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夏の長期休みも終わって、学園も始まった。
漸く朝夕涼しくなったエリザベスも、早朝の執務を熟して学園に通っていた。
休みが明けてみれば、あちこちからお祝いの言葉を掛けられる。どうやら、ジョージとの婚約を知っての事であるらしい。
こちらが何も語らずとも、周りは周到にウィリアムとの婚約解消を知り、ジョージとの婚約を知っている。貴族の社会に於いて浮き沈みは日常で、揚げ足を取ってみれば後から後悔する目をみたり。
ウィリアムとの婚約解消を悪様に口にしなかった事を幸いであったと胸を撫で下ろす者もいたであろう。
婿入りにより伯爵家に入る予定であったウィリアムが、子爵位を得て新たに家を興すことも祝いの内と捉えられている。
侯爵家の後ろ盾を得て、これから社交ばかりでは無く事業の経営についても参入するであろうウィリアムは、最近忙しそうである。
散々学生気分を満喫したであろうと、ジョージから執務の手伝いをさせられているらしい。手伝いとは言葉ばかりで、実のところは執務の初手を教えているのだろう。
ウィリアムの次の世代が沈まぬように、出来うるならば栄えるように、何れ侯爵家の力となり得るようにと、ジョージは既に先の代を見据えている。
そんなウィリアムは、漸くエリザベスの心情を理解し始めたらしい。今や自身も大海に投げ込まれた気分であろうから。
金髪蒼眼の王子然とした華やかな容貌には確かに疲れが見えるけれど、青年貴族の落ち着きが備わり始めていたから。
エレノアと云う最愛を得たことが、彼の心に芯を齎したのかもしれない。
適材を生かされて適所に置かれたならば、人はこれ程変わるのだと、エリザベスは侯爵と父の先見の目に、畏敬の思いで敬服するのだった。
馬車留には、もう見慣れた馬車が迎えに来ていた。
「エリザベス。」
扉を開けられ中へ入る前に、手を取られる。
力強い手に引き寄せられて、見上げれば、榛の瞳が細められてこちらを見つめていた。
「ジョージ様、お迎え有難うございます。」
最終学年の秋を迎えて、貴族の学園での課題は以前よりも減っていた。
卒業後には家を継ぐ者、家へ嫁ぐ者、文官や騎士に士官する者様々あるが、皆いよいよ成人としての準備に入っている。
エリザベスも、学園で課題を熟していた時間を、今は侯爵家の執務を習う時間に充てていた。
執務と言ってもその殆どは、既にジョージが担っている。
エリザベスはその横で、彼が何を為しているのかを、同じ後継教育を受けた身として習い覚えているのであった。
ジョージとの共同事業であるカフェ経営も、正式な侯爵家の事業に組み込まれた。
傘下の貴族家と共に、事業を領地を領民を侯爵家・伯爵家を纏めながら守って行く。
エリザベスは、生家の伯爵家についてもその身に背負っている。執務の殆どを父が担っているが、それは何れ侯爵家の夫人であらながらエリザベスが担う事となる。それと同時に、次世代への継承も為さなければならない。
偉大な父親の背中を追う日々は終わらない。
そうして、エリザベスを求めるのに遠慮を必要としなくなったこの男にも、エリザベスは翻弄されていた。
引き寄せられるまま口付けられて、溺れるように酸欠になりながらエリザベスは、大海原を犬掻きで泳ぐ様に執務に喘ぐのもこの男の濃密な愛に溶かされ溺れるのも、どちらも苦しく愛おしいと思うのであった。
侯爵邸を訪う時には、侯爵夫人のお茶のお相手であったり時には侯爵から直接声を掛けられたりと、なかなかに忙しく刺激もある。
伯爵家へは徒歩でも移動出来る距離にあるも、毎晩ジョージから馬車で送られており、最近では晩餐の席にも招かれるので、自然帰宅は遅くなる。
伯爵家の玄関ポーチには、必ずセドリックが待っており、馬車を降りるエリザベスの頭の先から爪先までを一瞥して、不埒な事をされてはいまいか厳しいチェックの目が光っていた。
最近のジョージは、エリザベスの髪も服も乱さぬように密な口付けをすると云う、全く以って器用な芸当を身に着けていた。
それでも紅が剥がれてしまう口元は目聡く見付けられて、セドリックがジョージに対して今にも舌打ちをするのではないかと、エリザベスは冷や冷やするのであった。
そうして時折父の執務室を訪ねては、本日の報告という体(てい)で親子の語らいを楽しんでいる。
後継者教育が始まって以来、こんな豊かな時の過ごし方が出来なかったエリザベス。今、漸く娘として、未来を担う成人貴族として、父と向き合う事が叶ったのだった。
令嬢と云うだけでは得られなかった領主・経営者としての目線で会話が出来るのも、寝る間を惜しんで学びと執務に溺れる日々を泳ぎ切った賜物であると、恵みの時を享受していたのである。
来春の婚姻は既に決められていた。
どうやらジョージは、エリザベスに婚姻を申し込む前から準備をしていたらしい。
必ず妻に迎えると云うその自信は、一体何処から来るのか。
エリザベスはある日聞いてみた。
予てから疑問であったジョージの気持ちについてを。
父が将来の夫から直接聞いてみよと言ったのを、とうとう実行に移した。
果たして、飄々と読めない男はにやりと笑みを浮かべて「ああ、そんなことか」とばかりに答えてくれたのであった。
