ふられちゃったら

桃井すもも

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「ステフ。こちらへいらっしゃい。」

名を呼ばれて、ステファニアは急いで夫人の下へ駆け寄った。

「お呼びでございましょうか、奥様。」
「ええ、ええ、呼んだわ。ステフ、さあさあそこにお座りなさい。」

ステファニアは、夫人に促された通りに夫人に向き合うように席に着いた。

「お砂糖は幾つ?ミルクは入れるのかしら。」

「お気遣い頂きまして有難うございます。お砂糖は結構です。ミルクを少し頂戴して宜しいでしょうか。」

「ええ、勿論ですとも。ミルクは朝搾ったばかりのものなのよ。お好きならホットミルクも如何?」

「母上、いい加減ステファニア嬢を離してやって下さいませんか。」

思わずエルリックが母の暴走を止めに入った。

「エルリック、お前は何を言っているのかしら。この子はステフよ。お前の従者のステフでしょう。」

「従者であれば独り占め出来るだなんて可怪しな思い込みをなさらないで下さい。」

「本当に男の子ってつまらないわね。あれは駄目、これは駄目と口うるさいばかりだわ。」


昨日の夕刻に、ステファニア達は予定より半日ほど早くエルリックの生家であるノーマン辺境伯領へ着いた。

前もって、訪問を願う文をステファニアの母が早馬で送ってくれていたらしく、エルリックの母である辺境伯夫人は今か今かと到着を待ち侘びて、待ち侘びるあまり自ら領地の関所まで単独馬に跨り迎えに来た。

馬車の中からその姿を見たエルリックが、

「ステファニア、今から君はステフだよ。男子になり切るんだ。そうでなければ母上のお人形にされてしまう。」
と言ってきた。

関所を通ると直ぐに馬車が止められて、何だろう外が騒がしいと思っていると、行き成り扉がばあん!と開かれた。

扉の側に座っていた義兄が驚いて、ぴょんと小さく跳ねた。そりゃあそうだ。辺境伯夫人がステップに上がって入り口に頭を突っ込みこちらを覗き込んでいる。
夫人はステファニアを見付けた途端、目を見張ったと思ったら、眉間に皺を寄せたまま目を細め、それからステファニアに向かって腕を伸ばして来た。

「ステフ。貴方がステフね。」
「は、はいっ」

慌ててステファニアが答えると、

「こちらへいらっしゃい。私に着いて来るのよ。」と、ステファニアを連れ去ろうとする。

「母上、ステフは確かにステフですが、ステフでは有りません!」

珍しくエルリックが慌てて夫人の腕を掴んだ。

「お前、何を言ってるのかしら。王都で馬鹿になったの?お前が従者を連れてくると聞いていたのよ。ステフという子だと。」

全部まるっと知ってるくせに、夫人は何も知らぬ風でステファニアを連れて行こうと尚も手を伸ばす。

「母上、ステフは仮の姿です。全て知ってるくせにとぼけるのもいい加減にして下さい!」

「可怪しな事を言うわね。お前、知らないの?嘘をつくなら最後まで。王家を欺くのなら徹底しなくては駄目なのよ。この子はステフ。私のステフよ。」

こうしてステファニアは、エルリックの従者を装う筈が、翌日からは、一日中辺境伯夫人に連れられてお茶やらやお茶やらに付き合うのであった。


夫人が手ずからお茶を淹れてくれる。
セカンドフラッシュの夏摘みの茶葉からは、マスカットの様な爽やかな香りが漂って来る。ひとくち口に含めばまろやかな風味と味わいが口内に広がった。

「美味しい...」
「そう、美味しい?美味しいのね?」
「はい、とても美味しゅうございます。」

ステファニアの言葉に、夫人は眉間に皺を寄せたまま目を細めた。
どうやらそれは、にんまり顔が緩むのを無理やりに引き締めて、それでも笑みを抑え切れない表情であるらしいとエルリックが教えてくれた。

「ステフ。チョコチップスコーンをお代わりなさい。沢山あるのよ、さあさあ、もう一つ如何かしら。そうだわ、フレッシュバターとホイップも付けてみて。とても美味しいのよ、私のお勧めなの。」

「有難うございます。チョコチップスコーンは大好物なのです。」

ステファニアがそう言えば、夫人は「そう...」と、また眉間に皺を寄せながら目を細めた。

辺境伯領では男児は貴重である。
戦線に立つ騎士達がその命を散らす事は少なくない。戦闘軍団の辺境伯領にとって、男児は無くてはならない将来の戦力であったから、どの家も嫡男とは別に男児が生まれるのが望まれた。
夫人も四人の子息を生んだ事でその責を果していたが、実のところ女の子が欲しくて欲しくて堪らなかった。

そこへのこのこ現れたステファニアは、目早夫人専属の茶飲み友達にされてしまって、どこから仕入れた情報なのか、夫人はステファニアを兵糧攻めならぬ好物攻めにした。

チョコチップスコーンは、これはラングレイ伯爵家の料理長のレシピである。
チョコチップマシマシ限界値突破スコーン、そのものである。
ステファニアが辺境伯領に着くまでの僅か数日の間に、夫人はステファニアの好物を網羅して、到着するやいなや自らお茶を淹れて菓子を振る舞い持て成した。


「ああ、ステファニア、違った、ステフとやら。その、大丈夫か?無理せずとも良いのだぞ。」

「辺境伯様、お心遣い痛み入ります。ですが、私ならご心配には及びません。夫人のお茶もお菓子も大変有り難く頂戴しております故。」

ステファニアが例の如く声音を低くして、少年の様な出で立ちで言うのを、辺境伯まで眉間に皺を寄せたまま目を細めた。
実のところ、辺境伯も女の子が欲しくて欲しくて堪らなかったのである。

ブルネットの髪を青いリボンで結わえ、従者の衣装を纏ったステファニアは、ほっそりとした身体の背筋を伸ばして涼し気な笑みを浮かべた。

辺境伯と夫人が同時に目を細めた。
ステファニアはこのまま王都には帰れないのではないかと、誰も彼もが思うのだった。


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