令嬢は見極める

桃井すもも

文字の大きさ
上 下
3 / 29

【3】

しおりを挟む
「お前はそれで良いのだな。」

父がエリザベスに問うて来る。

「はい。」
「見逃すことは?」
「出来かねます。」
「侯爵家へは。」
「ありのままをお伝え下さい。」
「エレノアはどうなる。」
「ジョージ様がお考え下さる事と。」
「それでエレノアこそ婚約を解消されるとは考えないか。」
「それは無いでしょう。お二人が望んだからの婚約でしょう。ジョージ様は考え無しではございませんでしょう。」
考え無しはエレノアとウィリアムである。

暫し沈黙が訪れる。

「ウィリアム殿を慕っていたのでは?」
漸く親の顔を見せた父が尋ねて来る。

「お慕い申しておりました。幼い頃より。」
「うむ。」
そこで何やら考えている様子の父を待っていたが、
「お父様。」エリザベスは娘の我が儘を言葉にした。

「私、他の女性に思いを移す殿方と婚姻など出来ないのです。伯爵家の為に、侯爵家の為に、この身を粉にして務める事を誓いましょう。けれども、寄り添う夫には僅かで良いから思い合う愛情を望むのは、私の我が儘です。少なくとも、お姉様を慕う男と添うなど私には到底出来ない事なのです。」

貴族の婚姻に愛を求めても仕方が無い。
現に、父と母も政略での婚姻である。互いに思い合える情を持てたのは幸運な事である。中には初めから愛を他に置く者もいる。それに目を瞑る夫人達も。
けれども、ここはエリザベスの生家であり、エリザベスが跡を継ぐ。せめて一つだけ、我が儘を言わせて欲しい。

ウィリアムだけは駄目である。
幼い頃より慕ってきた。初恋なのだ。
それでも姉に恋慕する男とは、無理なのである。まして後継など、肌を合わせるなどどうして出来よう。

若く潔癖な令嬢は、濁ったものを飲み込む程の胆力は持ち合わせてはいなかった。もう最後には、ウィリアムでなければ誰でも良いとまで言い出しそうであるのを悟った父が、

「分かった。」
そう言ってくれなければ、その先をまるっと全て口に出していた事だろう。

父が執事に視線を送る。
程無く執事は書類を携え戻って来た。

「今ここでサインが出来るか?サインしたなら後には戻れないぞ?」

父の瞳を受け止めて、エリザベスは一つ頷いた。
父は全て知っていた。分かって見逃していたのは、エリザベスの為かそれともエレノアの為か。

それでもこんな時が来るのを予期していたところを見ると、父はエリザベスの考えも行動も正しく把握していたと思われる。

婚約解消の誓約書であった。
エリザベスのサインを携えて、父は侯爵家を訪うのだろう。せめてエレノアの婚約に影響しなければ良い。もう、自分の手を離れてしまった貴族の話し合いに、エリザベスの感情が入る余地は無い。


寝台の上でエリザベスは眠れずにいた。
春の宵は夜気も柔らかく、本来ならば微睡みさえ心地良い筈が、いつまでもまんじりとせずに、夜が耽るまま思考を泳がせていた。

父に話した言葉の一つ一つ。
父が話した言葉の一つ一つ。

どこかで齟齬は無かっただろうか。
侯爵家へ申し出る前に、父に正しく自分の言い分を伝える事が出来たであろうか。
後からそんなつもりは無かったなどと、子供の戯言は通用しない。

侯爵家はどう受け止めるだろう。
傘下の小娘の戯けた言い分と跳ね除けるであろうか。
ウィリアムに傷を付ける愚か者と叱責を受けるだろうか。
ジョージはどうする?エレノアとの婚約はどうなる?

エレノアには反省すべき事は無いのだろうか。我が身に置き換えれば大変な過ちに思えるのに、あの姉を思えば仕方ない様にも思えて来る。それは父も母も同じであろう。
母は悲しむのか。少なくとも、エレノアが矢面に立たされはしないか案ずる事だろう。
三つも年下であるのに、家督を譲られる立場からか、皆エリザベスには厳しい目を向けている。そう思うのは考えすぎなのだろうか。

元々は姉こそが後継者であった。恋をしたからと、それを放棄し妹にあてがった。
エレノアの我が儘は仕方が無いと受け入れられて、エリザベスでは許されないのだとしたら。それでも家を守らねばならない。

真逆、今頃になって当主をエレノアに戻してウィリアムを迎えて、そうしてエリザベスを他所に嫁がせようなどと、

そこまで考えて、それこそが真の答えに思えてしまった。

エレノアとウィリアム。この二年を想い合って過ごしていたとしたなら、本来あるべき姿としてエレノアが伯爵家を継いでウィリアムを伴侶と迎える事こそ理に適った道に思えた。
ジョージはどうなるのだろう。帝国で学んだ青年貴族の未来は明るい。彼なら心配いらない事だろう。

心配すべきは己の未来である。
姉を矢面に立たせた事を両親が罪だと考えたなら、最悪放逐されてしまうのだろうか。少なくとも、ウィリアムを迎えるこの家には置けないだろう。
学園の卒業と同時に他家に嫁がせらるのは間違い無い。

思考の海に何処までも深く沈んだまま、エリザベスは夢か現か分からぬまま、思い浮かぶのは最悪の未来ばかりで、それでも望まずにはいられなかった姉と婚約者への決別を後悔する気持ちにはなれなかった。

そうして、明けの空が白む頃に漸く考え疲れて浅い眠りに誘われたのであった。







しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ すべてフィクションです。読んでくだり感謝いたします。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

騎士の妻ではいられない

Rj
恋愛
騎士の娘として育ったリンダは騎士とは結婚しないと決めていた。しかし幼馴染みで騎士のイーサンと結婚したリンダ。結婚した日に新郎は非常召集され、新婦のリンダは結婚を祝う宴に一人残された。二年目の結婚記念日に戻らない夫を待つリンダはもう騎士の妻ではいられないと心を決める。 全23話。 2024/1/29 全体的な加筆修正をしました。話の内容に変わりはありません。 イーサンが主人公の続編『騎士の妻でいてほしい 』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/96163257/36727666)があります。

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

私達、政略結婚ですから。

恋愛
オルヒデーエは、来月ザイデルバスト王子との結婚を控えていた。しかし2年前に王宮に来て以来、王子とはろくに会わず話もしない。一方で1年前現れたレディ・トゥルペは、王子に指輪を贈られ、二人きりで会ってもいる。王子に自分達の関係性を問いただすも「政略結婚だが」と知らん顔、レディ・トゥルペも、オルヒデーエに向かって「政略結婚ですから」としたり顔。半年前からは、レディ・トゥルペに数々の嫌がらせをしたという噂まで流れていた。 それが罪状として読み上げられる中、オルヒデーエは王子との数少ない思い出を振り返り、その処断を待つ。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

婚約者を想うのをやめました

かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。 「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」 最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。 *書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

あなたへの恋心を消し去りました

恋愛
 私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。  私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。  だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。  今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。  彼は心は自由でいたい言っていた。  その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。  友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。  だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。 ※このお話はハッピーエンドではありません。 ※短いお話でサクサクと進めたいと思います。

処理中です...