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「アナベル。」

聞き覚えのある声に名を呼ばれて反射的に振り返った。

デイビッドに伴われて初めて出席した夜会であった。

前もって夜会の流れを姉達に聞いて、シミュレーションしたりしてその日を待っていた。
当日は、迎えに来たデイビッドと共に開場に入り、デイビッドに伴われて主催者へ挨拶をした。
知人と思わしき貴族達にデイビッドが声を掛けられ、婚約者として紹介される。そうやって幾人かと挨拶を交わして、漸く落ち着いた頃、喉の渇きを覚えた。
生憎近くに給仕が見当たらない。

「喉が渇いただろう。何が良い?」
「有難うございます。ではシャンパンをお願いしても宜しいでしょうか。」
「分かった。直ぐに戻るよ。そこで待っていて。」 

アナベルの様子に気付いたデイビッドが気を遣って飲み物を取りに行き、一人になった直ぐの事であった。

真逆と思いながら振り返って、冷たい氷を飲み込んだ気持ちになる。
「お久しぶりですね、デズモンド様。」
「ああ、久しぶり。」

何を思って声を掛けて来たのだろう。
お互い、顔を合わせて良い思いなどしないだろう。

「婚約したんだってね。」
「ええ、貴方もでしょう?お目出度うございます。」
「ああ、君も。」

そこで互いに黙り込んでしまった。
何を話せば良いのか言葉が見つからない。

「子爵家に嫁ぐんだって?」
「え?」
「相手だよ。子爵なんだろう?」

こんな失礼な物言いをする人だったかしら。
何より、大事なことを分かっていない。

「デズモンド様、本気で仰ってるの?」
だから言わずにはいられなかった。

「何が?」
「貴方、卒業したらお父様とご一緒にお仕事をなさるのでしょう?であれば、彼とはこれから関わる筈よ?」
「何を言いたいんだ?」

どうやら不快感を抱いたらしいデズモンドに怯みそうになるも、これは違えてはならない事であった。 

「私の夫になる方は、今は子爵であるけれど「だろう?」
話くらい最後まで聞けないのかしら。
「それは今だけの事よ。」
「アナベル、さっきから何が言いたいんだ?」
穏やかな人柄だとばかり思っていたエドモンドの思いもしない短慮に、アナベルは戸惑う。

「貴方こそ間違えてはいけないわ。デイビッド様は私との婚姻後にご生家の爵位を継がれるのよ?グレイ伯爵家を継承されるの。貴方はこれからデイビッド様とは長いお付き合いになるのでしょう?そこを失念してはいけないわ。」

「アナベル。」
多分、二人の会話の一部始終を傍で見ていたであろうデイビッドに名を呼ばれた。

「すまないアナベル、待たせたね。」
鷹揚な仕草でアナベルにシャンパングラスを渡してから、

「初めましてかな?モートン伯爵家ご令息。お父上には世話になっている。君ともこれからご一緒する事があるだろうね。宜しく頼むよ。」
デズモンドに振り返って挨拶をした。


デイビッドの貴族然とした態度に声を出せずにいるらしいデズモンド。

「し、子爵では?」
「ああ、確かに私は子爵だよ。生家の従属爵位を継いでね。」
「し、失礼しました。」
「いや、気にしなくとも良いよ。現に今は子爵を名乗っているんだから。」

社交に練れた大人の貴族に学生令息が敵う筈も無く、それから一言二言言葉を交わした後で、デズモンドは去って行った。

デイビッドはグレイ伯爵家の嫡男である。成人と同時に伯爵家の従属爵位である子爵位を継いでアンドーヴァー子爵を名乗っていたが、婚姻後に伯爵位を継ぐ事が決まっていた。

アナベルが先日贈ったハンカチの刺繍に、イニシャルを「G」にしたのも、彼が間もなくGrey(グレイ)伯爵を名乗るからであった。伯爵家の紋章である宝冠の葉飾りは本来は苺の葉である。イニシャルを飾る葉飾りを苺の葉ではなく茶葉としたのは、Earl Grey(グレイ伯爵)と紅茶のアールグレイを掛けたからであった。

もしかしたらデズモンドは、私が彼との婚約解消後、爵位の劣る婚約者を得たのを辱めようとしたのかしら。であれば残念だわ。そんな事を考える人では無いと思っていたのに。

共に伯爵家の後継者であるデズモンドとデイビッド。年齢こそ違いはあるが、次の世代で共に貴族社会を担って行く若手貴族である。
モートン伯爵家の後継教育は大丈夫なのだろうか。ここにいる貴族達も、デイビッドがグレイ伯爵家の嫡男である事は当然ながら知っている。
婚約していた頃には頼もしく思えていたデズモンドが、デイビッドと並び立った事で途端に幼く幼稚に見えた。


アナベルはそんな事を考えながら、暫くデズモンドの背中を見つめていた。
それから、ふと思い出した。
デズモンドも多分婚約者と参加している筈。であれば新たな婚約者であるクレア嬢は何処にいるのだろう。


「アナベル、大丈夫だったか?」
思考に入り込んでいたらしいアナベルにデイビッドが声を掛けた。

最近、デイビッドはアナベルを敬称を外して呼ぶようになっていた。それが心の近さに感じて、アナベルは嬉しく思っていた。

「大丈夫です、デイビッド様。ただ彼が貴方に失礼な思い違いをしていた様なので正したかったのですけど...」
「気にしなくとも良いよ、直(じき)に解ることであったからね。」
「いいえ、良くありませんわ。事業で関わり合っていると言うのに。」

礼も常識も欠いたデズモンドに、アナベルの憤りはなかなか静まることは無かった。








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