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「それで、ヘンリエッタ嬢。」
視線を俯き加減にして控えるヘンリエッタに、エドワードが声を掛けた。
「弟君は如何した。」
え?何故、それ聞く?と思うも、問われたからには答えねばならない。
「学友のご令嬢をエスコートしているかと存じます。」
「へえ。」
エドワードは短く言って、その返答よりも長い間を取った。それから、
「美しい装いだね。良くお似合いだ。マクルズ子爵令息、君の審美眼とは確かなものだね。」
そう言ってヘンリエッタのロイヤルブルーのドレスを褒めて、「では」と、徐ろに背を翻して去って行った。
「な、なんでお声掛けされちゃったのかしら。」
「...そうだね。」
マルクスと二人、去りゆく一行を見送りながら、そこで漸く気が付いた。
エドワードは、マルクスとヘンリエッタにエレノアへ挨拶をする間を与えなかった。あんな風に蔑む笑みをお見舞いされちゃったからエレノアの印象は強烈に残ったが、実は彼女とは一言も言葉を交わしていない。まともな挨拶すら出来ずに終わってしまった。そんなだから笑われたのだろうか。
「私、あの二人によっぽど嫌われているのね。まあ、私も同じ様なものだから、おあいこかしら。」
「良いじゃない。私達、この世の爪弾き者二人組で、これから社交界で大暴れするんだから。」
「マリー、素に戻ってるわ。」
「貴女もよ。」
コソコソ二人で耳打ちする内に、御婦人方に取り囲まれた。
どうやら周囲は、今宵のヘンリエッタの装いがマルクスのデザインで、それをエドワードが称えた事で俄然興味を抱いたらしい。
「ヘンリエッタ嬢、これから一仕事しようじゃないか。」
涼しげな眼差しの奥にギラギラと商人魂を滾らせてマルクスが言うのに、ヘンリエッタも背筋を伸ばして気合いを入れた。
結果から言えば、ドレスの評判は上々であった。次いで、マルクスが新たに商会を立ち上げた事を然りげ無く宣伝すれば、幾人かの御婦人からドレスの問い合わせを受けたりした。
ヘンリエッタが傷持ちなのは広く知られるところであるし、それは今現在も面白可笑しく噂されているのだが、軍部に重用されている父に遠慮してか、表向き御婦人方はヘンリエッタにも礼節を示してくれた。
中には母の若い頃によく似ていると、ヘンリエッタの容姿を褒めてくれるご婦人もいて、父親似であると思っていたのを少しは母にも似るところがあったらしい事に、ヘンリエッタは嬉しくなった。
マルクスは、週明けから本格的にM&M商会の経営に乗り出す。そうなれば、今日が航海初日になるのか。この世界を大海原だと言うのなら、確かに今日こそ処女航海となるだろう。
マルクスが御婦人方にドレスの説明をする横顔を見詰めて、その眩しい表情にヘンリエッタの心も雨雲を蹴散らして青い空が覗く様な、そんな晴れやかな気持ちになった。
成功した後の撤収は、素早い方が良いらしい。
「ヘンリエッタ、今宵はこれくらいにしておきましょう。」
マルクスはそう言って、今宵の帰還を告げた。
「もう少し話しが聞きたいな、と云うところで御仕舞にするのがコツなのよ。ダラダラと露出していては直ぐに飽きられちゃうわ。人間、ちらっと見えるのが唆られるものなのよ。」
「ちらっと...。そう言うものなのね。この機会にとことんお見せするのが効果的なのだと思っていたわ。」
「まあ、旅の行商ならばその方が益があるでしょう。でも、私達は王都に店を構えるM&M商会よ。知りたきゃお店に来てもらう。そうしてもう一品揃いの品をお勧めする。私、外商は辞めることにしたの。飽くまで勝負の場は店舗のギャラリーよ。」
