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この部屋は客室なのだろうか。それにしては窓も小さく家具も少ない。
落ち着いた、どちらかと言えば質素であろう部屋の中を、ヘンリエッタは左右に視線を動かして確かめた。
こんな処に呼ばれてしまった。邸には直ぐに戻ることは許されないのだろう。
マルクスとも離ればなれになってしまった。彼は今、どうしているのだろう。
「ヘンリエッタ嬢、気分は大丈夫だろうか。」
最悪だと伝えたなら、お家に返してくれるのだろうか。
「先ずは此度の事を謝罪させてほしい。いや、此度ばかりではない。それで、予てより君に少し話しがしたいと思っていたのだ。君を王城に呼び出す訳には行かないし、さりとてノーザランド邸を訪うのも大仰になる。この機会を逃したくはなかった。」
烟る金の髪に澄んだエメラルドの瞳。王国の第二王子殿下のエドワードが、澄んだエメラルドの瞳でこちらを見ている。
落ち着いた声音でヘンリエッタの体調を気遣うエドワードの、その緑色の瞳に視線を合わせた。
ヘンリエッタ自身はエドワードを虫と同等に思っているが、実のところ、彼から直接酷い事をされた訳では無い。彼は王族として、いつも凛々しい姿でそこにいるだけなのだ。
エレノアが自室へ退くと、その場にはヘンリエッタとマルクス、エドワードと護衛騎士、それにハロルドが残った。
気まずさしかない面子である。ヘンリエッタは何を言って良いのか、誰を見て良いのか咄嗟に判断出来ず、思わず横に並び立つマルクスを見上げた。
そこでエドワードは、ヘンリエッタに謝罪と称して別室での対談を求めて来た。ヘンリエッタを思うのなら、謝罪なんて要らないからこのまま邸に戻してもらいたい。
しかし、流石にそれは無理だろう。隣国とは云え、王族が貴族令嬢に手を上げた。その理由が「気に入らないから」では済まされない。貴族令嬢とは娘である前に貴族家の資産である。家の繁栄の為に嫁ぐという重要な役目を担っている。
その令嬢の顔面を打ち据えるという事は、喩え正統な理由があったとしても、そうそう容易く許される事ではない。
これは、間違いなく王家とノーザランド伯爵家との間で問題になるだろう。下手をすればウィリアムの代まで禍根を残す事になるだろう。
父には既にこの騒動が伝えられている筈で、もしかしたら今頃は父も王家より説明を受ける為に、この王城の何処に通されているのかも知れない。
それを解ってエドワードが事態の収束を図るのは当然の事である。エレノアは彼の婚約者であるから、彼女の行動の責任はエドワードに課せられる。
そうして、エレノアの行動の原因にエドワードの側近であるハロルドがいるのなら、そのハロルドがヘンリエッタの婚約者であるのなら、もう何処から説明して良いのか迷うほど神経を使う案件となってしまうだろう。
この部屋にはヘンリエッタしか入室を許されなかった。
エドワードは、ヘンリエッタを庇ったマルクスの労をねぎらってから、彼を医局へ行かせてしまった。
「私の事ならご心配には及びません。これしきのかすり傷で王宮の医師の御手を煩わせてしまっては、マクルズ子爵家の名折れとなってしまいます。」
「そうは行かない、マルクス。君のお陰でヘンリエッタ嬢は無傷であったし、エレノアの愚行も最悪の事態を免れた。まあ、君を打ってしまったことで既に最悪の愚行と言えるがね。このまま君を返す訳には行かないよ。扇が鉄扇であるなら、錆止めで傷を悪化させてしまう。
ヘンリエッタ嬢の事なら心配には及ばない。私が責任をもって邸にお返しするよ。何よりここには彼女の婚約者がいるからね。」
マルクスが、エドワードの言葉に奥歯を噛んだのが解った。彼の滑らかな頬にギリギリと歯を噛み締める筋が浮かぶのをヘンリエッタは心配に思った。
「マリー、私なら大丈夫、心配要らないわ。それより貴女こそ傷の手当をしてもらって。顔は女の命なのよ。」
マルクスに耳打ちしたいが背が足りず、仕方が無いので彼の肩の辺りから声を潜めて話し掛けた。
そうして二人は別れ別れに離されて、ヘンリエッタはこの部屋に通されたのだった。
ローテーブルを挟んで対面する様にエドワードがソファに座り、向い合うようにヘンリエッタも腰を下ろしている。
エドワードの背後にはハロルドが侍っているから、エドワードを見る度にその後ろのハロルドが視界に入る。程なくしてエレノアを部屋まで送ったらしいアレックスが戻って来て、彼までエドワードの後ろに控えてしまったから、ヘンリエッタ一人に対して三人の男達が対面する構図となった。
き、気まずい。
ヘンリエッタはお茶をひとくち口に含む。このお茶だって、先ほどエドワードが手ずから淹れたお茶である。一滴でも残したら不敬になるのだろうか。それで処罰だなんて受けないわよね。
悲しいのは、こんな場面で飲んでいるのに、お茶は最高に美味であった。
「アレックス、アレは?」
アレって誰?真逆、王女?
