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晩餐の席で、父はいつもと変わらぬ風で合鴨のローストにナイフを入れていた。合鴨は父の好物である。
心做しか機嫌が良く見えるのは、メイン料理が好物だからか。単純な男め!
「ヘンリエッタ、どうしたの?そんなに旦那様を見つめて。」
母の言葉に、父がカチンと小さくカトラリーを皿にぶつけた。
「ええ。お父様が大切なお話しをなさるのを、今か今か今かと待っておりますの。」
「今かが多いわね。とっても待っていたのね。それで旦那様、大切なお話しとやらはお有りなの?」
おっとりと母に尋ねられ、何故か父はウィリアムを見た。なんにも解らないのに見られても困るウィリアムは、困惑の眼差しを父にそのまま返した。
視線ばかりが行き交う晩餐のテーブルで、ヘンリエッタはナプキンで口を拭う。
「こほん。」
ひとつ小さな咳を漏らせば、父は慌てて切り分けた合鴨を口に放り込んで咀嚼した。
もぐもぐモグモグもぐもぐ。いや、咀嚼が長い。
「お父様。白状なさって。」
「まあ旦那様、貴方様、悪事でも働かれたの?」
母から微かに侮蔑を含んだ視線を向けられて、父は漸くお肉を飲み込んだ。
「あ~、うん。」
「うん?」
思わずヘンリエッタが聞き返す。
「まあ、その~。」
何処の政治家の返しか。
「はっきりなさって。」
珍しく母にキツめに促されて父は観念したらしい。
「今週末、彼を晩餐に招いた。」
「彼とは真逆。」
ヘンリエッタに思い浮かぶのは一人しかいない。
「お前の想像は違わないだろう。」
やはり、そうであるらしい。
「何故、ハロルド様をご招待なさったの?週末とは明後日よ?それで、お父様。今言わなければいつ仰るおつもりだったの?」
「週末の朝にでも「遅いわ。」
珍しく母にキツめに窘められて、父はぐっと何かを飲み込んだ。合鴨か?
「ヘンリエッタが不快に思うだろうと。」
「私が不快になるのが解って、何故態々お誘いに?」
そこで父は漸くヘンリエッタに視線を合わせた。
「不快なあまり、彼を避けて欲しくは無かった。お前も今なら向き合えるのではないかと考えた。もう幼い少女ではない。いつ何処に出しても恥ずかしくない淑女に成長したと、そう私は思っている。辛かろうが向き合える時に向き合わなければ、次にまた機会が訪れるとは思えなかった。」
意外な父の心中を聞いて、ヘンリエッタは昼間のロバートの言葉を再び思い返した。
「覚悟なら出来ております。」
「お前ならきっとそう言ってくれると思っていたよ。」
「けれども、抜き打ちの様な知らせは迷惑です。」
「...。お前ならきっとそう言うと思っていたよ。」
「解っていて何故?ああ、それからお父様。私、今日ロバート殿下と少しばかりお話しを致しました。お父様。内ポケットのお手紙をお出しになって下さいな。」
「何故それを...」
「お父様、御自分でお気付きではなかったの?お父様は大切なものは一旦内ポケットにお仕舞になられる癖がお有りなの。ほら、去年のお誕生日にお母様から贈られたカフスボタンを、頂いた先から内ポケットに仕舞われていたでしょう?なんでお母様の目の前で袖に付けて差し上げないのか、とんだ女心の解らない御人だと思っていたの。でもあれって、嬉しくてつい内ポケットに仕舞っちゃったのね。」
「まあ旦那様、それは本当?」
おっとり母に戻った安堵からか、父は頬の強張りを緩くした。
「む、本当だ。」
「まあ。」
このまま甘い空気を二人には味わって欲しいところであるが、せっかちなヘンリエッタは追及を緩める事は出来なかった。
「それで、陛下はなんと?」
ぐっと眉根を苦しげに顰めてから、父は答えた。
「第二王子殿下の行いを済まなかったとお詫び下さった。」
「まあ。」
「クソ喰らえとお書きになったとか。」
御食事時にはなかなか端ない言葉である。
「ああ、まあ、そうかな。後は、馬の飼育を変更すると。」
「まあ。」
「えっ、お父様、そんな事をお書きになったの?」
「うむ。馬を農耕馬に変更しようかと思ってだな。」
「まあ、旦那様。それでは王家もさぞ慌てたことでしょう。」
「だから陛下も文を寄越したのだろうな。」
「お父様、本気でお考えになられたの?それって国軍に影響するでしょう?」
「そうだろうな。だが、農場経営には役立つだろうな。」
「確かにそうでしょうけれど、我が家は軍馬生産の筆頭なのですもの、それを農耕馬に切り替えてしまったら、騎士団の上層部はお困りになるでしょう。」
ノーザランド伯爵家は、古くから軍馬の生産を生業としている。運営する牧場からは優れた軍馬が数多く産出されており、ノーザランド伯爵は馬の繁殖家としては国内繁殖家の頂点に君臨していた。
現在、王国国軍の軍馬の六割がノーザランド一族が運営する牧場から産出されているのを、父は、その軍馬育成を中止して農耕馬の育成に切り替えると王家に伝えたらしい。
「ヘンリエッタ。私は許せないのだよ。お前は被る必要の無い疵を受けて泣けない娘になってしまった。まだデヴュタントを迎えて三年にもならぬのに、将来を修道院で朽ちようなどと考える程に傷付いた。誰がお前の心中を慮ってくれた。疵を疵のままにして、お前の本来あるべき幸せに影を差した王家には、煮え湯を飲まされた気持ちでいたのだ。物事には手順がある。手段がある。若き王族にも学びは必要であったろうが、我が娘がその練習台にされる必要が何処にある。」
「お父様?練習台?」
「ああ、いや。何れはっきりするだろう。私が今それを言うより余程良いだろうから、もう少し待っていなさい。
兎に角。明後日ハロルド殿を晩餐に招待した。以上!」
今までのらりくらりと流し流されしていたのに、今になってとても大切な事を、せっつかれた挙句に漸く白状した父は、言うだけ言って説明は無いままに、最後は雑に纏めて無理矢理切り上げた。
心做しか機嫌が良く見えるのは、メイン料理が好物だからか。単純な男め!
「ヘンリエッタ、どうしたの?そんなに旦那様を見つめて。」
母の言葉に、父がカチンと小さくカトラリーを皿にぶつけた。
「ええ。お父様が大切なお話しをなさるのを、今か今か今かと待っておりますの。」
「今かが多いわね。とっても待っていたのね。それで旦那様、大切なお話しとやらはお有りなの?」
おっとりと母に尋ねられ、何故か父はウィリアムを見た。なんにも解らないのに見られても困るウィリアムは、困惑の眼差しを父にそのまま返した。
視線ばかりが行き交う晩餐のテーブルで、ヘンリエッタはナプキンで口を拭う。
「こほん。」
ひとつ小さな咳を漏らせば、父は慌てて切り分けた合鴨を口に放り込んで咀嚼した。
もぐもぐモグモグもぐもぐ。いや、咀嚼が長い。
「お父様。白状なさって。」
「まあ旦那様、貴方様、悪事でも働かれたの?」
母から微かに侮蔑を含んだ視線を向けられて、父は漸くお肉を飲み込んだ。
「あ~、うん。」
「うん?」
思わずヘンリエッタが聞き返す。
「まあ、その~。」
何処の政治家の返しか。
「はっきりなさって。」
珍しく母にキツめに促されて父は観念したらしい。
「今週末、彼を晩餐に招いた。」
「彼とは真逆。」
ヘンリエッタに思い浮かぶのは一人しかいない。
「お前の想像は違わないだろう。」
やはり、そうであるらしい。
「何故、ハロルド様をご招待なさったの?週末とは明後日よ?それで、お父様。今言わなければいつ仰るおつもりだったの?」
「週末の朝にでも「遅いわ。」
珍しく母にキツめに窘められて、父はぐっと何かを飲み込んだ。合鴨か?