漸く朝夕涼しくなったエリザベスも、早朝の執務を熟して学園に通っていた。
休みが明けてみれば、あちこちからお祝いの言葉を掛けられる。どうやら、ジョージとの婚約を知っての事であるらしい。
こちらが何も語らずとも、周りは周到にウィリアムとの婚約解消を知り、ジョージとの婚約を知っている。貴族の社会に於いて浮き沈みは日常で、揚げ足を取ってみれば後から後悔する目をみたり。
ウィリアムとの婚約解消を悪様に口にしなかった事を幸いであったと胸を撫で下ろす者もいたであろう。
婿入りにより伯爵家に入る予定であったウィリアムが、子爵位を得て新たに家を興すことも祝いの内と捉えられている。
侯爵家の後ろ盾を得て、これから社交ばかりでは無く事業の経営についても参入するであろうウィリアムは、最近忙しそうである。
散々学生気分を満喫したであろうと、ジョージから執務の手伝いをさせられているらしい。手伝いとは言葉ばかりで、実のところは執務の初手を教えているのだろう。
ウィリアムの次の世代が沈まぬように、出来うるならば栄えるように、何れ侯爵家の力となり得るようにと、ジョージは既に先の代を見据えている。
そんなウィリアムは、漸くエリザベスの心情を理解し始めたらしい。今や自身も大海に投げ込まれた気分であろうから。
金髪蒼眼の王子然とした華やかな容貌には確かに疲れが見えるけれど、青年貴族の落ち着きが備わり始めていたから。
エレノアと云う最愛を得たことが、彼の心に芯を齎したのかもしれない。
適材を生かされて適所に置かれたならば、人はこれ程変わるのだと、エリザベスは侯爵と父の先見の目に、畏敬の思いで敬服するのだった。
馬車留には、もう見慣れた馬車が迎えに来ていた。
「エリザベス。」
扉を開けられ中へ入る前に、手を取られる。
力強い手に引き寄せられて、見上げれば、榛の瞳が細められてこちらを見つめていた。
「ジョージ様、お迎え有難うございます。」
最終学年の秋を迎えて、貴族の学園での課題は以前よりも減っていた。
卒業後には家を継ぐ者、家へ嫁ぐ者、文官や騎士に士官する者様々あるが、皆いよいよ成人としての準備に入っている。
エリザベスも、学園で課題を熟していた時間を、今は侯爵家の執務を習う時間に充てていた。
執務と言ってもその殆どは、既にジョージが担っている。
エリザベスはその横で、彼が何を為しているのかを、同じ後継教育を受けた身として習い覚えているのであった。
ジョージとの共同事業であるカフェ経営も、正式な侯爵家の事業に組み込まれた。
傘下の貴族家と共に、事業を領地を領民を侯爵家・伯爵家を纏めながら守って行く。
エリザベスは、生家の伯爵家についてもその身に背負っている。執務の殆どを父が担っているが、それは何れ侯爵家の夫人であらながらエリザベスが担う事となる。それと同時に、次世代への継承も為さなければならない。
偉大な父親の背中を追う日々は終わらない。
そうして、エリザベスを求めるのに遠慮を必要としなくなったこの男にも、エリザベスは翻弄されていた。
引き寄せられるまま口付けられて、溺れるように酸欠になりながらエリザベスは、大海原を犬掻きで泳ぐ様に執務に喘ぐのもこの男の濃密な愛に溶かされ溺れるのも、どちらも苦しく愛おしいと思うのであった。
侯爵邸を訪う時には、侯爵夫人のお茶のお相手であったり時には侯爵から直接声を掛けられたりと、なかなかに忙しく刺激もある。
伯爵家へは徒歩でも移動出来る距離にあるも、毎晩ジョージから馬車で送られており、最近では晩餐の席にも招かれるので、自然帰宅は遅くなる。
伯爵家の玄関ポーチには、必ずセドリックが待っており、馬車を降りるエリザベスの頭の先から爪先までを一瞥して、不埒な事をされてはいまいか厳しいチェックの目が光っていた。
最近のジョージは、エリザベスの髪も服も乱さぬように密な口付けをすると云う、全く以って器用な芸当を身に着けていた。
それでも紅が剥がれてしまう口元は目聡く見付けられて、セドリックがジョージに対して今にも舌打ちをするのではないかと、エリザベスは冷や冷やするのであった。
そうして時折父の執務室を訪ねては、本日の報告という体(てい)で親子の語らいを楽しんでいる。
後継者教育が始まって以来、こんな豊かな時の過ごし方が出来なかったエリザベス。今、漸く娘として、未来を担う成人貴族として、父と向き合う事が叶ったのだった。
令嬢と云うだけでは得られなかった領主・経営者としての目線で会話が出来るのも、寝る間を惜しんで学びと執務に溺れる日々を泳ぎ切った賜物であると、恵みの時を享受していたのである。
来春の婚姻は既に決められていた。
どうやらジョージは、エリザベスに婚姻を申し込む前から準備をしていたらしい。
必ず妻に迎えると云うその自信は、一体何処から来るのか。
エリザベスはある日聞いてみた。
予てから疑問であったジョージの気持ちについてを。
父が将来の夫から直接聞いてみよと言ったのを、とうとう実行に移した。
果たして、飄々と読めない男はにやりと笑みを浮かべて「ああ、そんなことか」とばかりに答えてくれたのであった。
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