「部屋まで確かにお送りしました。入り口に近衛を四人配置しております故、暴れても対処出来ましょう。」
暴れるのか?
エドワードとアレックスを交互に見ながら、ヘンリエッタはなんだか空気が可怪しいことに気が付いた。
気の所為だろうか。
エレノア王女を何処かぞんざいに扱う空気が漂っている。彼女の姿を思い返せば、顔を真っ赤に染めてこちらを睨み付ける先ほどまでの表情が思い浮かんでしまうのを打ち消す。
本来のエレノア王女とは、淡い金の髪色の通りに、可憐な見目の王女である。大きな垂れ気味の瞳が愛らしく、華奢で小柄な肢体とともに今にもあれえ~と横に倒れてしまいそうな、儚げな乙女である。見目だけは。
中身はとんでもない意地悪王女でしたけどね。
マルクスを殴打した扇の音を思い出し、ぐぬぬと力が入ってしまったヘンリエッタは、勢い余って紅茶を一気に飲み干してしまった。
落ち着いた、どちらかと言えば質素であろう部屋の中を、ヘンリエッタは左右に視線を動かして確かめた。
こんな処に呼ばれてしまった。邸には直ぐに戻ることは許されないのだろう。
マルクスとも離ればなれになってしまった。彼は今、どうしているのだろう。
「ヘンリエッタ嬢、気分は大丈夫だろうか。」
最悪だと伝えたなら、お家に返してくれるのだろうか。
「先ずは此度の事を謝罪させてほしい。いや、此度ばかりではない。それで、予てより君に少し話しがしたいと思っていたのだ。君を王城に呼び出す訳には行かないし、さりとてノーザランド邸を訪うのも大仰になる。この機会を逃したくはなかった。」
烟る金の髪に澄んだエメラルドの瞳。王国の第二王子殿下のエドワードが、澄んだエメラルドの瞳でこちらを見ている。
落ち着いた声音でヘンリエッタの体調を気遣うエドワードの、その緑色の瞳に視線を合わせた。
ヘンリエッタ自身はエドワードを虫と同等に思っているが、実のところ、彼から直接酷い事をされた訳では無い。彼は王族として、いつも凛々しい姿でそこにいるだけなのだ。
エレノアが自室へ退くと、その場にはヘンリエッタとマルクス、エドワードと護衛騎士、それにハロルドが残った。
気まずさしかない面子である。ヘンリエッタは何を言って良いのか、誰を見て良いのか咄嗟に判断出来ず、思わず横に並び立つマルクスを見上げた。
そこでエドワードは、ヘンリエッタに謝罪と称して別室での対談を求めて来た。ヘンリエッタを思うのなら、謝罪なんて要らないからこのまま邸に戻してもらいたい。
しかし、流石にそれは無理だろう。隣国とは云え、王族が貴族令嬢に手を上げた。その理由が「気に入らないから」では済まされない。貴族令嬢とは娘である前に貴族家の資産である。家の繁栄の為に嫁ぐという重要な役目を担っている。
その令嬢の顔面を打ち据えるという事は、喩え正統な理由があったとしても、そうそう容易く許される事ではない。
これは、間違いなく王家とノーザランド伯爵家との間で問題になるだろう。下手をすればウィリアムの代まで禍根を残す事になるだろう。
父には既にこの騒動が伝えられている筈で、もしかしたら今頃は父も王家より説明を受ける為に、この王城の何処に通されているのかも知れない。
それを解ってエドワードが事態の収束を図るのは当然の事である。エレノアは彼の婚約者であるから、彼女の行動の責任はエドワードに課せられる。
