33 / 78
【33】
しおりを挟む
「いいえ、なりませんお嬢様。本日はお休みなさいませ。」
「ええ~、大丈夫よ、授業中に寝るから。」
「ならば尚の事、お休み下さいませ。居眠り令嬢なんて誹りを受けたいのですか?」
「私、もう既に立派な傷物令嬢よ、この上誹り令嬢だなんて、ふは、なにそれ、面白い。」
「お疲れが過ぎてハイになるのは結構ですが、学園は駄目です。」
完全なる徹夜、完徹を貫いたヘンリエッタを、ブリジットが引き止める。一睡もせぬまま食事と湯浴みを済ませたヘンリエッタは、この上学園へ登校すると言う。
「なりません、ヘンリエッタ。今日はお休みなさい。ウィリアムに休学の書類を持たせます。」
鶴の一声ならぬ、母の一声には絶対の強制力が込められており、ヘンリエッタは週初めの学園をお休みする事となった。
仕方が無い。寝るか。
そう思って寝台に横になった瞬間からの記憶が無い。目覚めたのは夕刻であった。
あれ?空が赤いぞ。
可怪しいなと思いながら、よろよろと窓辺に寄って空を見上げた。
夕焼けの鱗雲がオレンジと茜の色を帯びて棚引いている。その向こうから群青色の宵闇が静かに迫って来るのもいとおかし、って、情緒たっぷりに考えている場合では無い。一晩を完徹で執筆に費やした作家の卵ヘンリエッタは、脳内変換すら文学寄りになっていた。
「もう、夕方じゃない。私、ずっと寝てたの?!」
そう口走った先から向こうに馬車が見えて来て、あれはウィリアムの馬車だわ、それって放課後過ぎてるって事よね、と現実に引き戻された。
途端にお腹がぐうと鳴る。なんで分かったのか、ブリジットが絶妙なタイミングでホットミルクとスコーンを持って来てくれた。もうすぐ夕餉であるからと、軽食を用意してくれていたらしい。
「凄いわ、ブリジット。なんで分かったの?私が目覚めたのを。」
「お嬢様は独り言が大きいですから。」
そう。
すんとしながら納得して、スコーンをもそもそ咀嚼していると、トントトトット、トントンと可笑しなリズムで扉がノックされて、続いて「姉上、起きた?」とウィリアムの声がした。
「ウィリアム、お休みの手続きをさせちゃって御免なさいね。」
「別に大したことはしてないよ。休むって事とその理由を申請しただけだよ。」
「ええーと、それはなんて申請したの?」
「適当に。それらしく。」
「ふうん。」
何故かウィリアムまでスコーンとホットミルクをもらって、もそもそ咀嚼しながら教えてくれた。
「ああ、それからロバート殿下にお声を掛けられた。」
「まあ、ロバート殿下が?」
「うん、なんで姉上が休んでいるのか聞かれたからテキトーに答えておいた。」
「不敬よテキトーだなんて。あの方はお優しい方だからクラスメイトの急な休みが気になったのね。」
「うん、心配してたよ。凄く。」
「凄く?」
「ここに皺が寄ってた。」
そう言ってウィリアムは自身の眉間を揉んで見せた。
「まあ。ご心配をお掛けしてしまったわ。明日は登校するからお礼を言っておこうかしら。でも、なんて?お休みしたけどもう元気ですって、自分から言う?」
「ほっとけば。」
「重ね重ね不敬ね。」
「王家が可怪しいのさ。片や仕掛けておいて片や案ずるなんて、それってどんな飴と鞭さ。」
珍しくウィリアムが怒っているのに気がついて、ウィリアムはウィリアムなりに最近の学園でのヘンリエッタを心配していたのだと解った。
母にも弟にも助けられている。心配ばかり掛けている。
「有難う、ウィリアム。心配掛けちゃったわね。私ならもう大丈夫よ、安心して。」
「そうみたいだね。隈に囲まれた瞳がキラキラしてるよ。よく解らないけど頑張って。姉上がしたい事をやってみればいいんじゃない。応援してるよ。」
弟のエールが胸に来る。沁みるわ、思い遣り。情け心って沁みるわね。
何だか目元がむずむずして、泣きそうになるのをどうにか堪えた。
晩餐にはヘビーな厚切りステーキが出た。
壮年の父には胸焼けを誘発するメニューであったが、育ち盛りのウィリアムと軽食しか摂っていなかったヘンリエッタには、腹にディープなインパクトを齎す最高のメニューであった。
料理長も心配していたのだ。最近のヘンリエッタは、気付かぬうちに食が細くなっていた。
恩返しとばかりに、ヘンリエッタはもりもり食べた。ウィリアムが調子に乗って、二枚目のステーキにフォークを刺しているのには流石に閉口したけれど。
自室に戻り、気を抜くとゲフッとしそうな満腹の腹を擦りながら机に向かう。
無理はするまいと思った先から気になって、今朝方まで書き散らかした原稿を手に取った。
よくもこんなに書いたものだ。これでは手首だって痛くもなろう。良く頑張ったと自分で自分を褒めてみる。じわじわ嬉しさが湧いて来る。
内容はともあれ書けたじゃない。初めてだけれど「小説」を書き上げたじゃない。
プロットやらお話しの筋書きやらはお構い無しに、只管自身の体験を文字に起こしただけだったから、一晩で書き上げることが出来たのだろう。これが創作であるならば、ストーリーの起承転結を全て自分で構築せねばならない。
修道院は逃げないから、いつでも行けると置いておいて、まずは作家生活である。M&M商会のお抱え作家として生きて行くなら、経験は大切な財産となろう。
分厚い原稿用紙の角を揃えながら、明日からはどんなささやかな経験も糧にするべしと肝に銘じた。
人生の喜怒哀楽、歓びも哀しみも全ては物語を彩るエッセンス。どんと来い喜怒哀楽。
ヘンリエッタは、明日が来るのが楽しみになった。明日が楽しみに思えるなんて、こんな気持ちは久しぶりであった。
「ええ~、大丈夫よ、授業中に寝るから。」
「ならば尚の事、お休み下さいませ。居眠り令嬢なんて誹りを受けたいのですか?」
「私、もう既に立派な傷物令嬢よ、この上誹り令嬢だなんて、ふは、なにそれ、面白い。」
「お疲れが過ぎてハイになるのは結構ですが、学園は駄目です。」
完全なる徹夜、完徹を貫いたヘンリエッタを、ブリジットが引き止める。一睡もせぬまま食事と湯浴みを済ませたヘンリエッタは、この上学園へ登校すると言う。
「なりません、ヘンリエッタ。今日はお休みなさい。ウィリアムに休学の書類を持たせます。」
鶴の一声ならぬ、母の一声には絶対の強制力が込められており、ヘンリエッタは週初めの学園をお休みする事となった。
仕方が無い。寝るか。
そう思って寝台に横になった瞬間からの記憶が無い。目覚めたのは夕刻であった。
あれ?空が赤いぞ。
可怪しいなと思いながら、よろよろと窓辺に寄って空を見上げた。
夕焼けの鱗雲がオレンジと茜の色を帯びて棚引いている。その向こうから群青色の宵闇が静かに迫って来るのもいとおかし、って、情緒たっぷりに考えている場合では無い。一晩を完徹で執筆に費やした作家の卵ヘンリエッタは、脳内変換すら文学寄りになっていた。
「もう、夕方じゃない。私、ずっと寝てたの?!」
そう口走った先から向こうに馬車が見えて来て、あれはウィリアムの馬車だわ、それって放課後過ぎてるって事よね、と現実に引き戻された。
途端にお腹がぐうと鳴る。なんで分かったのか、ブリジットが絶妙なタイミングでホットミルクとスコーンを持って来てくれた。もうすぐ夕餉であるからと、軽食を用意してくれていたらしい。
「凄いわ、ブリジット。なんで分かったの?私が目覚めたのを。」
「お嬢様は独り言が大きいですから。」
そう。
すんとしながら納得して、スコーンをもそもそ咀嚼していると、トントトトット、トントンと可笑しなリズムで扉がノックされて、続いて「姉上、起きた?」とウィリアムの声がした。
「ウィリアム、お休みの手続きをさせちゃって御免なさいね。」
「別に大したことはしてないよ。休むって事とその理由を申請しただけだよ。」
「ええーと、それはなんて申請したの?」
「適当に。それらしく。」
「ふうん。」
何故かウィリアムまでスコーンとホットミルクをもらって、もそもそ咀嚼しながら教えてくれた。
「ああ、それからロバート殿下にお声を掛けられた。」
「まあ、ロバート殿下が?」
「うん、なんで姉上が休んでいるのか聞かれたからテキトーに答えておいた。」
「不敬よテキトーだなんて。あの方はお優しい方だからクラスメイトの急な休みが気になったのね。」
「うん、心配してたよ。凄く。」
「凄く?」
「ここに皺が寄ってた。」
そう言ってウィリアムは自身の眉間を揉んで見せた。
「まあ。ご心配をお掛けしてしまったわ。明日は登校するからお礼を言っておこうかしら。でも、なんて?お休みしたけどもう元気ですって、自分から言う?」
「ほっとけば。」
「重ね重ね不敬ね。」
「王家が可怪しいのさ。片や仕掛けておいて片や案ずるなんて、それってどんな飴と鞭さ。」
珍しくウィリアムが怒っているのに気がついて、ウィリアムはウィリアムなりに最近の学園でのヘンリエッタを心配していたのだと解った。
母にも弟にも助けられている。心配ばかり掛けている。
「有難う、ウィリアム。心配掛けちゃったわね。私ならもう大丈夫よ、安心して。」
「そうみたいだね。隈に囲まれた瞳がキラキラしてるよ。よく解らないけど頑張って。姉上がしたい事をやってみればいいんじゃない。応援してるよ。」
弟のエールが胸に来る。沁みるわ、思い遣り。情け心って沁みるわね。
何だか目元がむずむずして、泣きそうになるのをどうにか堪えた。
晩餐にはヘビーな厚切りステーキが出た。
壮年の父には胸焼けを誘発するメニューであったが、育ち盛りのウィリアムと軽食しか摂っていなかったヘンリエッタには、腹にディープなインパクトを齎す最高のメニューであった。
料理長も心配していたのだ。最近のヘンリエッタは、気付かぬうちに食が細くなっていた。
恩返しとばかりに、ヘンリエッタはもりもり食べた。ウィリアムが調子に乗って、二枚目のステーキにフォークを刺しているのには流石に閉口したけれど。
自室に戻り、気を抜くとゲフッとしそうな満腹の腹を擦りながら机に向かう。
無理はするまいと思った先から気になって、今朝方まで書き散らかした原稿を手に取った。
よくもこんなに書いたものだ。これでは手首だって痛くもなろう。良く頑張ったと自分で自分を褒めてみる。じわじわ嬉しさが湧いて来る。
内容はともあれ書けたじゃない。初めてだけれど「小説」を書き上げたじゃない。
プロットやらお話しの筋書きやらはお構い無しに、只管自身の体験を文字に起こしただけだったから、一晩で書き上げることが出来たのだろう。これが創作であるならば、ストーリーの起承転結を全て自分で構築せねばならない。
修道院は逃げないから、いつでも行けると置いておいて、まずは作家生活である。M&M商会のお抱え作家として生きて行くなら、経験は大切な財産となろう。
分厚い原稿用紙の角を揃えながら、明日からはどんなささやかな経験も糧にするべしと肝に銘じた。
人生の喜怒哀楽、歓びも哀しみも全ては物語を彩るエッセンス。どんと来い喜怒哀楽。
ヘンリエッタは、明日が来るのが楽しみになった。明日が楽しみに思えるなんて、こんな気持ちは久しぶりであった。
5,029
お気に入りに追加
6,391
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
騎士の妻ではいられない
Rj
恋愛
騎士の娘として育ったリンダは騎士とは結婚しないと決めていた。しかし幼馴染みで騎士のイーサンと結婚したリンダ。結婚した日に新郎は非常召集され、新婦のリンダは結婚を祝う宴に一人残された。二年目の結婚記念日に戻らない夫を待つリンダはもう騎士の妻ではいられないと心を決める。
全23話。
2024/1/29 全体的な加筆修正をしました。話の内容に変わりはありません。
イーサンが主人公の続編『騎士の妻でいてほしい 』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/96163257/36727666)があります。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
『親友』との時間を優先する婚約者に別れを告げたら
黒木メイ
恋愛
筆頭聖女の私にはルカという婚約者がいる。教会に入る際、ルカとは聖女の契りを交わした。会えない間、互いの不貞を疑う必要がないようにと。
最初は順調だった。燃えるような恋ではなかったけれど、少しずつ心の距離を縮めていけたように思う。
けれど、ルカは高等部に上がり、変わってしまった。その背景には二人の男女がいた。マルコとジュリア。ルカにとって初めてできた『親友』だ。身分も性別も超えた仲。『親友』が教えてくれる全てのものがルカには新鮮に映った。広がる世界。まるで生まれ変わった気分だった。けれど、同時に終わりがあることも理解していた。だからこそ、ルカは学生の間だけでも『親友』との時間を優先したいとステファニアに願い出た。馬鹿正直に。
そんなルカの願いに対して私はダメだとは言えなかった。ルカの気持ちもわかるような気がしたし、自分が心の狭い人間だとは思いたくなかったから。一ヶ月に一度あった逢瀬は数ヶ月に一度に減り、半年に一度になり、とうとう一年に一度まで減った。ようやく会えたとしてもルカの話題は『親友』のことばかり。さすがに堪えた。ルカにとって自分がどういう存在なのか痛いくらいにわかったから。
極めつけはルカと親友カップルの歪な三角関係についての噂。信じたくはないが、間違っているとも思えなかった。もう、半ば受け入れていた。ルカの心はもう自分にはないと。
それでも婚約解消に至らなかったのは、聖女の契りが継続していたから。
辛うじて繋がっていた絆。その絆は聖女の任期終了まで後数ヶ月というところで切れた。婚約はルカの有責で破棄。もう関わることはないだろう。そう思っていたのに、何故かルカは今更になって執着してくる。いったいどういうつもりなの?
戸惑いつつも情を捨てきれないステファニア。プライドは捨てて追い縋ろうとするルカ。さて、二人の未来はどうなる?
※曖昧設定。
※別サイトにも掲載。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
三度目の嘘つき
豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」
「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」
なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
貴方でなくても良いのです。
豆狸
恋愛
彼が初めて淹れてくれたお茶を口に含むと、舌を刺すような刺激がありました。古い茶葉でもお使いになったのでしょうか。青い瞳に私を映すアントニオ様を傷つけないように、このことは秘密にしておきましょう。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
あなたへの恋心を消し去りました
鍋
恋愛
私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。
私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。
だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。
今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。
彼は心は自由でいたい言っていた。
その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。
友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。
だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。
※このお話はハッピーエンドではありません。
※短いお話でサクサクと進めたいと思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる