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放課後の廊下でロバートに呼び止められた。人通りは少ないけれど、廊下で王子に呼び止められれば、当然ながら目立ってしまう。
ゴニョゴニョ言ってるロバートとは、ここでさよならしても良いだろうか。
ヘンリエッタは、珍しくはっきりしない口ぶりのロバートに、
「では殿下。また明日。」
と、お別れの挨拶をした。
「はっ、ヘンリエッタ嬢、」
まだ何かお話しが?
なんでしょう?と首をコテンとすれば、ロバートは「うっ」と小さく呻いた。
呻きながらも自分を取り戻したらしいロバートは、ヘンリエッタが思ってもいない事を口にした。
「ハロルドを、ハロルドを信じてやってほしい。」
遠巻きに二人の姿を見ていた生徒達も今は通り過ぎて行って、ここにはロバートとその護衛の近衛騎士、それに向かい合うヘンリエッタしかいない。
それを解ってロバートは、ハロルドの名を口にしたと思われた。
なかなか返事を返さないヘンリエッタに、ロバートは何かを言おうと口を開けかけた。
「殿下。」
「なんだろう。」
小柄なヘンリエッタに真っ直ぐ見上げられて、一歩も前に出ていないヘンリエッタから静かな圧を感じたのは気の所為ではないだろう。ロバートの背後で護衛が気を張っている。
ヘンリエッタはそこで、くるりと首を回して周囲を見回した。右にくるり、左にくるり。よし、誰もいない。
向き直ったヘンリエッタは、再び真っ直ぐロバートを見上げた。
「殿下。私はハロルド様を疑ってなどおりません。」
「それは真だろうか。」
「ええ。何か理由があって、王女のお側にいるのだと。」
「解ってくれるか?」
「いいえ、全く。」
「それは..どういう意味だろう。」
「言葉の通りです。疑うも何も、何を考えているのやら全くさっぱり理解が出来ないと思っております。」
「...。」
「ハロルド様は、仰いましたの。隣国から帰国して王女をエスコートなさった事を。魂は私の下に置いていた、抜け殻の身で誰と居たとしてもそれは本当の彼ではないと。そう仰ってあのお方は私に再度の婚約を申し込まれました。」
「...。」
「文が届いて先の夜会のエスコートを申し込まれて、それで私はそれをお受け致しました。心は決まっておりましたから。
駄目なら捨ててしまおう。再びハロルド様が、私があの方を想う恋心に傷を追わせる様な事をなさるなら、その時は思いっ切り遠くへ放って投げ捨ててやろう。そうしてあの方を遠くへほっぽり出し、失礼、投擲した後は、胸を張って心の赴くままに新しい世界に踏み出そう、そう心が定まりました。」
「...。」
「大体にしてあの方と来たら、あの御年でお買い求めになるには高額過ぎる宝飾品を私に贈っておいて、自分の色を身に着けてくれと手ずからこの耳に飾っておいて、」
ヘンリエッタはそう言って、自分の耳朶を指差した。
「もう一度婚約を申し込みたい、もう一度受け入れてはくれないかと仰いました。それで、翌日には婚約の誓約書にサインをさせておいて、どうしたのでしょう。その日から音信不通となりましたの。まるで雲隠れなさった様に。そうして聞こえてくるのはエレノア様のお側を離れないと云う目撃談ばかり。
え~と、それからは文も花も届けられず、夜会のエスコートも有耶無耶になりましたし、ご生家まではっきりしないですし~、」
「...。」
「それって、投擲案件ですわよね。もう、ほっぽり出して「待ってくれ、待ってくれ、ヘンリエッタ嬢っ、」
こんな慌てるロバートは珍しい。それより、いつも一歩控える護衛騎士まで、こちらへ身を乗り出している。
「行き違いがある。」
「まあ。」
「機会をくれないか。」
「機会?」
「話し合いの、」
「殿下。それには及びませんわ。」
「このままにしておくと、君はそう言うのか?」
「いいえ、そうではないのです。」
「では、」
「殿下。何故それほどまでにあの方の為に御心を砕かれるのでしょう?」
「それは..」
「私が知るハロルド様とは、幕引きくらいはご自分の手で出来るお方です。殿下にお膳立てされる情けない方ではございません。」
「幕引きだなんて、それではまるで、」
「申し上げましたでしょう?投擲すると。」
「それで、ハロルドはどうなる。」
「それは..存じ上げません。あの方の人生です。」
真っ白に色を無くした顔を向けて、ロバートはすっかり固まってしまった。まるで神話のメデューサに魅入られてしまった様な姿だ。
やだわ。これではまるで私がメデューサみたいじゃない。これってマリーに話したら絶対笑うに決まってるわ。
そう思いながら護衛を見やれば、彼もまたヘンリエッタを見つめたまま固まっている。
ちょっとお二人様、大丈夫?もうこのまま帰っても良いかしら。真逆、こんな事で捕縛なんてされないわよね。罪状?メ、メデューサみたいに殿下を固めてしまったから?
大丈夫かしら?と、一歩前に踏み出したヘンリエッタに、弾けるように二人は動きを取り戻した。
「殿下?」
大丈夫ですか?と云う意味で、コテンと首を傾ける。
「うっ、」
ロバートが謎の呻きを漏らして、胸に手を押し当てている。
まあ、動いたから大丈夫だろう。捕縛される前に逃げるべし。
「それでは殿下、ご機嫌よう。」
また明日とばかりに別れの挨拶をして、ヘンリエッタはくるりを身を翻した。迎えの馬車はもう来ているだろう。すっかり待たせてしまった。
すたすた歩くヘンリエッタの、どんどん小さくなって行く後ろ姿を、ロバートと護衛騎士はただ見詰めるしか術が無かった。
ゴニョゴニョ言ってるロバートとは、ここでさよならしても良いだろうか。
ヘンリエッタは、珍しくはっきりしない口ぶりのロバートに、
「では殿下。また明日。」
と、お別れの挨拶をした。
「はっ、ヘンリエッタ嬢、」
まだ何かお話しが?