そうして、エレノアの行動の原因にエドワードの側近であるハロルドがいるのなら、そのハロルドがヘンリエッタの婚約者であるのなら、もう何処から説明して良いのか迷うほど神経を使う案件となってしまうだろう。
この部屋にはヘンリエッタしか入室を許されなかった。
エドワードは、ヘンリエッタを庇ったマルクスの労をねぎらってから、彼を医局へ行かせてしまった。
「私の事ならご心配には及びません。これしきのかすり傷で王宮の医師の御手を煩わせてしまっては、マクルズ子爵家の名折れとなってしまいます。」
「そうは行かない、マルクス。君のお陰でヘンリエッタ嬢は無傷であったし、エレノアの愚行も最悪の事態を免れた。まあ、君を打ってしまったことで既に最悪の愚行と言えるがね。このまま君を返す訳には行かないよ。扇が鉄扇であるなら、錆止めで傷を悪化させてしまう。
ヘンリエッタ嬢の事なら心配には及ばない。私が責任をもって邸にお返しするよ。何よりここには彼女の婚約者がいるからね。」
マルクスが、エドワードの言葉に奥歯を噛んだのが解った。彼の滑らかな頬にギリギリと歯を噛み締める筋が浮かぶのをヘンリエッタは心配に思った。
「マリー、私なら大丈夫、心配要らないわ。それより貴女こそ傷の手当をしてもらって。顔は女の命なのよ。」
マルクスに耳打ちしたいが背が足りず、仕方が無いので彼の肩の辺りから声を潜めて話し掛けた。
そうして二人は別れ別れに離されて、ヘンリエッタはこの部屋に通されたのだった。
ローテーブルを挟んで対面する様にエドワードがソファに座り、向い合うようにヘンリエッタも腰を下ろしている。
エドワードの背後にはハロルドが侍っているから、エドワードを見る度にその後ろのハロルドが視界に入る。程なくしてエレノアを部屋まで送ったらしいアレックスが戻って来て、彼までエドワードの後ろに控えてしまったから、ヘンリエッタ一人に対して三人の男達が対面する構図となった。
き、気まずい。
ヘンリエッタはお茶をひとくち口に含む。このお茶だって、先ほどエドワードが手ずから淹れたお茶である。一滴でも残したら不敬になるのだろうか。それで処罰だなんて受けないわよね。
悲しいのは、こんな場面で飲んでいるのに、お茶は最高に美味であった。
「アレックス、アレは?」
アレって誰?真逆、王女?
「部屋まで確かにお送りしました。入り口に近衛を四人配置しております故、暴れても対処出来ましょう。」
暴れるのか?
エドワードとアレックスを交互に見ながら、ヘンリエッタはなんだか空気が可怪しいことに気が付いた。
気の所為だろうか。
エレノア王女を何処かぞんざいに扱う空気が漂っている。彼女の姿を思い返せば、顔を真っ赤に染めてこちらを睨み付ける先ほどまでの表情が思い浮かんでしまうのを打ち消す。
本来のエレノア王女とは、淡い金の髪色の通りに、可憐な見目の王女である。大きな垂れ気味の瞳が愛らしく、華奢で小柄な肢体とともに今にもあれえ~と横に倒れてしまいそうな、儚げな乙女である。見目だけは。
中身はとんでもない意地悪王女でしたけどね。
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