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翌日の朝食の席で、ヘンリエッタはこちらへ向けられる痛いほどの視線を感じながらも、お早うございますの挨拶以外は会話をする事は出来なかった。
ハロルドの言葉で、両親がヘンリエッタを気遣ってくれていたのは解った。だからもう既に怒りの感情は治まっていた。
けれども、そうじゃあないのよ、と思う気持ちは残念な感情を伴って胸の内に残っていた。
両親がハロルドと馴れ合うのを、決して責めたい訳ではない。その為に父はハロルドを晩餐に招待したのだ。
だからこそ最初の最初に、疵を受けた娘の親として彼に一言けじめを付けて欲しかった。
娘に対する不実の末の裏切りともいえる不誠実な行いを、親として一言でいいから苦言を呈して欲しかった。要は怒って欲しかったのだ。
そう思いながらも、ヘンリエッタ自身は無言を通すばかりで、自分は何もせぬままであった。婚約解消の折でさえ全て両親に任せ切りであったのだ。改めて考えれば、両親にばかり求めるのは酷く勝手で幼稚な事に思われた。
そんな両極端な感情の折り合いを上手く付けることが出来ないまま、今も自分自身の感情を持て余している。機嫌を取って欲しい訳では無いけれど、結局はそう云う事だろう。他力に任せっぱなしにして目を背けていたのはヘンリエッタ自身である。
もう少し、あともう少し一人にしてもらえるなら、きっと直に両親にも素直に話せる様になるだろう。
取り敢えず、今日のところは思い付く言葉が無くて、そのまま食堂を出た。
邸の中で行き場の無い日に限って休日で、逃げ場所の学園へも行けないから、ヘンリエッタは自室に戻ってすっかり手持ち無沙汰になってしまった。
いつもの休日であれば、午前中は母とお茶を楽しんだりするのだが、今日はそれも出来そうにない。ならば外出でもと思っても、元より買い物などしない質であったから行き先が思い付かない。
情けない事に、自分は物凄く行動範囲が狭いらしい。令嬢らしくウィンドウショッピングだとか流行りのカフェだとかも、そういえばの、ハロルドと婚約していた頃にはそんな処へ足を運んだ事もあったのだが、婚約を解消して以降はすっかり遠退いてしまった。
「そうだ、図書館へ行こう。」
あいうえお順に考えて、「か行」のカフェも観劇もパスして「た行」で漸く思い付いた。もう直ぐ「な行」に移るところだった。図書館、図書館、王立図書館があるではないか!早速ブリジットに声を掛けて、身支度をするのであった。
「ふうん、誰かと喧嘩でもしたの?」
行き成り背中から声を掛けられて、ヘンリエッタはぱたんと読んでいた本を閉じた。『仲直りしたい時に読む本』の表題に両手を被せて隠してみた。
「ご機嫌よう、アレックス様。」
「うん。久しぶりだね、ヘンリエッタ嬢。」
アレックスはフェイラーズ伯爵家の次男で、以前は親しく言葉を交わす間柄であった。それも今ではすっかり因縁めいた関係になってしまって、こんな風に言葉を交わすのは、大凡二年ぶりである。
アレックスは、ハロルドの友人である。友人であり仕事仲間である。彼は近衛騎士であり、現在はエドワード殿下の婚約者、つまりは隣国第二王女殿下の護衛を務めている。隣国王女はエドワード殿下との婚約後は隣国を離れて王城に移り住んでいた。
「元気そうだね。」
「ええ、アレックス様も。」
そこでアレックスはヘンリエッタをまじまじと見つめた。
顎のラインで切り揃えた金の髪に碧の瞳。貴族を絵に描いた様な見目のアレックスは、童顔故に年上であるも近しく感じられる。ハロルドやエドワード殿下とは同い年で学友でもある彼は、気さくな人柄も相まって話しやすい人物であった。
それも、ハロルドとの婚約を解消してからは、ぷつりと縁が切れていた。元よりハロルドに関わる人間関係で、ヘンリエッタとは歳も性別も違うのだから、今後も付き合いは無いと思われた。
