうかと声を掛けようか迷った矢先、
「デズモンドを惑わせないで下さい!」
彼女はそう言った。

「何を仰ってるの?」
「デズモンドを惑わせないで!」
学園の衆目の視るところで何を言っているのだろう。

「ご自分の言動には気を付けた方がよろしいわ。」
はっきり伝えるべきであろう。でなければ、このご令嬢には理解出来ぬらしい。

「デズモンド様との婚約は既に解消されております。」
「でもっ」
「そして私には既に婚約者がおります。春には婚姻の予定です。」
「でも、デズモンドが!」
どれ程に幼稚なカップルなのだろう。

「デズモンド様と私は無関係です。お二人の事はお二人でお話し下さい。」
それに、と続ける

「私は貴女に名を名乗っておりません。貴女が誰なのか名乗られてもおりません。何処の家の方か分かりませんが、仰りたい事がお有りなら家を通して下さる?」

クレアは子爵家の令嬢である。
確かに父同士は事業で付き合いがある。
しかし、伯爵家のアナベルに物申すのであれば、方法を違えてはならない。学園だからと許される事にも限度がある。何よりクレアは先の婚約解消に於いての、破談の原因でもあるのだから。

傍から見れば、背の高いアナベルから小柄なクレアを詰っている様に見えても可怪しくないが、周囲は静観を決めていた。
もう彼らは学生気分ではいられない。既に卒業を見据えて、若手貴族としての行動を求められている。

返す言葉が見当たらなかったらしいクレアは、背を翻してそのまま去って行った。
その後ろ姿を見ていると、

「抗議なさいますか?」
後ろからカテリーナが声を掛けて来た。

「ええ、父に話してみます。」
父がだめであればグレイ伯爵家を通さねばならない。
けじめは必要であろう。軽率な行動も度を過ぎてしまえば罪となる。

果たして父は速やかに抗議文を送った。
デズモンドとクレアの生家両家へ。
間を置かず詫び状が、こちらも二通届けられた。しかしながら、謝罪に邸を訪れる事にはどちらの家も考えが及ばなかったらしい。






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