ヘンリエッタの再婚約

桃井すもも

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琥珀色のシャンパンからシュワシュワと泡が弾ける。スパークリングワインはキリリと冷えている。サーモンやチーズが乗ったカナッペに色とりどりのプチケーキ。

ブリジット夫妻と共に飲み物と軽食を楽しみながらお喋りする。マルクスが剣を扱うのは掌の剣だこから解っていたが、ヘンリエッタが思う以上に剣術を極めているらしく、彼は今もフランクと剣談義に花を咲かせている。
マルクスが瞳をキラキラさせてフランクの話しに聴き入る様は、男の娘マリーの姿でなくて、やんちゃな少年の様にも見えた。
マルクスの口調が女の子のものであるのも、フランクは気にする風もなく剣の技巧について語って聞かせている。

フランクは、元々は王城に勤める近衛騎士であった。何があったのかは解らないがヘンリエッタが少女の頃には既に護衛としてノーザランド伯爵邸にいて、ブリジットと婚姻していた。

年の離れた兄弟の様な姿を眩しいものを見る様に眺めれば、それに気付いたハロルドは、途端に男の娘に戻って、ヘンリエッタが退屈していないか気遣った。

「気にしないで、マリー。貴女があんまり楽しそうにお話ししているから、私も何だか楽しくなって、それでつい見つめてしまったの。」

「楽しい?」
「ええ。貴女が楽しむ姿は私も楽しいわ。」
「そう?」

それからマルクスは、そうだと何かを思い出す様に言って、

「折角だから踊りましょう。フォックストロットならこの場でお喋りしながら踊れるわよ。」

そう言って部屋の隅に置かれた蓄音機の方へ歩く。
蓄音機は最近貴族家でも流行っており、取っ手を回してゼンマイを巻き、回転するレコードに針を落として曲を聴く。ヘンリエッタの邸には蓄音機は無かったが、手広く商会を経営するマクルズ邸には艷やかな飴色に光る蓄音機があった。

ヘンリエッタは物珍しくて、マルクスの後を追い蓄音機に見入る。真っ黒な円盤型のレコードを乗せればマルクスが「巻いてみる?」と言ってくれて、ヘンリエッタは取っ手を回してみた。思ったより重みを感じる事なくハンドルは滑らかに回った。
それからマルクスがパイプの様な管を手前に引けばレコードが回りだした。

「回ったわ!」
ヘンリエッタもブリジットもその様子に幼子の様な反応をする。
そんなヘンリエッタに笑みを見せて、マルクスはレコードに静かに針を下ろした。

「始まるわよ。」

ジジジと音がして、それからダンスのメロディが聴こえてきた。

「まあ!音楽が!」
「驚いている暇なんてないわよ、さあ踊りましょう。」

目を丸くするヘンリエッタの手を取って、マルクスは部屋の中程でヘンリエッタの背に手を添えて抱き寄せた。

社交のマナーも気にせずに、思い思いにダンスを楽しむ。フォックストロットは、不器用なヘンリエッタでも簡単なステップを繰り返すだけで意識せずとも踊れてしまう。
マルクスと顔を見合わせ踊るうちに、いつしか言葉は無くなって、気がつけば青い瞳に魅入られる様にマルクスを見つめていた。
直ぐ側で踊るブリジット達が視界の先に見えて、彼女達が夫婦の時間を楽しんでいるのが分かった。

こんな素敵なダンスタイムがあるなんて。
きっとそれはマルクスがヘンリエッタを心地良くリードしてくれているからだろう。

そう思えば、マルクスと踊るダンスはいつだって楽しかった。踏み外してしまったステップさえマルクスはいとも容易くカバーして、流れる様にヘンリエッタをいざなってくれた。

「マリー、楽しいわ。貴女といるととても楽しい。」

そう言えば、マルクスは「そう?」と答えた。
それから、
「それは私が女の子だから?」
と言う。

「そんな事は関係ないわ。マリーはマリーよ。女の子とか男の子とか、考えた事もないわ。どんなマリーも大好きよ。」

マルクスが不安げに見えてしまって思わず言えば、

「わかった。」
マルクスは短く言った。

気の所為だろうか、声色が低く聴こえた、と考えたのはそこまでだった。

「どんな私でも好きなんだろう?その言葉、忘れないで。」

マリーは100%マルクスに変貌して、ヘンリエッタの耳元で囁いた。息が耳にかかって頬が熱くなる。

「え?」
今のは誰?いいや、マリーだ、マルクスだ。あれ?マリーでマルクス、どちらもマリー?
ヘンリエッタが混乱するうちに、曲は終わりを迎えてしまった。それからもう一曲踊ったが、二曲目は無言のままであったから、目の前の親友がマリーなのかマルクスなのかヘンリエッタは解らなくなった。
ただ、最後には、どちらでも構わない。マルクス・パーカー・マクルズとは、ヘンリエッタの大切な人であって、それで良いのだと合点がいった。

ところがそれでは済まなかった。

「マリー、有難う。とても素敵な夜だったわ。」

そろそろ御暇おいとましようと声を掛けたヘンリエッタに、マルクスは、

「では邸まで送るよ。」
と答えた。

「マ、マリー?」
「ん?」
「...いいえ、なんでもないわ。」

ブリジット夫妻も気付いただろう。
マリーの声音が違っている。なんなら雰囲気も纏う空気も違って見える。
つい先程、考えた事を思い出す。
マリーでもマルクスでもどちらも大好きだと言ったのは自分である。

ヘンリエッタはマルクスを見上げた。
そうして、
「マルクス。」そう呼んだ。

「なに?ヘンリエッタ。」
そう答えたのは、貴族青年マルクスであった。





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