ヘンリエッタの再婚約

桃井すもも

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「やっぱりトレーンはこれくらい長い方が良いわね。」
「こんなに長くて歩けるかしら..」
「そうねえ、貴女、華奢だから身体持ってかれない様に踏ん張るのよ。」
「わ、分かったわ。」

ヘンリエッタは気が付いた。それは多分、ヘンリエッタばかりでは無いだろう。

何故かは解らないが、ヘンリエッタの衣装をデザインするマルクスはマリーになる。口調もすっかりマリーに戻ってしまう。
デザイナーとなる時は、マリーの方がやりやすいのだろうか。

当然ながらマルクス自身もそれには気が付いているのだが、本人は全く気にしていない様であった。ヘンリエッタにしても、マリーもマルクスもどちらも大切な親友であり婚約者であるのに変わりはないから、寧ろマリーが現れると懐かしい気持ちにさえなった。 

今マルクスは、ヘンリエッタの婚礼衣装を手掛けている。生地もデザインも全てマルクスが行っていたから、母達の出番は全然無かった。
それにはヘンリエッタの母ばかりでなくマルクスの母も酷く残念がって、叶えられなかった「花嫁のお仕度」はウィリアムが迎える妻に全力投球されることになるだろう。まだウィリアムには婚約者すらいないのだけれど。頑張れウィリアム、負けるなウィリアム。

ヘンリエッタの婚礼衣装は、挙式後はM&M商会のギャラリーに展示される事が決まっている。気鋭の商会経営者が迎え入れる愛妻の衣装は、展示という名でこれ見よがしに御婦人方へ見せびらかされる事となった。




「婚姻式っていくさなのね。」

ヘンリエッタの声が薄暗がりに静かに消えてゆく。

「戦と言うより、サバイバルかしら。」

挙式は聖堂で執り行われた。聖堂だから神父もいた。なのに、神聖なる聖堂にケダモノが紛れ込んでいただなんて。

「酷い...」
「何が?」「ひっ」

背中から声を掛けられて小さな悲鳴が口から漏れ出た。

「何が酷いの?」

くう~っ、この男と来たら。ええい、シカトしてしまえ。

「ふうん。」
この男がこういう返しをする時は危険である。これまでの付き合いで、よく解っている。に、逃げねば、

果たしてヘンリエッタは逃げる事は叶わなかった。挙式の際も誓いの口付けでヘンリエッタを窒息させかけたマルクスは、当たり前だがそう云う舞台で仕事に手を抜く事は無かった。
仕事の舞台は寝台で、早々にシーツが取り替えられたのには泣きたい程恥ずかしくなった。
折角清められた寝台は、直ぐに乱される事になる。挙式の際に聖堂に現れたケダモノは、ピタリとヘンリエッタに狙いを定めて見逃す事なんて無かったから。

「冷たい奥方を温めるのは夫の役目だよね。」
「そ、そ、そ、そ、そんな役目なんて無いわよっ」
「ほら、冷えてる。」

そう言って、マルクスがヘンリエッタの乳房を包む。大きな手の平にささやかなお胸はすっぽり包まれてしまった。
折角背を向けて寝台の端まで逃れていたのに、ほんの一瞬のうちに乳房を包み込まれたまま太い腕に引き寄せられて、「ほら冷えてる」だなんて難癖をつけられ強制的に熱を齎された。

「マ、マ、マルクスっ」
「なあに、奥さん。」

耳の後ろで囁かれて息が直接触れるのに、そんな小さな刺激にすらヘンリエッタは全身が酷く敏感になって反応するから、不埒な夫の欲が失われることなど無かった。

さっきまで背中にあった熱を孕んだ夫の身体は、今はなんでだ、ヘンリエッタを見下ろしている。

「可愛いな。食べちゃいたい。」
今、食べただろう!

もの忘れが酷すぎる夫に何度も食べられちゃって、つい先ほど独りごちた事を後悔した。寝たフリしてれば良かった。あそこでうっかり独り言なんて言ってしまったから、寝た子を起こしてしまったじゃない。

後悔とは、後からは悔やむから後悔と言う。大切な教訓は確かに以前も身に沁みて解った筈なのに、どうして気を付けていなかったのか。
ケダモノとは、初夜の夫の事なのに!

こうしてヘンリエッタは、身を以て学びながら少~しずつ賢くなって行くのだが、それはまた別のお話し。


ヘンリエッタが学園を卒業すると、挙式は直ぐに執り行われた。偶然であったのだが、それはハロルドとの最初の婚約で定められていた婚礼の日であった。

真っ青な空の下にヘンリエッタの婚礼衣装のトレーンが長く伸びている。
いつだったか、淡い色合いの自分には白が似合わないから婚礼衣装だなんて無理だろと思っていたヘンリエッタに、柔らかなエクリュのドレスはよく似合った。真っ白な肌に、初めから合わせて設えた様に美しく馴染んだ。

衣装は寸分の狂いなく、ほっそりとしたヘンリエッタの肢体を包み込んだ。
ヘンリエッタのサイズなら、目視で正しく採寸出来るマルクスが、何度もぺちぺち触れて確かめ測ったのだから、シンデレラフィットで当然なのだ。

そうして今は、誰にも晒したことのない秘めたところも勤勉な夫にすっかり確かめられて、身体の外も内側も、とろとろに蕩けて溶かされてしまった。

「幸せ。」
思わず呟いてしまった言葉に、

「本当?」
直ぐに問い返される。

あんなに強欲に求めていながら、こんな時に心細そうな声を出すなんて。なんてズルいケダモノなのだ。

「本当よ。旦那様。」

聴こえた筈なのに、ヘンリエッタを腕の中に抱き寄せたまま、夫はぴくりとも動かない。
寝ちゃったのかしら。そう思った時に、

「もう一度、呼んで頂戴。」

行き成りマリーが現れて、ヘンリエッタは可笑しくなった。マリーもマルクスも、どちらもヘンリエッタが愛する旦那様だ。
マリーがいて、マルクスがいて、

「旦那様、私、とっても幸せよ。」

しっとり汗ばむ身体にそっと腕を回して囁いた。






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