5 / 29
【5】
しおりを挟む
新学期が始まって学園に通うようになったら、きっと煩わしい思いをするだろう。エリザベスはそう覚悟をしていたが、思いの外、周囲の学生達は静観している。
協調関係にある侯爵家と伯爵家の婚約が破談になったのだ。それなりの大事であろうから、影で噂されるのは仕方が無い。
耳に入る距離だけは勘弁願いたいと構えていたが、そこは高位貴族間の婚約関係であったから、迂闊な事は口に出さないでいる様であった。
これが一年前であったなら、もう少し騒々しかったのかも知れない。
最終学年を迎えて、皆卒業後を見据え始めたのだろう。
侯爵家令息のウィリアムは当然の事、伯爵家次期当主に据えられているエリザベスを軽んじるのは得策ではない事を、皆十分承知しているらしかった。
けれども、当事者のウィリアムが同じ学園に通っているのだから、なるべく顔を会わせないよう神経を使う毎日は、エリザベスにとっては正直疲れるものである。
元々図書室で過ごす時間は多かった。
邸に戻れば後継教育が待っている。学園での課題は学園にいる内に片付けたい。
放課後を図書室で過ごして邸に戻れば、姉とウィリアムがお茶を一緒に楽しんでおり、それに時々母も加わっていたりして、どっと疲れてしまうなんてことも珍しくなかった。
大体、同じ学園にいるのだから、態々エリザベスの邸に寄らなくても、学園で待っているなり一緒に図書室で過ごすなり出来たのだ。
邸の客室やテラスで「リズ、待っていたよ。」なんて、どの口が言っていたのだろうか。
お帰りと、こちらを見つめる三人の顔を思い出して、既に終わってしまった事であるのにエリザベスは溜息が出てしまった。
そうして、こうして図書室で過ごしていたのも、無意識のうちに、姉とウィリアムが過ごす邸に戻りたくなかったのではないかと思ったりもする。
それももう終わった。流石に母は姉ほど無神経では無いようで、ウィリアムについて口に出すことは無い。姉との二人きりの会話は、あれからはエリザベスの方で避けている。
課題も終えて、いつまでもこうしていても仕方が無い。そろそろ迎えも来ている頃だと席を立ち図書室を出た。
そうして学園の馬車留まで来て、見慣れない馬車が目に入った。
いや、知ってはいる。ただ学園では見ないだけで。
あれはモーランド侯爵家の紋章であるから。ウィリアムが残っているのではない。馬車の種類も馬も御者も違う。
エリザベスの姿を認めたのか、開け放たれた扉から男が降りてくる。
一体何があったのか。胸騒ぎがする。
「お疲れ、エリザベス。」
「ジョージ様。」
思わずカーテシーをしようとして
「おいおい止めてくれないかエリザベス。そんなにかしこまらないでくれ。」
止められてしまった。
学生達は大半が帰宅している為、周りに人は疎らであるが、それでもちらほら見受けられて、皆こちらを注視している。その気配を背中に感じながら、ジョージに伴われて馬車に乗った。
「ジョージ様。」
「ん?なにかな?」
「ウィリアム様をお迎えに?」
「真逆。」
では何故学園に来たのだろう。
戸惑いが顔に書いていたらしいエリザベスを見て、
「はは、ごめん驚かせたね」
ジョージは鷹揚に言う。
こうして対面するのは久しぶりの事である。エリザベスの迎えの馬車は、先に邸へ帰されたのだろう。後で父に何があったかを報告しなければならない。
頭の中でこれからの事を思案していると、
「エリザベス。」名を呼ばれて俯いていた顔を上げた。
懐かしい笑みである。
この微笑みを幼い頃から知っている。
ここ数年、いやウィリアムと婚約してから、こうして二人きりで会うことも、向かいあって座ることも無かった。
「迷惑を掛けたね。」
何故、貴方が謝るの?