「ヘンリエッタが不快に思うだろうと。」
「私が不快になるのが解って、何故態々お誘いに?」
そこで父は漸くヘンリエッタに視線を合わせた。
「不快なあまり、彼を避けて欲しくは無かった。お前も今なら向き合えるのではないかと考えた。もう幼い少女ではない。いつ何処に出しても恥ずかしくない淑女に成長したと、そう私は思っている。辛かろうが向き合える時に向き合わなければ、次にまた機会が訪れるとは思えなかった。」
意外な父の心中を聞いて、ヘンリエッタは昼間のロバートの言葉を再び思い返した。
「覚悟なら出来ております。」
「お前ならきっとそう言ってくれると思っていたよ。」
「けれども、抜き打ちの様な知らせは迷惑です。」
「...。お前ならきっとそう言うと思っていたよ。」
「解っていて何故?ああ、それからお父様。私、今日ロバート殿下と少しばかりお話しを致しました。お父様。内ポケットのお手紙をお出しになって下さいな。」
「何故それを...」
「お父様、御自分でお気付きではなかったの?お父様は大切なものは一旦内ポケットにお仕舞になられる癖がお有りなの。ほら、去年のお誕生日にお母様から贈られたカフスボタンを、頂いた先から内ポケットに仕舞われていたでしょう?なんでお母様の目の前で袖に付けて差し上げないのか、とんだ女心の解らない御人だと思っていたの。でもあれって、嬉しくてつい内ポケットに仕舞っちゃったのね。」
「まあ旦那様、それは本当?」
おっとり母に戻った安堵からか、父は頬の強張りを緩くした。
「む、本当だ。」
「まあ。」
このまま甘い空気を二人には味わって欲しいところであるが、せっかちなヘンリエッタは追及を緩める事は出来なかった。
「それで、陛下はなんと?」
ぐっと眉根を苦しげに顰めてから、父は答えた。
「第二王子殿下の行いを済まなかったとお詫び下さった。」
「まあ。」
「クソ喰らえとお書きになったとか。」
御食事時にはなかなか端ない言葉である。
「ああ、まあ、そうかな。後は、馬の飼育を変更すると。」
「まあ。」
「えっ、お父様、そんな事をお書きになったの?」
「うむ。馬を農耕馬に変更しようかと思ってだな。」
「まあ、旦那様。それでは王家もさぞ慌てたことでしょう。」
「だから陛下も文を寄越したのだろうな。」
「お父様、本気でお考えになられたの?それって国軍に影響するでしょう?」
「そうだろうな。だが、農場経営には役立つだろうな。」
「確かにそうでしょうけれど、我が家は軍馬生産の筆頭なのですもの、それを農耕馬に切り替えてしまったら、騎士団の上層部はお困りになるでしょう。」
ノーザランド伯爵家は、古くから軍馬の生産を生業としている。運営する牧場からは優れた軍馬が数多く産出されており、ノーザランド伯爵は馬の繁殖家としては国内繁殖家の頂点に君臨していた。
現在、王国国軍の軍馬の六割がノーザランド一族が運営する牧場から産出されているのを、父は、その軍馬育成を中止して農耕馬の育成に切り替えると王家に伝えたらしい。
「ヘンリエッタ。私は許せないのだよ。お前は被る必要の無い疵を受けて泣けない娘になってしまった。まだデヴュタントを迎えて三年にもならぬのに、将来を修道院で朽ちようなどと考える程に傷付いた。誰がお前の心中を慮ってくれた。疵を疵のままにして、お前の本来あるべき幸せに影を差した王家には、煮え湯を飲まされた気持ちでいたのだ。物事には手順がある。手段がある。若き王族にも学びは必要であったろうが、我が娘がその練習台にされる必要が何処にある。」
「お父様?練習台?」
「ああ、いや。何れはっきりするだろう。私が今それを言うより余程良いだろうから、もう少し待っていなさい。
兎に角。明後日ハロルド殿を晩餐に招待した。以上!」
今までのらりくらりと流し流されしていたのに、今になってとても大切な事を、せっつかれた挙句に漸く白状した父は、言うだけ言って説明は無いままに、最後は雑に纏めて無理矢理切り上げた。
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