ヘンリエッタの再婚約

桃井すもも

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翌日は秋晴れだった。ヘンリエッタの心は曇天であるけれど。

チラチラこちらを窺い見る父の視線をまるっと無視して、ヘンリエッタは朝餉を終えた。

「まあ、ヘンリエッタ。全然食べていないじゃない。」

「ええ、お母様。何だか全く食欲が湧かないの。きっと昼も食欲は湧きそうに無いわ。きっと夜も食欲は湧きそうに無いわ。
きっと明日も明後日も。そうしていつか餓死するのでしょう。私が鬼籍に入ったら、王城が見えない所に埋めて下さい。」

「まあ!ヘンリエッタ!なんて事を言うの!」

「仕方が無いでしょう?鬼畜とロクデナシと恥知らずに人生を狂わされるのですもの。」

誰が鬼畜で誰がロクデナシで誰が恥知らずかだなんて、もう目の前の男と城にいる男とそれに侍る男しかいないじゃない。

息を飲む父をガン無視して席を立つ。

「姉上、荒れてるね。」

後から追ってきた弟のウィリアムが言うのにもぷいと返事を返さない。
弟には全然罪は無い。だけれど、今日ばかりはこの世の男が全て嫌になって来る。

ぷりぷりしながら自室に戻り身支度を整えて、少し早めに馬車に乗った。
ふんふん鼻歌混じりで馬を撫でていた御者を慌てさせたのは申し訳なかったけれど、何だか邸には居たくなかった。もう登校してしまおうと思った。
元から弟とは別々の馬車で登校していたから構わないだろう。

馬車の窓から、色を変えて葉を落とす紅葉樹が見えている。秋晴れの青い空とのコントラストが美しい。

いつだったろう。瞳の色を褒められた。
なんの変哲も無い榛色であるのに、瞳孔を囲む虹彩が翠を帯びて美しいと、秋の森林で見る泉の様だと言ったのは、忘れてしまいたい元婚約者だった。

雨に降られて濡れた髪をミルクティーの様だと言ったのも、同じ男であった。プラチナブロンドと言えば聞こえは良いが、薄まった紅茶の様な中途半端な髪色を、一時でも誇らしく思ったのも、今では胸の痛む思い出だ。

折角忘れていた事なのに、一日一日少しずつ忘れた痛みであったのに、ロクデナシな第二王子殿下の恥知らずで鬼畜な文に乱された心は朝になっても落ち着くことは無かった。

ランチボックスが重く感じる。朝餉に手を付けなかったヘンリエッタを料理長が案じたのだろう。料理長ばかりではない、執事も侍女頭も父の侍従も、邸の者たちは皆心配してくれている。その気持ちが解るから、余計に古傷がじくじく疼くようで、何も知らない生徒ばかりの学園に逃げ込んでしまいたいと思った。


「お早う、ヘンリエッタ嬢。」

「第三王子殿下にご挨拶を申し上げます。お早う御座います。」

「辞めてくれ、他人行儀なのは。」

「貴方様、何故こんな時間に居られるのです。王族の登校まであと一時間はありますわ。」

「ん?君に謝罪したくて。ここにいるのかなって思ったのさ。それで。」

「護衛の方は如何なさったのです。」

「いるよ、そこの陰に。」

早めに着いたヘンリエッタは、真っ直ぐ図書室に向かった。ここは早朝から誰か彼かいるのだが、皆互いに距離を取って静かに過ごしている。

試験前などは、ヘンリエッタも度々早く登校していた。こう言う時に伯爵家と云う爵位は都合が良い。
学園の登校時間は爵位の順と定められている。爵位の低い家からはじまり、最後に王族が登校する。伯爵家は高位貴族とは言えその下層であったから、少しばかり融通が利く。
だがしかし、王子は本来こんな早くは登校しない。

「剣の稽古を学園ですると言えば許される。」

第三王子殿下のロバートは、ヘンリエッタとは一年生の時からずっと同じクラスであった。あの悪口ばかり思い浮かぶ第二王子とは見目が異なる。第三王子は側妃腹で、烟る金髪にエメラルドの瞳の兄達に対して、ロバートは淡い金髪に瞳だけは鮮やかなロイヤルブルーであった。

書架の陰には確かにロバートの護衛が控えていた。ロバートが一人過ごす静かな時間を護るように佇んでいた。

ヘンリエッタは護衛に向かって小さく会釈をして、

「お座り下さいませ、殿下。」
と、声を掛けた。

ロバートはヘンリエッタの隣りの椅子を音を立てぬように引いて座った。

「文が届いただろう。」
「....」
「申し訳無かった。」
「貴方様は第二王子殿下とは無関係でいらっしゃいます。」
「うん。でも知っていた。」
「知っていた?」
「兄がそうすると。」
「...喩えそうだとしても、貴方様がエドワード殿下を止めるなど出来ない事でございましょう。」
「うん、まあね。」
「お気持ちだけ頂戴致します。ご心配頂き有難うございます。」
「うん。それで、君、どうするの?」
「お受け出来かねます。」
「そうだろうね。でも多分兄は本気だよ。」
「無理を通されるなら修道院に逃げ込もうと思います。どうせ家にいても行かず後家の穀潰し。修道院でハンカチに山ほど刺繍を刺してバザーで売りさばきますわ。」
「頼もしいね。でも修道院はいけない。」

「何れにせよ、私がハロルド様と再婚約だなんて有り得ませんわ。」


第三王子殿下は兄弟の中で唯一人側妃腹であるのを理解して、既に臣籍降下を決めている。王位継承権も放棄して国政にも影響を及ぼさない様弁えていた。
そんな彼であるからか、兄弟仲は悪くない。互いに会話も多いらしく、だから第二王子殿下がヘンリエッタへハロルドとの再婚約を打診するのも知っていたのだろう。

気さくな気質に加えて入学以来ずっと同じクラスでいた事もあって、礼節を大きく外さぬ限り親しく会話も交わせば程良く冗談も言い合える、二人はそんな気の置けない交流が出来ていた。


剣の稽古をするのは本当らしく、「では」と片手を上げてロバートは立ち去った。

朝日に淡い金の髪が透けて見える。どんなに砕けた口調でも背筋が崩れない彼の後ろ姿をヘンリエッタは見送った。




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