「ウィリアムがもう少し身の程を弁えてくれたら、君を傷付ける事もなかったのに。」
「いいえ、ジョージ様。貴方様が謝る事ではありません。お詫びをしなければならないのは我が家も同じですから。」
「何故?」
「姉が、」「いや、いいよ。」
エレノアにも責任の一端はあろう。ジョージは不快に思っていないのだろうか。
そこまで考えて、ふと気づいた。馬車は何処へ向かっているのだろう。
エリザベスの戸惑いに気付いたらしいジョージが言う。
「最近カフェが出来ただろう?」
ああ、そんな話を学園でも耳にした。
「あれは私がオーナーなんだが、良ければ君をお誘いしたくてね。」
ジョージは帝国での留学期間で経営学を学んでいたらしい。帰国してからは様々な事業に着手しており忙しそうであった。真逆カフェまで経営を始めていたとは。
将来侯爵家を支える立場である自分の耳の遅さに恥じ入ってしまう。
「安心して。私が個人的に興した事業だよ。侯爵家のものではないんだ。だから知らなくて当然なんだよ。」
穏やかな眼差しに安堵をする。
黒髪に榛の瞳。
金髪蒼眼のウィリアムとは全く似ていないのは、お祖父様の隔世遺伝であるからか。
見目も纏う雰囲気もまるで似つかない兄弟であった。
この人と一緒であったなら、今頃こんな事にはなっていなかったのではないか、思わずそんな事を考えて、いやいや姉とジョージ様は慕い合って婚約したのだ。後継を妹に譲る程に。そんな事を考えていると、馬車は目的地へ着いたようであった。
協調関係にある侯爵家と伯爵家の婚約が破談になったのだ。それなりの大事であろうから、影で噂されるのは仕方が無い。
耳に入る距離だけは勘弁願いたいと構えていたが、そこは高位貴族間の婚約関係であったから、迂闊な事は口に出さないでいる様であった。
これが一年前であったなら、もう少し騒々しかったのかも知れない。
最終学年を迎えて、皆卒業後を見据え始めたのだろう。
侯爵家令息のウィリアムは当然の事、伯爵家次期当主に据えられているエリザベスを軽んじるのは得策ではない事を、皆十分承知しているらしかった。
けれども、当事者のウィリアムが同じ学園に通っているのだから、なるべく顔を会わせないよう神経を使う毎日は、エリザベスにとっては正直疲れるものである。
元々図書室で過ごす時間は多かった。
邸に戻れば後継教育が待っている。学園での課題は学園にいる内に片付けたい。
放課後を図書室で過ごして邸に戻れば、姉とウィリアムがお茶を一緒に楽しんでおり、それに時々母も加わっていたりして、どっと疲れてしまうなんてことも珍しくなかった。
大体、同じ学園にいるのだから、態々エリザベスの邸に寄らなくても、学園で待っているなり一緒に図書室で過ごすなり出来たのだ。
邸の客室やテラスで「リズ、待っていたよ。」なんて、どの口が言っていたのだろうか。
お帰りと、こちらを見つめる三人の顔を思い出して、既に終わってしまった事であるのにエリザベスは溜息が出てしまった。
そうして、こうして図書室で過ごしていたのも、無意識のうちに、姉とウィリアムが過ごす邸に戻りたくなかったのではないかと思ったりもする。
それももう終わった。流石に母は姉ほど無神経では無いようで、ウィリアムについて口に出すことは無い。姉との二人きりの会話は、あれからはエリザベスの方で避けている。
課題も終えて、いつまでもこうしていても仕方が無い。そろそろ迎えも来ている頃だと席を立ち図書室を出た。
そうして学園の馬車留まで来て、見慣れない馬車が目に入った。
いや、知ってはいる。ただ学園では見ないだけで。
あれはモーランド侯爵家の紋章であるから。ウィリアムが残っているのではない。馬車の種類も馬も御者も違う。
エリザベスの姿を認めたのか、開け放たれた扉から男が降りてくる。
一体何があったのか。胸騒ぎがする。
「お疲れ、エリザベス。」
「ジョージ様。」
思わずカーテシーをしようとして
「おいおい止めてくれないかエリザベス。そんなにかしこまらないでくれ。」
止められてしまった。
学生達は大半が帰宅している為、周りに人は疎らであるが、それでもちらほら見受けられて、皆こちらを注視している。その気配を背中に感じながら、ジョージに伴われて馬車に乗った。
「ジョージ様。」
「ん?なにかな?」
「ウィリアム様をお迎えに?」
「真逆。」
では何故学園に来たのだろう。
戸惑いが顔に書いていたらしいエリザベスを見て、
「はは、ごめん驚かせたね」
ジョージは鷹揚に言う。
こうして対面するのは久しぶりの事である。エリザベスの迎えの馬車は、先に邸へ帰されたのだろう。後で父に何があったかを報告しなければならない。
頭の中でこれからの事を思案していると、
「エリザベス。」名を呼ばれて俯いていた顔を上げた。
懐かしい笑みである。
この微笑みを幼い頃から知っている。
ここ数年、いやウィリアムと婚約してから、こうして二人きりで会うことも、向かいあって座ることも無かった。
「迷惑を掛けたね。」
何故、貴方が謝るの?