「アレックス様も読書をなさりに?」
図書館なのだから、目的はそれ一つなのだが、あんまりまじまじと見つめられて何か聞かない訳にはいかなかった。
「うん。参考書を読みにね。」
「参考書?」
「来月、昇進試験があるんだ。剣技と筆記試験。その筆記試験をどうにかしなくちゃいけないんだ。僕は剣ならいいとこ行けると思うんだが、どうも座学は苦手なんだ。座っているだけで嫌になる。」
「ふふっ」
ハロルドに近い者なら尚の事、あまり関わり合いにはなりたく無い。しかも彼はヘンリエッタとの婚約解消に原因する姫に仕えている。なのに、アレックスとはいつもこんな風に飄々として親しみ易かったと思い出し、ヘンリエッタは絆された訳では無いのだが、つい笑みが漏れてしまった。
「笑ったな。」
「ええ、笑ってしまいました。」
「では、誰かと仲直りをしたいらしいヘンリエッタ嬢に、試験勉強のコツを教えてもらおうかな。」
「まあ、勉学は繰り返し教科書を読むのに尽きますわ。お教えするコツなんてございません。」
「でも、君は最優秀クラスだろう?」
「ええ、確かに。何故それを?」
「君はロバート殿下の御学友じゃあないか。」
「ああ、ええ、そうですわね。」
「殿下の護衛は近衛騎士だよ。君等が親しいのも聞いているよ。」
「親しいと言えるかは分かりませんが、ロバート殿下とはよくお話しをさせて頂いております。」
「ふうん。」
可怪しな事を言っただろうか。
アレックスは、そこで再びまじまじとヘンリエッタを見つめた。
「きっと君とそんな風に話したいと思うんだろうな。」
「え?」
「いやあ、別に。まあ、頑張り給え。仲直りが出来ると良いね。」
誰と?とヘンリエッタに疑問を残して、アレックスは立ち去った。そうして、出口に向かって行ってしまった。
「アレックス様、試験勉強は大丈夫なの?どうにかしなくちゃいけないのではなくて?」
何しに来たんだ?と思いながら、久しぶりに懐かしい人物と交わした会話に心が和んだ。
ハロルドの言葉で、両親がヘンリエッタを気遣ってくれていたのは解った。だからもう既に怒りの感情は治まっていた。
けれども、そうじゃあないのよ、と思う気持ちは残念な感情を伴って胸の内に残っていた。
両親がハロルドと馴れ合うのを、決して責めたい訳ではない。その為に父はハロルドを晩餐に招待したのだ。
だからこそ最初の最初に、疵を受けた娘の親として彼に一言けじめを付けて欲しかった。
娘に対する不実の末の裏切りともいえる不誠実な行いを、親として一言でいいから苦言を呈して欲しかった。要は怒って欲しかったのだ。
そう思いながらも、ヘンリエッタ自身は無言を通すばかりで、自分は何もせぬままであった。婚約解消の折でさえ全て両親に任せ切りであったのだ。改めて考えれば、両親にばかり求めるのは酷く勝手で幼稚な事に思われた。
そんな両極端な感情の折り合いを上手く付けることが出来ないまま、今も自分自身の感情を持て余している。機嫌を取って欲しい訳では無いけれど、結局はそう云う事だろう。他力に任せっぱなしにして目を背けていたのはヘンリエッタ自身である。
もう少し、あともう少し一人にしてもらえるなら、きっと直に両親にも素直に話せる様になるだろう。
取り敢えず、今日のところは思い付く言葉が無くて、そのまま食堂を出た。
邸の中で行き場の無い日に限って休日で、逃げ場所の学園へも行けないから、ヘンリエッタは自室に戻ってすっかり手持ち無沙汰になってしまった。
いつもの休日であれば、午前中は母とお茶を楽しんだりするのだが、今日はそれも出来そうにない。ならば外出でもと思っても、元より買い物などしない質であったから行き先が思い付かない。
情けない事に、自分は物凄く行動範囲が狭いらしい。令嬢らしくウィンドウショッピングだとか流行りのカフェだとかも、そういえばの、ハロルドと婚約していた頃にはそんな処へ足を運んだ事もあったのだが、婚約を解消して以降はすっかり遠退いてしまった。
「そうだ、図書館へ行こう。」
あいうえお順に考えて、「か行」のカフェも観劇もパスして「た行」で漸く思い付いた。もう直ぐ「な行」に移るところだった。図書館、図書館、王立図書館があるではないか!早速ブリジットに声を掛けて、身支度をするのであった。
「ふうん、誰かと喧嘩でもしたの?」
行き成り背中から声を掛けられて、ヘンリエッタはぱたんと読んでいた本を閉じた。『仲直りしたい時に読む本』の表題に両手を被せて隠してみた。
「ご機嫌よう、アレックス様。」
「うん。久しぶりだね、ヘンリエッタ嬢。」
アレックスはフェイラーズ伯爵家の次男で、以前は親しく言葉を交わす間柄であった。それも今ではすっかり因縁めいた関係になってしまって、こんな風に言葉を交わすのは、大凡二年ぶりである。
アレックスは、ハロルドの友人である。友人であり仕事仲間である。彼は近衛騎士であり、現在はエドワード殿下の婚約者、つまりは隣国第二王女殿下の護衛を務めている。隣国王女はエドワード殿下との婚約後は隣国を離れて王城に移り住んでいた。
「元気そうだね。」
「ええ、アレックス様も。」
そこでアレックスはヘンリエッタをまじまじと見つめた。
顎のラインで切り揃えた金の髪に碧の瞳。貴族を絵に描いた様な見目のアレックスは、童顔故に年上であるも近しく感じられる。ハロルドやエドワード殿下とは同い年で学友でもある彼は、気さくな人柄も相まって話しやすい人物であった。
それも、ハロルドとの婚約を解消してからは、ぷつりと縁が切れていた。元よりハロルドに関わる人間関係で、ヘンリエッタとは歳も性別も違うのだから、今後も付き合いは無いと思われた。
「アレックス様も読書をなさりに?」
図書館なのだから、目的はそれ一つなのだが、あんまりまじまじと見つめられて何か聞かない訳にはいかなかった。
「うん。参考書を読みにね。」
「参考書?」
「来月、昇進試験があるんだ。剣技と筆記試験。その筆記試験をどうにかしなくちゃいけないんだ。僕は剣ならいいとこ行けると思うんだが、どうも座学は苦手なんだ。座っているだけで嫌になる。」
「ふふっ」
ハロルドに近い者なら尚の事、あまり関わり合いにはなりたく無い。しかも彼はヘンリエッタとの婚約解消に原因する姫に仕えている。なのに、アレックスとはいつもこんな風に飄々として親しみ易かったと思い出し、ヘンリエッタは絆された訳では無いのだが、つい笑みが漏れてしまった。
「笑ったな。」
「ええ、笑ってしまいました。」
「では、誰かと仲直りをしたいらしいヘンリエッタ嬢に、試験勉強のコツを教えてもらおうかな。」
「まあ、勉学は繰り返し教科書を読むのに尽きますわ。お教えするコツなんてございません。」
「でも、君は最優秀クラスだろう?」
「ええ、確かに。何故それを?」
「君はロバート殿下の御学友じゃあないか。」
「ああ、ええ、そうですわね。」
「殿下の護衛は近衛騎士だよ。君等が親しいのも聞いているよ。」
「親しいと言えるかは分かりませんが、ロバート殿下とはよくお話しをさせて頂いております。」
「ふうん。」
可怪しな事を言っただろうか。
アレックスは、そこで再びまじまじとヘンリエッタを見つめた。
「きっと君とそんな風に話したいと思うんだろうな。」
「え?」
「いやあ、別に。まあ、頑張り給え。仲直りが出来ると良いね。」
誰と?とヘンリエッタに疑問を残して、アレックスは立ち去った。そうして、出口に向かって行ってしまった。
「アレックス様、試験勉強は大丈夫なの?どうにかしなくちゃいけないのではなくて?」
何しに来たんだ?と思いながら、久しぶりに懐かしい人物と交わした会話に心が和んだ。
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