ヘンリエッタの再婚約

桃井すもも

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マルクスは、ヘンリエッタを邸に送り届けてからも、今夜の出来事を報告する為に両親が戻るのを待って邸に残った。

エレノアとの一件に加えてハロルドとの事で、自身がエスコートしていながら、相手が婚約者とは言え、ヘンリエッタが恐怖心を抱いた現場からもっと早く救えなかった事を詫びるのだと言う。

王家から何某かの説明がされていたのか、程無くして帰宅した両親は、ヘンリエッタの顔を見て安堵した様子を見せた。

そうして母が、エレノアの扇での殴打からヘンリエッタを護ってくれた事の礼を言えば、父は、

「とても許せるものではない。護衛は一体何をしていた。」

と、父にしては珍しく憤怒した。そうして怒りはエレノアにも護衛にもハロルドにも、続いて第二王子であるエドワードにも次々と類焼し、その様子に、二年前から父の胸の奥にも燻る炎があったのだと思われた。

それから父は、今だマルクスから借りたジャケットを肩に羽織るヘンリエッタに向けて、

「もう十分だろう。」と言った。

そう言えば、父はハロルドとの二度目の婚約を結ぶ際にも、何か思う様な難しい表情をしていたのを思い出す。
父はきっと父なりに、ヘンリエッタの幸せを願っていたのだろう。今夜、エドワードの話しを聞いて、両親が二年前の出来事を受け入れたのも、ヘンリエッタが将来再びハロルドとのえにしを結べることを願っていたからなのだと理解が出来た。

父は、日和見で流されやすく、長年母へ不実を通して別邸に愛人を囲っておきながら、いざ母の愛が離れてしまうと慌てて縋る、ヘンリエッタから見れば情けないばかりの男であるが、貴族社会における父の評価とは「怒らせてはいけない人」であるらしい。

軍馬育成のスペシャリストという表の顔以外に、もしかしたらヘンリエッタの知らない父の姿があるのかも知れない。

その父は、ヘンリエッタにハロルドとの婚約を「十分だろう」と諭している。

確かに今夜のハロルドは、無体に及びかねない行動を取ったが、それだって、場合によっては婚約中の事なのだと見逃されてしまう事だろう。今夜の事だけを理由にするのは無理があるのに、父は結んで日の浅いヘンリエッタの婚約を敢えて解こうとしている。

再婚約してから僅か2ヶ月足らず。その間の没交渉にも王家とエレノアが関わっていた事を思えば、今迄の父ならば仮にヘンリエッタが婚約の解消を願っても、なあなあのまま流してしまいそうなものに思えた。

同じ相手に二度とも婚約の解消とは、確実にヘンリエッタの貴族令嬢としての未来を奪う。そんな相手を見抜けずに、愚かにも再婚約を認めたノーザランド伯爵家だって、世間からは笑い者となるだろう。

言わずとも解る未来が見えてもいるのに、父はこの縁談の破談を決めようとヘンリエッタに確かめている。

「はい。」

ヘンリエッタは父の問い掛けに短く諾と答えた。それは父の思う様な理由ではなくて、ハロルドの未来とハロルドと添って生きる二人の未来を比べた時に、ヘンリエッタには自分がハロルドの枷になる未来が見えてしまった事が理由であった。

そうしてもうひとつ。ヘンリエッタにも進みたい新たな道が現れて、それはどうやってもハロルドとは交わらない道であった。そのことが哀しいくらい解ってしまって、ヘンリエッタはハロルドへの恋の火種を消した。決して消えないと思っていた火種は、ハロルドとの未来が互いの輝きを抑えるものだと腑に落ちた途端、静かに炎を消したのであった。


「マルクス殿、君には謝罪し切れない迷惑をお掛けした。それから、これまで娘が世話になった。謝罪と礼のどちらを優先すべきか迷うほどだ。君には感謝している。娘を救ってくれて有難う。マクルズ子爵には謝罪の場を設けさせてもらいたい。後程、文を出そう。」

それから、と言って父は少し考えてから言葉を続けた。

「娘の書籍出版と、共同経営の話しだが、君にそれで不都合はないのか。どう考えても娘有利の契約だろう。君が娘の身上に情けを掛けてそんな提案をしたのなら、手を引いてもらって構わない。疵を持つ娘を若い君に背負わせるのは、我が家としても流石に難しいと考えてだな、」

「ノーザランド伯爵、礼にも謝罪にも及びません。ご令嬢のエスコートを許されて傷を負わせるなど有ってはならぬ事です。これしき私にしてみればかすり傷、しかしヘンリエッタ嬢が受けてしまっては一生の傷となったやもしれません。この傷ひとつで済んだのは僥倖であったと私は安堵しております。それはその後の事も含めて。
ご婚約者殿から引き離し連れ帰ってきたことで、却ってご婚約者殿との関係に影響するであろうことは理解しております。しかし、私に後悔はございません。あの場からヘンリエッタ嬢をお連れしたことでダウンゼン伯爵家から抗議があった場合は、その賠償は我がマクルズ子爵家にて負う事をお約束致します。
それから、ヘンリエッタ嬢との共同経営についてですが、私はヘンリエッタ嬢を得難いパートナーだと感謝しております。そうして恵まれた才をお持ちのヘンリエッタ嬢が作家としての未来を歩むのを、誰よりも側で見守りたいと願っております。伯爵におかれましては、青二才に大切なご令嬢をお預けになるのは心許無い事でございましょう。しかしながら、ご令嬢は私が全霊をもってお守りすると誓います。どうかそれをお認め頂きたく存じます。」

ど、ど、ど、ど、どうしちゃったのマリー。
きりりとと長い口上を言い終えたマルクスを、ヘンリエッタは驚愕の眼差しで見つめた。

マリー、貴女、何言っちゃったの?格好良過ぎるわ!
はくはくと物言えぬヘンリエッタに視線を合わせて、マルクスは乙女を惑わす甘い笑みで笑って見せた。




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