67 / 78
【67】
しおりを挟む
年の末までにマルクスとは一度お茶をしたのだが、そこでも「貴族青年マルクス」は、度々姿を現した。
馴染んだマリーとして話していたのに、何かの瞬間にスッとマルクスに変化する。
初めはヘンリエッタも戸惑った。マルクスに一体何があったのかと考えてもみた。けれども終いには、どちらでも良いのだと思った。それなのに、「貴族青年マルクス」と話すのに照れてしまう自分が情けなかった。
どうやらマルクスが、それを楽しんでいるらしい事に気が付いて、少しばかり悔しく思った。
「夜会の顛末を聞いたかしら。」
今は男の娘であるらしいマリーに問われて、「ええ」と答える。
王城での聖夜の夜会に、ひとつ発表された事があった。
エレノア王女の療養である。療養という名の蟄居と思われた。
そうであれば隣国へ帰国するのかと思えば、母国よりもこの国の風土が療養するのに適しているとかで、彼女は南の辺境伯領地にある山間の保養施設に移るのだと言う。
それってつまり、母国から帰国を許されなかったということではなかろうか。
王女の療養により、第二王子殿下エドワードは、健康上の不安を抱えるエレノア王女との婚約を解消することとなった。
ここまで聞けば、あの夜エドワードから聞かされたカトレア王女との婚約者挿げ替えが計画通りになるのだろうと思うだろう。
しかし、現実はあまりに衝撃的であった。
カトレアは、エドワードからの婚約打診を断って自身の護衛との愛を貫き通した。何やらそれは身分を超えた「真実の愛」なのだと言う。
それはまるで、真実はどうであれ、王太子であった父王が「真実の愛」の名の下に、元々の婚約者であったカトレアの母を側妃に落とすことでしか事を納められなかった結果への意趣返しにも思えた。
しかし、もしかしたら、カトレアは本当に護衛騎士との純愛を貫いたのかも知れず、ヘンリエッタにはそこら辺の事情は皆目理解が及ばなかった。
ただ一つ言えたのは、エドワードがカトレア王女を得られなかったと言うことだろう。
彼女に婚約の打診をして隣国へ遊学した。
横槍を入れるエレノアを排除するのにハロルドが餌となり、その煽りを受けてヘンリエッタは婚約を解かれた。
とんだ迷惑。お騒がせ。
ノーザランド伯爵家、ダウンゼン伯爵家ばかりでなく、宰相や王太子を巻き込んで四方に影響を与えたカトレアとの婚約話は、真逆のカトレア本人が他所に愛を得たことで潰えてしまった。
「エドワード殿下は意気消沈なさっておられるのでしょうね。」
結果から言えば、彼は二年もエレノアの婚約者となり苦労したにも関わらず、結局苦労だけで終わってしまった。ハロルドとヘンリエッタなんて二度も婚約したのに、最後の最後までエレノア絡みで最終的には婚約破棄となったのだ。
「とんだ馬鹿をみたわ。私の青春、返せ。」
「お怒りね、ヘンリエッタ。」
「当然よ。しかもエレノア王女はこの国に残るのよ。不良債権、いいえ不渡手形を握らされて、大馬鹿をみたのは王家よね。」
「でも、お陰で貴女は小説を書いた。そうして私は貴女というパートナーを得られた。私にとってはおこぼれみたいな幸運よ。」
「私こそ世間ではすっかり不良債権なのよ。それを拾ってくれたのは貴女だわ。」
エドワードは自業自得であるから良いとして、ハロルドの事を思うと胸が痛んだ。
自身の名誉も婚約も犠牲にしてまでエドワードの想い人を得るために奔走したのに、結果は最も悪い最期となった。
「心配?」
「え?」
「元婚約者殿。」
「可哀想だと思うわ。あのお方はご自分の名誉も犠牲にしたのにこんな結果になるなんて。きっとこんな事になるだなんて思わなかったのではないかしら。」
「まあ、宰相も付いていたのですもの、立派な国の失策よ。隣国に良いようにされたのか、カトレア王女が強かであったのか、それとも本当に真実の愛であったのかも知れないわ。寧ろ、そうであれば良いわよね。真実の愛の前では国策も成す術は無かった。隣国王の姿そのものね。まあ、実際の所は解らないけれど。」
聖夜の夜会から帰ってきた母に事の顛末を聞いて、マリー→マルクスの変化に動揺していたヘンリエッタは、すっかりその事を忘れた程であった。
蜂蜜たっぷり甘々ミルクティーを美味しそうに飲んでいるマルクスを見つめるうちに、今なら聞けるのだろうかとヘンリエッタは尋ねてみた。
「マリー、貴女はエドワード殿下と近しい関係であったのでしょう?」
マルクスは、エドワードとは古い知り合いだと言っていた。
「そうね。剣の稽古仲間ではあったわ。」
「剣の稽古?」
「ええ。私、幼い頃は王城の騎士団で稽古を受けていたから。エドワード殿下は剣仲間。まあ、幼馴染みたいなものかしら。」
それは初耳である。
「マリーは騎士になりたかったの?」
「子供の頃はね。でも、騎士団を抜けてからも稽古は続けているわよ。」
フランクとあれほど楽しそうに剣技について話していたのだから、そうなのだろう。
「手を見せてもらっても構わないかしら。」
「やあね、貴女の白魚の様な手と比べるなんて酷い事しないわよね。」
「そんな事しないわ。」
なんだかんだ言いながら、マルクスはヘンリエッタの前に手の平を差し出してくれた。
硬そうな剣ダコがある。ヘンリエッタよりもずっとずっと大きな手。
騎士の手の平なんて確かめた事など無かったが、マルクスの手の平は何処からどう見ても立派な男性の手であった。思わず触れたくなってしまって、そろりと手を伸ばした。
それは唐突であった。マルクスの手の平に伸ばしたヘンリエッタの片手を、徐ろにマルクスが掴む。
「マ、マリー?」
「小さな手だな。白くて柔らかで、温かい。」
そう言ってマルクスは、ヘンリエッタの指先に触れるだけのキスをした。
馴染んだマリーとして話していたのに、何かの瞬間にスッとマルクスに変化する。
初めはヘンリエッタも戸惑った。マルクスに一体何があったのかと考えてもみた。けれども終いには、どちらでも良いのだと思った。それなのに、「貴族青年マルクス」と話すのに照れてしまう自分が情けなかった。
どうやらマルクスが、それを楽しんでいるらしい事に気が付いて、少しばかり悔しく思った。
「夜会の顛末を聞いたかしら。」
今は男の娘であるらしいマリーに問われて、「ええ」と答える。
王城での聖夜の夜会に、ひとつ発表された事があった。
エレノア王女の療養である。療養という名の蟄居と思われた。
そうであれば隣国へ帰国するのかと思えば、母国よりもこの国の風土が療養するのに適しているとかで、彼女は南の辺境伯領地にある山間の保養施設に移るのだと言う。
それってつまり、母国から帰国を許されなかったということではなかろうか。
王女の療養により、第二王子殿下エドワードは、健康上の不安を抱えるエレノア王女との婚約を解消することとなった。
ここまで聞けば、あの夜エドワードから聞かされたカトレア王女との婚約者挿げ替えが計画通りになるのだろうと思うだろう。
しかし、現実はあまりに衝撃的であった。
カトレアは、エドワードからの婚約打診を断って自身の護衛との愛を貫き通した。何やらそれは身分を超えた「真実の愛」なのだと言う。
それはまるで、真実はどうであれ、王太子であった父王が「真実の愛」の名の下に、元々の婚約者であったカトレアの母を側妃に落とすことでしか事を納められなかった結果への意趣返しにも思えた。
しかし、もしかしたら、カトレアは本当に護衛騎士との純愛を貫いたのかも知れず、ヘンリエッタにはそこら辺の事情は皆目理解が及ばなかった。
ただ一つ言えたのは、エドワードがカトレア王女を得られなかったと言うことだろう。
彼女に婚約の打診をして隣国へ遊学した。
横槍を入れるエレノアを排除するのにハロルドが餌となり、その煽りを受けてヘンリエッタは婚約を解かれた。
とんだ迷惑。お騒がせ。
ノーザランド伯爵家、ダウンゼン伯爵家ばかりでなく、宰相や王太子を巻き込んで四方に影響を与えたカトレアとの婚約話は、真逆のカトレア本人が他所に愛を得たことで潰えてしまった。
「エドワード殿下は意気消沈なさっておられるのでしょうね。」
結果から言えば、彼は二年もエレノアの婚約者となり苦労したにも関わらず、結局苦労だけで終わってしまった。ハロルドとヘンリエッタなんて二度も婚約したのに、最後の最後までエレノア絡みで最終的には婚約破棄となったのだ。
「とんだ馬鹿をみたわ。私の青春、返せ。」
「お怒りね、ヘンリエッタ。」
「当然よ。しかもエレノア王女はこの国に残るのよ。不良債権、いいえ不渡手形を握らされて、大馬鹿をみたのは王家よね。」
「でも、お陰で貴女は小説を書いた。そうして私は貴女というパートナーを得られた。私にとってはおこぼれみたいな幸運よ。」
「私こそ世間ではすっかり不良債権なのよ。それを拾ってくれたのは貴女だわ。」
エドワードは自業自得であるから良いとして、ハロルドの事を思うと胸が痛んだ。
自身の名誉も婚約も犠牲にしてまでエドワードの想い人を得るために奔走したのに、結果は最も悪い最期となった。
「心配?」
「え?」
「元婚約者殿。」
「可哀想だと思うわ。あのお方はご自分の名誉も犠牲にしたのにこんな結果になるなんて。きっとこんな事になるだなんて思わなかったのではないかしら。」
「まあ、宰相も付いていたのですもの、立派な国の失策よ。隣国に良いようにされたのか、カトレア王女が強かであったのか、それとも本当に真実の愛であったのかも知れないわ。寧ろ、そうであれば良いわよね。真実の愛の前では国策も成す術は無かった。隣国王の姿そのものね。まあ、実際の所は解らないけれど。」
聖夜の夜会から帰ってきた母に事の顛末を聞いて、マリー→マルクスの変化に動揺していたヘンリエッタは、すっかりその事を忘れた程であった。
蜂蜜たっぷり甘々ミルクティーを美味しそうに飲んでいるマルクスを見つめるうちに、今なら聞けるのだろうかとヘンリエッタは尋ねてみた。
「マリー、貴女はエドワード殿下と近しい関係であったのでしょう?」
マルクスは、エドワードとは古い知り合いだと言っていた。
「そうね。剣の稽古仲間ではあったわ。」
「剣の稽古?」
「ええ。私、幼い頃は王城の騎士団で稽古を受けていたから。エドワード殿下は剣仲間。まあ、幼馴染みたいなものかしら。」
それは初耳である。
「マリーは騎士になりたかったの?」
「子供の頃はね。でも、騎士団を抜けてからも稽古は続けているわよ。」
フランクとあれほど楽しそうに剣技について話していたのだから、そうなのだろう。
「手を見せてもらっても構わないかしら。」
「やあね、貴女の白魚の様な手と比べるなんて酷い事しないわよね。」
「そんな事しないわ。」
なんだかんだ言いながら、マルクスはヘンリエッタの前に手の平を差し出してくれた。
硬そうな剣ダコがある。ヘンリエッタよりもずっとずっと大きな手。
騎士の手の平なんて確かめた事など無かったが、マルクスの手の平は何処からどう見ても立派な男性の手であった。思わず触れたくなってしまって、そろりと手を伸ばした。
それは唐突であった。マルクスの手の平に伸ばしたヘンリエッタの片手を、徐ろにマルクスが掴む。
「マ、マリー?」
「小さな手だな。白くて柔らかで、温かい。」
そう言ってマルクスは、ヘンリエッタの指先に触れるだけのキスをした。
6,194
お気に入りに追加
6,389
あなたにおすすめの小説

『親友』との時間を優先する婚約者に別れを告げたら
黒木メイ
恋愛
筆頭聖女の私にはルカという婚約者がいる。教会に入る際、ルカとは聖女の契りを交わした。会えない間、互いの不貞を疑う必要がないようにと。
最初は順調だった。燃えるような恋ではなかったけれど、少しずつ心の距離を縮めていけたように思う。
けれど、ルカは高等部に上がり、変わってしまった。その背景には二人の男女がいた。マルコとジュリア。ルカにとって初めてできた『親友』だ。身分も性別も超えた仲。『親友』が教えてくれる全てのものがルカには新鮮に映った。広がる世界。まるで生まれ変わった気分だった。けれど、同時に終わりがあることも理解していた。だからこそ、ルカは学生の間だけでも『親友』との時間を優先したいとステファニアに願い出た。馬鹿正直に。
そんなルカの願いに対して私はダメだとは言えなかった。ルカの気持ちもわかるような気がしたし、自分が心の狭い人間だとは思いたくなかったから。一ヶ月に一度あった逢瀬は数ヶ月に一度に減り、半年に一度になり、とうとう一年に一度まで減った。ようやく会えたとしてもルカの話題は『親友』のことばかり。さすがに堪えた。ルカにとって自分がどういう存在なのか痛いくらいにわかったから。
極めつけはルカと親友カップルの歪な三角関係についての噂。信じたくはないが、間違っているとも思えなかった。もう、半ば受け入れていた。ルカの心はもう自分にはないと。
それでも婚約解消に至らなかったのは、聖女の契りが継続していたから。
辛うじて繋がっていた絆。その絆は聖女の任期終了まで後数ヶ月というところで切れた。婚約はルカの有責で破棄。もう関わることはないだろう。そう思っていたのに、何故かルカは今更になって執着してくる。いったいどういうつもりなの?
戸惑いつつも情を捨てきれないステファニア。プライドは捨てて追い縋ろうとするルカ。さて、二人の未来はどうなる?
※曖昧設定。
※別サイトにも掲載。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。

お飾り公爵夫人の憂鬱
初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。
私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。
やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。
そう自由……自由になるはずだったのに……
※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です
※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません
※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります


三度目の嘘つき
豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」
「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」
なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。

【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。
しかし、仲が良かったのも今は昔。
レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。
いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。
それでも、フィーは信じていた。
レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。
しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。
そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。
国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる