ヘンリエッタの再婚約

桃井すもも

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「ああ、こほん。」

エドワードが変な咳払いをして、ヘンリエッタは散漫になりかけた集中力を取り戻した。

「それでだね。結論を言わせてもらえば、エレノアは近々帰国することになるだろう。近頃のエレノアは特に気が立っていてね、素行が荒れていたんだ。先般婚姻式の日取りが決められたと言うのに、それが自分の為の挙式では無いことを薄々嗅ぎ付けていたらしい。
その上、今、王都で大流行りの恋愛小説がどうにもお気に召さなかった様でね。まるで物語の悪役が自分であるかのような表現に御立腹であったらしい。それで周りに当たり散らしては些細なトラブルを繰り返し引き起こしていた。
そうして到頭とうとう、我が国の貴族へ言い掛かりの末に負傷させた。既に王城でも幾つも騒ぎを起こしていたから、これを理由に一気に事を進めるだろう。」

「事を進める?」

「うん。兄が、王太子がエレノアの帰国を要請すると思われる。そうして私との婚約はカトレアで差し替えを図るだろう。最初からそういう手筈であったから。」

「お目出度うございます。」
「君に祝われると胸が痛む。」
「...。誰か医師様を、」
「ああ済まない、ヘンリエッタ嬢、それには及ばないよ。」

結局、最後は王太子が弟殿下の為にひと肌脱ぐらしい。
もう既に一度馬鹿呼ばわりしていたから、ヘンリエッタは取り繕うのを辞めてしまった。

「馬鹿馬鹿しい。」
「済まない。」

何故か、ヘンリエッタの後ろに控えた護衛が謝る。一同がそれにぎょっとして視線を移した。さては騎士様、貴方もこいつらのご友人だったので?

ヘンリエッタは首を捻って背後に顔を向けた。護衛騎士は居辛そうななんとも言えない情けない顔をした。

別に貴方様を叱った訳では無いのよ?
可哀想な騎士様は、馬鹿なボケナス王子の責を代わってヘンリエッタに詫びている。

「そこでだ、ヘンリエッタ嬢。」

ボケナスエドワードに名を呼ばれて、ブンッと音がしたのではないかという勢いで、ヘンリエッタはエドワードへと振り返った。エドワードが一瞬、たじっとなる。

「んっ、んっ。その、今更ではあるが、ハロルドの言葉を聞いてはくれまいか。今迄、私に忠誠を誓い王家に仕えるが為に全てを飲み込み君にも誤解を受けて来た。一番の被害者は君であるが、彼もそれに等しい傷を受けている。」



律儀なエドワードは、それから熱い湯を用意させて、そうして手ずからお茶を二杯淹れてから退室した。
エドワードにアレックス、その上護衛の騎士まで口々に「頑張れよ」とハロルドに声を掛け、あるいは背を叩いた。仲良しか。

ハロルドと会うのは、あの宝飾店でサファイアの耳飾りを贈られた日以来である。
その後の夜会で同じ場にはいたが、視線も言葉も交わさぬままであった。

また痩せている。頬が削げて影を帯びた表情は、傍から見れば大人の魅力にも映るだろう。痩せても相変わらずの美丈夫だ。

「ヘンリエッタ。」
「貴方様、馬鹿だわ。」

口火切ったハロルドを、ヘンリエッタは返り討ちにした。

「馬鹿も馬鹿馬鹿、大馬鹿よ。エレノア王女とボケナス王子の婚礼の日取りが決まったからって、それがカトレア王女と差し替えられる事が前提だからと、それで漸く自由の身だと我が家に来たって、そう言うこと?」

「面目ない。」
「道理で父も母も貴方を歓待していた訳よね。可怪しいと思ったの。二年前の婚約解消が解消で済まされていたのを。本来の父なら貴方有責での破棄一択、それ相応の賠償金を請求した筈だわ。相手が貴方の家でなければ。」

ハロルドが返答をする前に、ヘンリエッタは尚も詰問を重ねる。

「それで、宝飾店であんなに派手にプロポーズしておいて、それから音信不通を貫いたのもボケナスエドワードの為?」

ヘンリエッタは、馬鹿だのボケナスだのと口汚く貴人を罵っておいて、そのボケナスが手ずから淹れてくれたお茶で口を潤した。エドワードはお茶を淹れるのが上手いらしい。本当にお茶は美味であった。

「エレノア王女は、何処かで殿下との婚姻がカトレア王女と差し替えられる事を嗅ぎ取っていた。それもあってか余計に私に纏わり付いて離れない様になった。だから私は慎重にも慎重を重ねて動いた。ヘンリエッタ、君には誰にも手出しをさせたくなかった。君のことは度々私に知らされていたから息災であるのは解っていたが、君が、その、学園でも孤独を強いられていたのも解っていたんだ。」

ハロルドは、最後の方を語るのに苦しそうに目を伏せた。

「エドワード殿下は、これで本懐を遂げられるのですね。」
「ああ。」
「それで憂いが無くなったのね。」
「ああ。」
「だから、今度は貴方の幸せを願っているのね。」
「...。そうなのだろう。」
「勝手だわ。」
「ヘンリエッタ、」
「殿下も王家も貴方も父も、みんなみんな勝手だわ。」
「...済まなかった。」
「これが最初から王命であったなら、」 
「ヘンリエッタ?」

「エレノア王女との婚約する為にと王命で私達の婚約が解消されていたなら、私はきっと泣いて泣いて泣き止んだ後は、貴方を恨まずに済んだでしょう。だって、貴方にはこれっぽっちも非は無かったのだもの。」

「ヘンリエッタ。」

「この二年、少しも貴方を恨まなかった訳じゃ無いの。ただどうやっても嫌いにはなれそうになかったわ。初めから王命であったなら、貴方から真実を知らされていたのなら、貴方を小麦の粉ほども恨むことなく貴方が迎えに来てくれる日を待っていられた。代わりに思いっ切りエドワード殿下をお恨みしたわ。」

「ヘンリエッタ、私は君に明かせない事があった。けれど、明かせずとも偽りは言わなかった。私が君に告げた言葉は、全て私の本心だったと信じてほしい。」

澄んだ青い瞳も漆黒の艶やかな髪の毛も、節のある長い指も柔らかな唇も、全て全て好きだった。その唇が偽りを吐かない事を信じたから再度の婚約を受け入れた。

「貴方を嘘つきだなんて思ってなどいないわ。だって、嘘を付く前に私の目の前から消えてしまったのだもの。」

初めの婚約解消の時も、二度目の婚約を結んだ後も、聞きたい真実は聞かせてもらえなかったが、偽りの言葉も聞かされなかった。

いつだってヘンリエッタは、たった独りで取り残された。



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