ヘンリエッタの再婚約

桃井すもも

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「いいえ、なりませんお嬢様。本日はお休みなさいませ。」

「ええ~、大丈夫よ、授業中に寝るから。」

「ならば尚の事、お休み下さいませ。居眠り令嬢なんてそしりを受けたいのですか?」

「私、もう既に立派な傷物令嬢よ、この上誹り令嬢だなんて、ふは、なにそれ、面白い。」

「お疲れが過ぎてハイになるのは結構ですが、学園は駄目です。」

完全なる徹夜、完徹を貫いたヘンリエッタを、ブリジットが引き止める。一睡もせぬまま食事と湯浴みを済ませたヘンリエッタは、この上学園へ登校すると言う。

「なりません、ヘンリエッタ。今日はお休みなさい。ウィリアムに休学の書類を持たせます。」

鶴の一声ならぬ、母の一声には絶対の強制力が込められており、ヘンリエッタは週初めの学園をお休みする事となった。

仕方が無い。寝るか。
そう思って寝台に横になった瞬間からの記憶が無い。目覚めたのは夕刻であった。

あれ?空が赤いぞ。
可怪しいなと思いながら、よろよろと窓辺に寄って空を見上げた。

夕焼けの鱗雲がオレンジと茜の色を帯びて棚引いている。その向こうから群青色の宵闇が静かに迫って来るのもいとおかし、って、情緒たっぷりに考えている場合では無い。一晩を完徹で執筆に費やした作家の卵ヘンリエッタは、脳内変換すら文学寄りになっていた。

「もう、夕方じゃない。私、ずっと寝てたの?!」

そう口走った先から向こうに馬車が見えて来て、あれはウィリアムの馬車だわ、それって放課後過ぎてるって事よね、と現実に引き戻された。

途端にお腹がぐうと鳴る。なんで分かったのか、ブリジットが絶妙なタイミングでホットミルクとスコーンを持って来てくれた。もうすぐ夕餉であるからと、軽食を用意してくれていたらしい。

「凄いわ、ブリジット。なんで分かったの?私が目覚めたのを。」
「お嬢様は独り言が大きいですから。」

そう。
すんとしながら納得して、スコーンをもそもそ咀嚼していると、トントトトット、トントンと可笑しなリズムで扉がノックされて、続いて「姉上、起きた?」とウィリアムの声がした。

「ウィリアム、お休みの手続きをさせちゃって御免なさいね。」
「別に大したことはしてないよ。休むって事とその理由を申請しただけだよ。」
「ええーと、それはなんて申請したの?」
「適当に。それらしく。」
「ふうん。」

何故かウィリアムまでスコーンとホットミルクをもらって、もそもそ咀嚼しながら教えてくれた。

「ああ、それからロバート殿下にお声を掛けられた。」
「まあ、ロバート殿下が?」
「うん、なんで姉上が休んでいるのか聞かれたからテキトーに答えておいた。」
「不敬よテキトーだなんて。あの方はお優しい方だからクラスメイトの急な休みが気になったのね。」
「うん、心配してたよ。凄く。」
「凄く?」
「ここに皺が寄ってた。」
そう言ってウィリアムは自身の眉間を揉んで見せた。

「まあ。ご心配をお掛けしてしまったわ。明日は登校するからお礼を言っておこうかしら。でも、なんて?お休みしたけどもう元気ですって、自分から言う?」
「ほっとけば。」
「重ね重ね不敬ね。」
「王家が可怪しいのさ。片や仕掛けておいて片や案ずるなんて、それってどんな飴と鞭さ。」

珍しくウィリアムが怒っているのに気がついて、ウィリアムはウィリアムなりに最近の学園でのヘンリエッタを心配していたのだと解った。

母にも弟にも助けられている。心配ばかり掛けている。

「有難う、ウィリアム。心配掛けちゃったわね。私ならもう大丈夫よ、安心して。」

「そうみたいだね。隈に囲まれた瞳がキラキラしてるよ。よく解らないけど頑張って。姉上がしたい事をやってみればいいんじゃない。応援してるよ。」

弟のエールが胸に来る。沁みるわ、思い遣り。情け心って沁みるわね。
何だか目元がむずむずして、泣きそうになるのをどうにか堪えた。


晩餐にはヘビーな厚切りステーキが出た。
壮年の父には胸焼けを誘発するメニューであったが、育ち盛りのウィリアムと軽食しか摂っていなかったヘンリエッタには、腹にディープなインパクトを齎す最高のメニューであった。
料理長も心配していたのだ。最近のヘンリエッタは、気付かぬうちに食が細くなっていた。

恩返しとばかりに、ヘンリエッタはもりもり食べた。ウィリアムが調子に乗って、二枚目のステーキにフォークを刺しているのには流石に閉口したけれど。


自室に戻り、気を抜くとゲフッとしそうな満腹の腹をさすりながら机に向かう。
無理はするまいと思った先から気になって、今朝方まで書き散らかした原稿を手に取った。

よくもこんなに書いたものだ。これでは手首だって痛くもなろう。良く頑張ったと自分で自分を褒めてみる。じわじわ嬉しさが湧いて来る。
内容はともあれ書けたじゃない。初めてだけれど「小説」を書き上げたじゃない。

プロットやらお話しの筋書きやらはお構い無しに、只管ひたすら自身の体験を文字に起こしただけだったから、一晩で書き上げることが出来たのだろう。これが創作であるならば、ストーリーの起承転結を全て自分で構築せねばならない。
修道院は逃げないから、いつでも行けると置いておいて、まずは作家生活である。M&M商会のお抱え作家として生きて行くなら、経験は大切な財産となろう。

分厚い原稿用紙の角を揃えながら、明日からはどんなささやかな経験も糧にするべしと肝に銘じた。

人生の喜怒哀楽、歓びも哀しみも全ては物語を彩るエッセンス。どんと来い喜怒哀楽。
ヘンリエッタは、明日が来るのが楽しみになった。明日が楽しみに思えるなんて、こんな気持ちは久しぶりであった。

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