なんでしょう?と首をコテンとすれば、ロバートは「うっ」と小さく呻いた。
呻きながらも自分を取り戻したらしいロバートは、ヘンリエッタが思ってもいない事を口にした。
「ハロルドを、ハロルドを信じてやってほしい。」
遠巻きに二人の姿を見ていた生徒達も今は通り過ぎて行って、ここにはロバートとその護衛の近衛騎士、それに向かい合うヘンリエッタしかいない。
それを解ってロバートは、ハロルドの名を口にしたと思われた。
なかなか返事を返さないヘンリエッタに、ロバートは何かを言おうと口を開けかけた。
「殿下。」
「なんだろう。」
小柄なヘンリエッタに真っ直ぐ見上げられて、一歩も前に出ていないヘンリエッタから静かな圧を感じたのは気の所為ではないだろう。ロバートの背後で護衛が気を張っている。
ヘンリエッタはそこで、くるりと首を回して周囲を見回した。右にくるり、左にくるり。よし、誰もいない。
向き直ったヘンリエッタは、再び真っ直ぐロバートを見上げた。
「殿下。私はハロルド様を疑ってなどおりません。」
「それは真だろうか。」
「ええ。何か理由があって、王女のお側にいるのだと。」
「解ってくれるか?」
「いいえ、全く。」
「それは..どういう意味だろう。」
「言葉の通りです。疑うも何も、何を考えているのやら全くさっぱり理解が出来ないと思っております。」
「...。」
「ハロルド様は、仰いましたの。隣国から帰国して王女をエスコートなさった事を。魂は私の下に置いていた、抜け殻の身で誰と居たとしてもそれは本当の彼ではないと。そう仰ってあのお方は私に再度の婚約を申し込まれました。」
「...。」
「文が届いて先の夜会のエスコートを申し込まれて、それで私はそれをお受け致しました。心は決まっておりましたから。
駄目なら捨ててしまおう。再びハロルド様が、私があの方を想う恋心に傷を追わせる様な事をなさるなら、その時は思いっ切り遠くへ放って投げ捨ててやろう。そうしてあの方を遠くへほっぽり出し、失礼、投擲した後は、胸を張って心の赴くままに新しい世界に踏み出そう、そう心が定まりました。」
「...。」
「大体にしてあの方と来たら、あの御年でお買い求めになるには高額過ぎる宝飾品を私に贈っておいて、自分の色を身に着けてくれと手ずからこの耳に飾っておいて、」
ヘンリエッタはそう言って、自分の耳朶を指差した。
「もう一度婚約を申し込みたい、もう一度受け入れてはくれないかと仰いました。それで、翌日には婚約の誓約書にサインをさせておいて、どうしたのでしょう。その日から音信不通となりましたの。まるで雲隠れなさった様に。そうして聞こえてくるのはエレノア様のお側を離れないと云う目撃談ばかり。
え~と、それからは文も花も届けられず、夜会のエスコートも有耶無耶になりましたし、ご生家まではっきりしないですし~、」
「...。」
「それって、投擲案件ですわよね。もう、ほっぽり出して「待ってくれ、待ってくれ、ヘンリエッタ嬢っ、」
こんな慌てるロバートは珍しい。それより、いつも一歩控える護衛騎士まで、こちらへ身を乗り出している。
「行き違いがある。」
「まあ。」
「機会をくれないか。」
「機会?」
「話し合いの、」
「殿下。それには及びませんわ。」
「このままにしておくと、君はそう言うのか?」
「いいえ、そうではないのです。」
「では、」
「殿下。何故それほどまでにあの方の為に御心を砕かれるのでしょう?」
「それは..」
「私が知るハロルド様とは、幕引きくらいはご自分の手で出来るお方です。殿下にお膳立てされる情けない方ではございません。」
「幕引きだなんて、それではまるで、」
「申し上げましたでしょう?投擲すると。」
「それで、ハロルドはどうなる。」
「それは..存じ上げません。あの方の人生です。」
真っ白に色を無くした顔を向けて、ロバートはすっかり固まってしまった。まるで神話のメデューサに魅入られてしまった様な姿だ。
やだわ。これではまるで私がメデューサみたいじゃない。これってマリーに話したら絶対笑うに決まってるわ。
そう思いながら護衛を見やれば、彼もまたヘンリエッタを見つめたまま固まっている。
ちょっとお二人様、大丈夫?もうこのまま帰っても良いかしら。真逆、こんな事で捕縛なんてされないわよね。罪状?メ、メデューサみたいに殿下を固めてしまったから?
大丈夫かしら?と、一歩前に踏み出したヘンリエッタに、弾けるように二人は動きを取り戻した。
「殿下?」
大丈夫ですか?と云う意味で、コテンと首を傾ける。
「うっ、」
ロバートが謎の呻きを漏らして、胸に手を押し当てている。
まあ、動いたから大丈夫だろう。捕縛される前に逃げるべし。
「それでは殿下、ご機嫌よう。」
また明日とばかりに別れの挨拶をして、ヘンリエッタはくるりを身を翻した。迎えの馬車はもう来ているだろう。すっかり待たせてしまった。
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