貴族令嬢として生きてきて商いに触れたことなど無かったヘンリエッタは、青い瞳を耀かせて自身の商売の展望を語るマルクスの言葉に聞き入った。
自分に出来る事はなんだろう。
このマルクスと並び立つのに恥じない様に、もっともっと見聞を広めて成長したい。
自身の人生の展望には、終の棲家と定めた修道院でハンカチに刺繍をしまくり、それをバザーで売り捌く傍ら小説を執筆して手慰みとする事しか思い付かなかったヘンリエッタは、生まれて初めて自分の力で立つと云う事への誇りを覚えたのだった。
邸に戻る為に馬車止まりまで歩く。
三年ぶりの学園に、マルクスも懐かしそうに歩いている。
夜会会場の講堂から校舎の出口に通じる長い廊下を二人で並び歩く。
夜会は闌であるから、皆今頃は歓談やダンスに興じているのだろう。
流石に学園であるから、敷地内を散策すると云う名目で不埒な行為に及ぶカップルも見られず、間もなく冬を迎える夜の廊下は、虫の音も聴こえなくなっていた。
そこに、背後から物音が聞こえて、ヘンリエッタとマルクスは反射的に二人揃って振り返った。
灯りの乏しい薄暗がりの廊下の向こうに、確かに人影が見えた。シルエットからそれが男性であるのが解った。遠目で解る程に速歩きで、一層小走りというほどの速度でこちらに向かって来る。
真逆、暴漢ではあるまいか。ヘンリエッタは咄嗟に恐怖を感じた。思わず隣のマルクスの肘にしがみついてしまう。
「離れるんだ」
薄闇のシルエットがそう言って、その声にヘンリエッタは聞き覚えがあった。それはマルクスも同じであった様で、
「ヘンリエッタ、逃げるわよ」
そう言った途端、マルクスはヘンリエッタの手を引いて駆け出した。
駆け出す二人の背に再び声が掛けらた。
「ヘンリエッタ!」
ハロルドが、ヘンリエッタの名を呼んだ。
視線を俯き加減にして控えるヘンリエッタに、エドワードが声を掛けた。
「弟君は如何した。」
え?何故、それ聞く?と思うも、問われたからには答えねばならない。
「学友のご令嬢をエスコートしているかと存じます。」
「へえ。」
エドワードは短く言って、その返答よりも長い間を取った。それから、
「美しい装いだね。良くお似合いだ。マクルズ子爵令息、君の審美眼とは確かなものだね。」
そう言ってヘンリエッタのロイヤルブルーのドレスを褒めて、「では」と、徐ろに背を翻して去って行った。
「な、なんでお声掛けされちゃったのかしら。」
「...そうだね。」
マルクスと二人、去りゆく一行を見送りながら、そこで漸く気が付いた。
エドワードは、マルクスとヘンリエッタにエレノアへ挨拶をする間を与えなかった。あんな風に蔑む笑みをお見舞いされちゃったからエレノアの印象は強烈に残ったが、実は彼女とは一言も言葉を交わしていない。まともな挨拶すら出来ずに終わってしまった。そんなだから笑われたのだろうか。
「私、あの二人によっぽど嫌われているのね。まあ、私も同じ様なものだから、おあいこかしら。」
「良いじゃない。私達、この世の爪弾き者二人組で、これから社交界で大暴れするんだから。」
「マリー、素に戻ってるわ。」
「貴女もよ。」
コソコソ二人で耳打ちする内に、御婦人方に取り囲まれた。
どうやら周囲は、今宵のヘンリエッタの装いがマルクスのデザインで、それをエドワードが称えた事で俄然興味を抱いたらしい。
「ヘンリエッタ嬢、これから一仕事しようじゃないか。」
涼しげな眼差しの奥にギラギラと商人魂を滾らせてマルクスが言うのに、ヘンリエッタも背筋を伸ばして気合いを入れた。
結果から言えば、ドレスの評判は上々であった。次いで、マルクスが新たに商会を立ち上げた事を然りげ無く宣伝すれば、幾人かの御婦人からドレスの問い合わせを受けたりした。
ヘンリエッタが傷持ちなのは広く知られるところであるし、それは今現在も面白可笑しく噂されているのだが、軍部に重用されている父に遠慮してか、表向き御婦人方はヘンリエッタにも礼節を示してくれた。
中には母の若い頃によく似ていると、ヘンリエッタの容姿を褒めてくれるご婦人もいて、父親似であると思っていたのを少しは母にも似るところがあったらしい事に、ヘンリエッタは嬉しくなった。
マルクスは、週明けから本格的にM&M商会の経営に乗り出す。そうなれば、今日が航海初日になるのか。この世界を大海原だと言うのなら、確かに今日こそ処女航海となるだろう。
マルクスが御婦人方にドレスの説明をする横顔を見詰めて、その眩しい表情にヘンリエッタの心も雨雲を蹴散らして青い空が覗く様な、そんな晴れやかな気持ちになった。
成功した後の撤収は、素早い方が良いらしい。
「ヘンリエッタ、今宵はこれくらいにしておきましょう。」
マルクスはそう言って、今宵の帰還を告げた。
「もう少し話しが聞きたいな、と云うところで御仕舞にするのがコツなのよ。ダラダラと露出していては直ぐに飽きられちゃうわ。人間、ちらっと見えるのが唆られるものなのよ。」
「ちらっと...。そう言うものなのね。この機会にとことんお見せするのが効果的なのだと思っていたわ。」
「まあ、旅の行商ならばその方が益があるでしょう。でも、私達は王都に店を構えるM&M商会よ。知りたきゃお店に来てもらう。そうしてもう一品揃いの品をお勧めする。私、外商は辞めることにしたの。飽くまで勝負の場は店舗のギャラリーよ。」
貴族令嬢として生きてきて商いに触れたことなど無かったヘンリエッタは、青い瞳を耀かせて自身の商売の展望を語るマルクスの言葉に聞き入った。
自分に出来る事はなんだろう。
このマルクスと並び立つのに恥じない様に、もっともっと見聞を広めて成長したい。
自身の人生の展望には、終の棲家と定めた修道院でハンカチに刺繍をしまくり、それをバザーで売り捌く傍ら小説を執筆して手慰みとする事しか思い付かなかったヘンリエッタは、生まれて初めて自分の力で立つと云う事への誇りを覚えたのだった。
邸に戻る為に馬車止まりまで歩く。
三年ぶりの学園に、マルクスも懐かしそうに歩いている。
夜会会場の講堂から校舎の出口に通じる長い廊下を二人で並び歩く。
夜会は闌であるから、皆今頃は歓談やダンスに興じているのだろう。
流石に学園であるから、敷地内を散策すると云う名目で不埒な行為に及ぶカップルも見られず、間もなく冬を迎える夜の廊下は、虫の音も聴こえなくなっていた。
そこに、背後から物音が聞こえて、ヘンリエッタとマルクスは反射的に二人揃って振り返った。
灯りの乏しい薄暗がりの廊下の向こうに、確かに人影が見えた。シルエットからそれが男性であるのが解った。遠目で解る程に速歩きで、一層小走りというほどの速度でこちらに向かって来る。
真逆、暴漢ではあるまいか。ヘンリエッタは咄嗟に恐怖を感じた。思わず隣のマルクスの肘にしがみついてしまう。
「離れるんだ」
薄闇のシルエットがそう言って、その声にヘンリエッタは聞き覚えがあった。それはマルクスも同じであった様で、
「ヘンリエッタ、逃げるわよ」
そう言った途端、マルクスはヘンリエッタの手を引いて駆け出した。
駆け出す二人の背に再び声が掛けらた。
「ヘンリエッタ!」
ハロルドが、ヘンリエッタの名を呼んだ。
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