「ウィリアムがもう少し身の程を弁えてくれたら、君を傷付ける事もなかったのに。」
「いいえ、ジョージ様。貴方様が謝る事ではありません。お詫びをしなければならないのは我が家も同じですから。」
「何故?」
「姉が、」「いや、いいよ。」
エレノアにも責任の一端はあろう。ジョージは不快に思っていないのだろうか。
そこまで考えて、ふと気づいた。馬車は何処へ向かっているのだろう。
エリザベスの戸惑いに気付いたらしいジョージが言う。
「最近カフェが出来ただろう?」
ああ、そんな話を学園でも耳にした。
「あれは私がオーナーなんだが、良ければ君をお誘いしたくてね。」
ジョージは帝国での留学期間で経営学を学んでいたらしい。帰国してからは様々な事業に着手しており忙しそうであった。真逆カフェまで経営を始めていたとは。
将来侯爵家を支える立場である自分の耳の遅さに恥じ入ってしまう。
「安心して。私が個人的に興した事業だよ。侯爵家のものではないんだ。だから知らなくて当然なんだよ。」
穏やかな眼差しに安堵をする。
黒髪に榛の瞳。
金髪蒼眼のウィリアムとは全く似ていないのは、お祖父様の隔世遺伝であるからか。
見目も纏う雰囲気もまるで似つかない兄弟であった。
この人と一緒であったなら、今頃こんな事にはなっていなかったのではないか、思わずそんな事を考えて、いやいや姉とジョージ様は慕い合って婚約したのだ。後継を妹に譲る程に。そんな事を考えていると、馬車は目的地へ着いたようであった。
3,026
お気に入りに追加
3,964
あなたにおすすめの小説
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
すべてフィクションです。読んでくだり感謝いたします。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。

騎士の妻ではいられない
Rj
恋愛
騎士の娘として育ったリンダは騎士とは結婚しないと決めていた。しかし幼馴染みで騎士のイーサンと結婚したリンダ。結婚した日に新郎は非常召集され、新婦のリンダは結婚を祝う宴に一人残された。二年目の結婚記念日に戻らない夫を待つリンダはもう騎士の妻ではいられないと心を決める。
全23話。
2024/1/29 全体的な加筆修正をしました。話の内容に変わりはありません。
イーサンが主人公の続編『騎士の妻でいてほしい 』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/96163257/36727666)があります。
婚約者を想うのをやめました
かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。
「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」
最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。
*書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
私達、政略結婚ですから。
黎
恋愛
オルヒデーエは、来月ザイデルバスト王子との結婚を控えていた。しかし2年前に王宮に来て以来、王子とはろくに会わず話もしない。一方で1年前現れたレディ・トゥルペは、王子に指輪を贈られ、二人きりで会ってもいる。王子に自分達の関係性を問いただすも「政略結婚だが」と知らん顔、レディ・トゥルペも、オルヒデーエに向かって「政略結婚ですから」としたり顔。半年前からは、レディ・トゥルペに数々の嫌がらせをしたという噂まで流れていた。
それが罪状として読み上げられる中、オルヒデーエは王子との数少ない思い出を振り返り、その処断を待つ。

嘘をありがとう
七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」
おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。
「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」
妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。
「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*
音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。
塩対応より下があるなんて……。
この婚約は間違っている?
*2021年7月完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる